あつたかい ブログ 2

日々思った事、感じた事そして、親神様の御守護を書いて行きたいと思います。

1月5日 本部神殿奉仕にて。。再開されたおせち会を見て。。

2023年01月07日 05時51分29秒 | 思った事
1月5日 本部神殿奉仕にて。
 
私の奉仕の日は毎月8日で、1月はおせちで残ったパックに詰められたお餅を、配る役を勤める。
今回は、初めて5日の奉仕となり、おせちの初日を体験させていただいた。
しかも、コロナ禍から抜け出る初めてのおせちである。
 
日曜日でも参拝者が少なく感じていたのが、10時の開始を過ぎてから、ドンドン人が増えてきた。
 
このおせちは、奈良近辺で日帰りが可能な方々が主に集われる。
それがとても多い人なのである。ご守護を求めて待ちわびていた人がどれだけ多いかと思ったのである。
 
以前のように大きな団体ではなく、家族程度の小さなグループで、神殿でおつとめをして、おせち会場へと向かわれる。
 
今回のおせちは、一人一杯限りとされて、次々と会場への案内放送がなされるのに、多くの方が入場口に並んでいるのである。
 
さて、
世間では、コロナのみならず、ワクチン接種の後遺症について不安になっておられる話をよく耳にする。
 
信頼していた医療、政治に裏切られた気持ちになり、何を信じて良いかと戸惑っている方も多いのではないかと思う。
 
以前、この神殿奉仕の時に、後遺症で悩まれる方が、おさづけをさせていただいて、良くなられたことを、ブログにも書いたが、親神様のご守護は、医療や政治を越えたところにある。
 
「医者の手余り神が助ける」のである。
 
人間の身体は親神様からのかりもので、それぞれの心一つでどんな不思議も現れるのである。
 
この心一つが重要である。
そして、こうした事を通して「天の理」を知る事が重要である。
 
さらには、人間を宿仕込んだ「元のぢば」。
ここが何よりも重要で、親神様のお働き下さる元なのである。
 
親神様のお話を聞いて、これまでの心遣いを反省して、心定めて願うのである。
 
各地に天理教の教会はある。
しかし、教会にも様々あり、また、天理教と言っていても教会本部「ぢば」から離脱したものもある。
キリスト教、仏教といっても色々な宗派が出来て、それぞれに話が異なっているのと同様な状態にある。
 
そうした中に、もし「ぢば」にてたすけを願う人があるならば、
西礼拝場の南外にある、西お守所で行われる神殿おたすけをお勧めする。
時間は毎日午前9時と午後1時からである。
 
天理教教会本部での、様々な受付は一ヶ所ではないのでご注意頂きたい。
 
そして、少しでも多くの人が不思議なご守護を頂かれますようにと思う。
 
おせちの様子を見て、着座奉仕で思いつくままに。。
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学校で習ったことは本当??。。。光について。。

2023年01月07日 05時39分48秒 | 思った事
1月6日 3時。。深夜の奉仕の合間にふと思う。。
 
写真は、1月4日夕方、おぢばへ向かう時の光景です。
この様子を見て、疑問が湧きました。
 
光は直進すると、学校で習いました。
それなのに、雲の隙間からの光は広がっているのです。
 
光をプリズムの中を通すと、屈折する事は習いました。
しかし、この様子からすると、プリズムでの事とは違うのです。
 
本部の神殿奉仕をしている時に、ある先生から質問された事があります。
それは、南礼拝場の障子の上にある格子から入る光が、格子を見えなくする時があり、どうしてだろうかと。
 
私はその時、直感的に、光は広がるからと思い、そのように返事をしました。
つまり、この写真の光の様子と同様に、広がると言うことの意味あいが思い浮かんだのです。
 
光が直進するのならば、太陽はとても遠くにありますから、物を通り抜けた光が曲がる事はないはずです。
そして、格子は常にハッキリと見えなければなりません。
 
質問された方は、実際には教えられたのとは違う現象を見て、その理由を探していたのだと思いました。
 
先ほど真夜中の着座を勤める中、この事に思いを巡らしながら座っていました。
すると、音について思い浮かび、音波、波を考えました。
 
水面で起きる波は、格子をすり抜けると、そこからまた扇状に広がることを思い出したのです。
そして、光も波長であるとの話を思い出しました。
 
そして、欄間の格子から見える雪洞の光が、光源に近い所の格子はぼやけて、遠いところの格子はハッキリと見える様子から、光は波と同様の伝わり方をしていると思いました。
 
光は直進すると教えられた事が、間違いであり、それを信じていることで、実際とは異なる考え方をしていたと気がついたのでした。
 
そしてこれに気がついたとき、
ここでもう一つその直進すると思い込む原因となった、プリズムを通した光を考えてみました。
 
この、光の屈折を見せられた光は、スポットライトと同じように、レンズを使って真っ直ぐに成るように作られた光だったと思い出しました。
 
また、プリズムで分解された7色の光をも思い出しました。
 
私には、近頃の太陽の光がとても強く、眩しく見えています。
 
そして、
これまで理解できなかったことが理解でき、新しい楽しみを与えて貰えるような気がしています。
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