あつたかい ブログ 2

日々思った事、感じた事そして、親神様の御守護を書いて行きたいと思います。

突然の鼻水鼻詰まりから。。。3月20日Facebookに投稿した物に追記。。

2021年03月21日 09時08分33秒 | 思った事
数日前からちょっとふらつく。19日の夜久々に妻におさづけを願ったところ、軽く目が回った。
数年前に、車から飛び降り、脳震盪と鎖骨骨折、肺に穴が開いた時のめまいを思い出した。
そして、教祖がふとよろめかれて、「これは世界の動く印や」と言われた言葉が思い出された。
数日前より、精神世界についての動画が目に付き、宇宙人や神そして、それらの善悪についての話を見ている。
 
精神世界と現実をどのように結びつけるか。これは人それぞれの感性によるしかないと思っている。
それぞれがどのように感じるか、信じるかに寄るからである。
 
そうした中に、この天理教の教えはどうなのかと思うと、かしもの・かりもので、その両方を結び付けていると思っている。この世に現わされることはすべて、個々の「心通りの守護」なのだから。。
だから、「八つのほこり」でそれぞれの心を点検する必要を言われている。
そして、眼に見えない神との交信は、それぞれの身に起こる事柄や、周囲に起こる事柄から、悟る事を教えられている。
その手立ては「おさしづ」に示されている。
 
そしてさらに、人間存在の目的を「神も人間も共に楽しむ、陽気ぐらし実現」と示されて、これについては悟る事はない。とも明示されている。
 
こんな事を考えながら、「精神世界の動画を見ている人は、どのように感じているのだろうか?「宗教はなくなる」という言葉をそのままに受け取って、これまで、親神様が人間を教え導くために苦労して伝えた良い教えも無くしてしまう事にならないか」と心配をした。
 
そう思っているた中に、急に朝、鼻水鼻づまりで苦しみ、以下の文章を書いたのだった。
・・・・・
今日(20日)は、花粉が凄く飛んでいるようで、朝からくしゃみと鼻水が凄く出ています。
アレルギー性鼻炎は高校でおぢばに行ってからずっとです。
だから、高校からずっと、鼻で息が出来ずにいました。
けれども、今の教会へ来てから、突然鼻が通り、鼻で息が出来るようになりました。
けれども、アレルギー性鼻炎は良くなった感じはあれません。ハウスダストなので、少しでもほこりの立つところに入るとすぐにくしゃみ、鼻水が出ます。
これがとても不思議なのです。
親神様が不思議を見せて導いて下さっていると感じた一つです。
すべては、親神様の思し召しの中にあります。
それが悟れるかどうか。また、悟れるように心を使う事、教えを学ぶ事、これが大切だと思っています。
どれだけ体が良くなっても、喜べる心でないととても辛いです。
喜べる心になれるように、人の事も心配できて、人の心を察する事が出来るようになる事を、親神様は求めておられると思います。
教祖が貧のどん底に落ちられたのも、苦労を通らねば苦労をしている人の心が分からないからだと思います。それが分からないから、やさしい心になれない。
もし、今苦労だと思って苦しんでいる人は、その苦労が後に人のために役立つと思って、頑張る事が大切だと思います。
その頑張る心を、親神様は知っていて、大難は小難にとお守り下さるのです。
また、教祖が現身を隠される前、我が身どうなってもとおつとめつとめる決心をする前の親神様との問答で、
「この屋敷に道具ひながたの魂生まれてあるとの仰せ、この屋敷をさして、この世界はじまりの『ぢば』ゆえ天下り、無い人間無い世界をこしらえ下されたとの仰せ、かみも我々も同様の魂との仰せ、右3か条のお尋ねあれば、我々は何と答えてよろしいでしょうか。これに差し支えます。人間は法律に逆らう事は叶いません。」と申し上げると、親神様は、
「さあさあ、月日がありてこの世界あり、世界ありてそれぞれあり、それぞれありて身の内あり、身の内ありて律あり、律ありても心定めが第一やで。」とお答えになりました。
私は、この言葉がとても大切だと思います。
ここに、宇宙、地球、人間、魂、心の重要な事が示されていると思います。
以前ブログで、戦争についての教祖の予言を書きました。
親神様の教えられる「かしもの・かりもの」話は、まだまだ世界中に広まってはいません。ようやく地球は一つ、人間は地球に住む家族という事が分かり始めたところと思います。
心して通らせて頂かねば、大難は小難にとお守り頂けない。
せっかく、新型コロナで今まで気づかなかったことに気が付いたはずです。それを忘れずに、元から思案して、仕切り直すことが必要だと思います。
 
・・・・・
 
「その時だけは覚えている、しかし、30日経ち、60日経てはコロッと忘れてしまう。」というお言葉があったはずである。(出典は探してみてください)
この言葉は、「人間はそういうものだから、忘れても仕方がない」と捉えるか、「そういうものだから、忘れないように、時々思い返えす必要がある」と捉えるかによって、その先が変わってくると思っている。
 
今の言葉も、ふと思い出したのだが、どこにあったかは忘れている。そんなものであるが、それを調べる事で、この言葉が確かなものとなり、忘れられないものとなる。
不思議な御守護も、その時だけで終われば、それまでである。それを時折思い返す事。
そして、同じような事を見聞きしている事に気が付く事。これが大切で、それを繰り返して、心は成人すると思う。
 
精神世界を説く人々は、それぞれが感じる事を話される。
教祖やご本席様も、傍から見れば同じである。
その言葉の記録が、「おふでさき」や「おさしづ」であり、先人先生方が残された書物にもある。
 
先日誰のために、教祖やご本席様は、言葉を出されたのかと書いたが、それは、身近な人である、秀司先生や真柱様、取次ぎ人の先生方に対してであるけれども、その先には、私たちがいる事を忘れてはならない。
 
不思議な声を聞かずとも、善悪を悟り、自ら心のほこりを払い、陽気ぐらしが出来る、我々人間にしたいと、親神様は教祖に入り込み、本席様またこかん様を通して、お教え導いて下さったと思う。
 
・・・・・・
 
昨日、20日は春の霊祭をお昼からさせて頂いた。3人の方が参拝に来てくださり、おはぎとお下がりを持って帰って頂いた。
うちの教会はとても狭く、祖霊様の写真を祀る場所もない。だから、参拝場の上に歴代会長様の写真を飾ってある。
朝、その前で祭文を書いていたら、歴代会長さん方の話をしたほうが良いように思い、話をした。
これも、会長はどんどん違う家に変わっても、教会の名称が変わらずに来たから話せる話であり、それを通して、うちの教会のいんねんについて話をする事が出来る。
名称は末代とおさしづにあるが、名称を末代続ける事の意味合いと、もし改称したならば、そこで新しいスタートが始まると思えた。
 
長くなりましたが、最後まで読んで頂きありがとうございます。
 
陽気ぐらし実現を願って、今日も一日、つとめたいと思います。
 
親神様、教祖、大難は小難にとお守り下さい。
コメント
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