あつたかい ブログ 2

日々思った事、感じた事そして、親神様の御守護を書いて行きたいと思います。

『増野鼓雪選集第2巻~講壇より(続)』心から喜べる。。を聞いて。

2021年03月17日 10時49分35秒 | 思った事
今朝(15日)、  朗読「増野鼓雪」7_心から喜べる - YouTube を聞きながら作業をしていた。
ふと思うことがあって、フェイスブックに共有した。
その事を書き直して、記録にしておく。
・・・・・・
「たんのうせよ」とよく言われる。
私が学生の頃は「はいと返事をしろ。」また「白いものでも黒と言われたら黒だ」と言われて、当時理解できない事を言われた。
そして、「こんな事は嫌だ」と言ってやめたものもある。
 
そうした中に、私は父親に相談した。何を言われたかは思い出せない。
 
ただ、相談した時になぜか、「『はいといえ』と言われるならば、『はいと言おう』」と思った。
 
そして、私の性格では、違うと思ったらそれが言葉に出てしまうので、
 
「『はい』と言えることを探して、それに対して『はい』と言おう」と思ったのである。
 
すると、それまで嫌に思っていた事は少なくなったと思う。
そして、人々の差がどんどん見えるようになって来た。
その内に、教えられる「神様の教え」と、人の行いが違う事に気が付くようになった。
 
また、当時学校で教わる話とは違う話も聞くようになった。その証拠となる物を自分は持ち合わせていない。
 
疑問に思うと知りたくなる性格から、先生に質問をする。得心できる答えはなかなか返ってこなかった。
そうした中に、「すべてはここで教えられた中にある。本部から出された中にある。」という言葉が心に止まった。
それからは、本部から出版されている本を元に、神意を探るようになった。
 
そして今思う事は、点で見てはならない。点には順序があり、その順序通りに点と点を結び線にしていくことが大切だと思っている。
 
点とは、その時の事柄である。
 
例えば、おつとめを教えられるについて、始めは線香を立てて「南無てんりおうのみこと」とただ唱えるだけだった。
それから順番に「地方」「手ぶり」を教えられて、かぐらづとめ、12下りのおつとめとなる。
 
この初めの「南無てんりおうのみこと」や、「地方」などを教えられたこと、そして地歌を変更され、現在のおつとめなど、一つ一つが点である。
それを結びつけて、どうしてこうなったか?と、一連の流れから親神様の思いを悟る事が大切だと思う。
 
また、これも「教えるひながた」とするならば、全くお道の話を知らぬところへおつとめを教える時には、この順序が必要になるのではないかとも思うのである。
 
「陽気ぐらし実現」は、まだまだ先である。
 
「元の理」これが本当に素晴らしい。「元の神」だから言える事である。
「元の神」の名前は「天理王命」。この神の働きは10の守護を持つ。
 
この10の守護は「道具の神」である。
「くにとこたちのみこと」水の守護の神。人間でいえば目、潤いの神。これ一つの守護である。
「おもたりのみこと」は火の守護の神。人間でいえば温みの神。これ一つの守護である。
「くにさづちのみこと」はつなぎの守護の神。人間でいえば皮、つなぎ。これ一つの守護である。
 
以前、多神教と一神教という事で、見方によってどちらともいえると書いた。
 
そして、もう一つ気になる事がある。
それは、「あつけんみょうおう」という神名である。
 
これは、教祖が断食をして松尾市兵衛宅に、おたすけに行かれた時に、こかんさまに「『あつけんみょうおう』が、おこしてあるのに、こもとに、こうまん強い、すぐと送り返せ。」とお言葉があり、教祖はお屋敷に戻られた。「正文遺韻抄69頁参照」と出てくる。
 
 
(2)人足社
明治 12 年陰暦 2 月、教祖は「ナライトの身の内、神の方へ貰い受け、その上は、あつけんみよの社として人をたすける」と、ナライトを貰い受けられた。あつけんみよ(あつけん明王)とは、「おびやさんしき」(中山正善『こふきの研究』、和歌体 14 年、山沢本)、つまり、胎内の縁を切る(たいしよくてん-法華)、子供を引き出す(をふとのべ-真言)、産んだ後の始末のつなぎ(くにさづち-禅宗)の三神を総称して「あつけん明王」(石崎正雄『こうきと裏守護』天理やまと文化会議、1997 年、310,311 頁)とある。
 
と書かれている。
 
ここには、「総称」とあるが、3つの守護、働きが出来る「神名」「神」と考えると、
 
この世には、様々な神があるが、それぞれには、学問の神・安産の神などなど、ご利益が異なっている。
その中で、全ての守護ができるのは、「天理王命」「元の神」ということになると思う。
 
反対に、「くにとこたち」の神名に守護されるというならば、その特性だけで守護されていると、考える事が出来ると思う。
「こうき話」には裏守護として、仏教では。。。神道では。。。という話がある。
これも研究してみて、その神々のつながり方を知る事も、私たちが成人する上には大切な知識ではないかと思う。
 
さて、ちょっと長くなるが、
10柱の守護となった神様は、道具衆として生まれ変わって、つとめをする事を言われている。
 
また、教祖ご在世当時の、屋敷内の人々について、誰だれは、何の神様の魂という話しもある。
そして、その人の性分で、人々を見分けたり、成人させたりしているようにも感じられる。
こうした事も、ひながたの一つと考えると、
私たちの周囲に、様々な性格の人がいることも、重ね合わせて考えて、助け合いの日々を歩む手本となると思う。
 
また、教祖はどんな事も親心で許されてたイメージがあるかと思うが、
問答に来た人に対するお言葉などを考えると、そればかりではない事も分かる。
 
一つの事柄だけで、全てが分かったように考えてはならない。いくつもの事柄を参照して、研究する事。
これが大切だと思う。
 
役目と言えば、
郡山大教会の初代を引き寄せられて、その先生は本部の警護をする役目をされている。
この「増野鼓雪」の父である「増野正兵衛」は沢山の身上を頂かれて、その都度おさしづを伺われている。
そして一般には言えないさしづを聞く役目をされている。また本部の会計としての勤めをされた。
みな同じではない。
そういう役目をする人も必要という事だと思う。
 
世界中に起こっている事も、この地球上に陽気ぐらしを実現するために、それぞれの役目があって行われている事と思う。
今現在、世界中の情報が手に入る。様々な立場、見方によって、発信は違っている。
これを親神様が、人間を陽気ぐらしできる心に立て替えるための役目という事から、解析研究する事も一つ大切な事ではないかと思う。
 
ともかく、こうした話が全世界中に流れ、それぞれに思案できることがとてもありがたいと思う。
 
暇を見ては、書き足してきた。
まとまらず、とても読みにくいと思いますが、お許しください。
 
親神様、教祖。。どうぞ、届かぬ我々ではありますが、大難は小難にとお守り下さい。
コメント
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