あつたかい ブログ 2

日々思った事、感じた事そして、親神様の御守護を書いて行きたいと思います。

全ては親神様の懐の中。。。「上と神との心わけるで」。。

2021年03月02日 18時18分36秒 | 思った事

愛知県では緊急事態宣言が解除された。

街中を見ると人手が増えたように感じる。

やはり、新型コロナの新規感染者数が減ったのは、やはり人々の努力によるものだと思う。

ワクチンについても、政治についても、金融についても、マスメディアについても様々な疑惑が出てきている。

これまで信用していたものが、どんどん崩れている。

また、マスメディアについての信用が、先進国の上には低いのに、日本では特別に高いという情報を聞いて、びっくりした事もある。

(情報をテレビや新聞からしか得ていない人には、分からない事であるが。。。)

でもよく考えると、元々、上の人の都合の良いように、情報操作されて作られた事は事実だと思える。

 

そうした中で、私自身を振り返ると、人間社会の情報だけではなく、親神様の情報も持ち合わせていると感じた。

私が、親神様に対して本当に凭れて、その日その日を過ごすようになったのは、父親が出直して、頼れる人が誰もいなくなった時からである。

その時ふと思い出した言葉が、「人に凭れたらその人は倒れるが、親神様は倒れない」というような言葉だった。人間はその時の都合で言葉が変わる。そして「人というものは疑い深いものなるぞ」というお言葉、正しくである。

だから、人は言葉が変わるものだから、絶対のものではないと思うようになった。

そして、その時その時の状況が一番大切だと思うようになった。

「罪を憎んで人を憎まず」という言葉があるが、その時のその人に出会った事が、神様の采配だと思うようになったのである。

私は、以前からコンピュータを使って、思う事を発信している。

それが昨年ある事情から、初めてスマホデビューして、運転しながらもYouTubeを聞く事が出来て、気になったことをフェイスブックに共有している。

このようになって来た事は、自らが望んでしたことではない。コンピュータを使わずにはおれなくなり、インターネットにつなげなければならなくなり、そしてスマホにせざるを得なくなりと、必要に駆られて変化している。

そして、与えられた物によって生活が変わってきている。

スマホを持つようになって、支部内の教会へ連絡が素早くできるようになった。

私の暮らしで常にあるのは、自分の出来る事を懸命に行う事。その時に与えられたことを懸命にする事。ただそれだけである。「すべては親神様のお与え」と思って。

これだけなのである。

しかし、周囲を見てみると、「自分の思い通りにしたい」と、それに固執して、色々と画策をして、様々な問題を起こしているように思う。

その最たるものが、原爆であったり、新型コロナなどの細菌兵器であったり、環境汚染であったりするように思う。

こうした、「神と上との差」をすごく感じる。

 

話を、今の社会の状況に戻す。

人間社会と言っても、人間の生活する範囲は限られている。

その生活する世界で、幸せを感じられればそれでよいという訳だが、親神様には世界人類を助け上げたいという思いがある。

中国でウイグル人が弾圧されている事が、世界中に明らかになった。そして、その事について日本の政治家には、すぐさま反対する意見を出さない人々も多くある事が分かった。

おふでさきに「上と神との心わけるで」(4号104)と言われている。

この言葉は、神の心を持っている人と、そうでない人との心を分けるというようにも思えるのだが、

『おふでさき』を列記しておく。

いかほどにむつかし事とゆふたとて
とかすにいてハわかるめハなし (4-99)

にち/\に神のをもわくだん/\と
といてをくぞやこれきいてくれ (4-100)

このみちハなにかむつかしめつらしい
みちであるぞやたしかみていよ (4-101)

このみちをとふりぬけたらそのさきハ
からハにほんのぢいにしてある (4-102)

からのぢをにほんぢいにしたならば
これまつだいのいきどふりなり (4-103)

このよふを納も上天もかみ
上と神との心わけるで (4-104)

だん/\とみゑん事をばゆてをいて
さきでみゑたらこれが神やで (4-105)

いかほどにみゑたる事をゆうたとて
さきでみゑねはわかりあるまい (4-106)

これからハせかいぢううのむねのうち
上下ともにわけてみせるで (4-107)

これをみよせかいもうちもへたてない
むねのうちよりそふぢするぞや (4-108)

このそふぢむつかし事であるけれど
やまいとゆうわないとゆてをく (4-109)

どのよふないたみなやみもでけものや
ねつもくだりもみなほこりやで (4-110)

このよふを初てからになにもかも
上ゑをしへた事ハあるまい (4-111)

このたびハなにかよろづを上たるゑ
しらしてをいた事であるなら (4-112)

それからハなかにハしやんするもあろ
みなよりよふてはなししたなら (4-113)

そのなかにしんぢつ心たのもしい
をもてしやんをすんるものもある (4-114)

 

ここで、人々に対して「神様」と「人間の上に立ち多くの人を導かねばならない上の人」との心を分からせると言われているとも思える。分けるとは、分からせる、はっきりさせるという意味ととらえると、このように思えるのである。

 

先日、友人から「Q」の言葉を信じて困っているという話しを聞いたが、この「Q」の言葉を知っていてこそ、説明する事が出来る。それを知らずに頭ごなしで否定をすれば、今のマスメディアがアメリカ大統領選挙で行ってきた「陰謀論」として、情報操作して来た事と同じであると思う。

「Q」また軍の発言、そしてその他の人々の発言そして世界の状況からの私の見解は、ここでは述べない。

 

「神を信じる者」にも差がある。この事を知って、それぞれが「神の言葉と上の言葉について」意見交換する事が大切なのではないかと思う。

そうする中に、

これからハせかいぢううのむねのうち
上下ともにわけてみせるで (4-107)

そして

それからハなかにハしやんするもあろ
みなよりよふてはなししたなら (4-113)

そのなかにしんぢつ心たのもしい
をもてしやんをすんるものもある (4-114)

となって来て、陽気ぐらしへの道が進むのではないかと思うのである。

 

今日も一日頑張ります。

親神様・教祖、どうぞ大難は小難にとお守り下さい。

 

コメント
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