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ブログあつたかい

しんちつが神の心にかなハねば いかほど心つくしたるとも (12-134)

今日から9日までおぢばです。

2013年05月07日 07時22分12秒 | 思った事
今日7日は支部の例会日、今月は総会ということで、午前10時から。
それを終えてから近鉄でおぢばへ。
御用を終えて9日に戻ります。
ネットに繋がりませんので、9日まで失礼します。

追伸;一昨年のこの日は、東北へ行った写真をブログにアップした日でありました。


作業を終えて、発電機を車から下ろす時に、ピキっと腰から音が・・・。
12日の月次祭を終えてから動けなくなり、横になりながら同級生へ報告の文章を作り、作り終えて入院した事を思い出されます。

教祖ありがとうございました。
そしてまたよろしくお願いいたします。

団参行ってきました

2013年05月03日 21時14分46秒 | 思った事
5月3日 無事に団参を終えさせて頂きました。

渋滞の覚悟はしての団参だったが、予想が外れて、行きに5時間かかり、帰りは3時間で普段通りだった。

午後1時本部食堂が閉まるギリギリにおぢば到着。

食事を澄ませて、神殿参拝。



教祖のところへ行かせて頂いたら、丁度午後2時の2分前。

2時のサイレンを待って、参拝をさせて頂く。

神殿・教祖殿では、先月の教養掛での事を話す。

人もまばらで落ち着いて参拝、お話をさせて頂くことができた。

午後3時におぢばを出発。わずかばかりのおぢばでの滞在となったが、とても有意義なひと時を頂くことができた。

教祖ありがとうございました。


(以下 フェイスブックのコメント 5/5 追記)

「いいね」をくださった皆様。いつもありがとうございます。
ボーっとしながら書き込みましたので、誤字脱字で申し訳ありません。
渋滞に掛かるとしても行きは大丈夫だと思っていたのが反対でした。(^^;)
行きは長島から亀山まで2時間以上の渋滞となっていましたので、高速道路を避けて、23号線と1号線をひたすら走り、5時間かかった次第です。
その道中、トイレ休憩に寄った海沿いの公園では、野生?の猿を見るハプニングもあり、それなりに楽しみを頂きました。

本部食堂では、終了ギリギリに入れて頂いたので、食堂の方々には色々とお世話をおかけしました。
帰りは、亀山から四日市まで渋滞していましたが、亀山から鈴鹿まで下道を走りました。これがいつも以上に空いていて。(^^)でした。
本当にありがたい、団参でした。

東北慰問演奏会Ⅵ 予定

2013年04月30日 10時00分23秒 | 思った事
東北慰問演奏会の予定表を頂きましたので、報告します。
どうぞ、お力添えくださる方よろしくお願いいたします。

アンサンブル Tomorrow「明日へのしらべⅥ」
期日 平成25年5月7日(火)~11日(土)
会場 ① 8日 10時00分  気仙沼市 双葉保育園
        気仙沼市河原田1-3-16 ℡ 0226-22-1227
        園児(1~6才)48名。職員7名。
        現地担当者;藤村甚弥・宿浦分教会後継者
   ② 8日 14時00分  気仙沼市 階上(はしかみ)中学校仮設住宅集会所
        気仙沼市長磯中原125 
        96世帯。自治会長 菊田省一氏
        現地担当者;藤村甚弥・宿浦分教会後継者
   ③ 9日 10時35分  陸前高田市 矢作(やはぎ)小学校
        陸前高田市矢作町字神明前55-1  ℡ 0192-54-2023
         校長;黄川田敏朗先生
        児童71名。職員 名。校庭に仮設住宅 約30軒。
        陸前高田市体育協会事務局長・菅野修氏より紹介。
        昨年8月に、学園高校和太鼓部が訪問演奏し、好評を博した。
   ④ 9日 14時00分  釜石市 小川(こがわ)地区サポートセンター
        釜石市桜木町1丁目1   ℡ 0226-32-3146
         センター長:浅野氏(ニチイ学館) 仮設住宅約100軒。
        現地担当者;大谷將司・釜石港分教会長
        一昨年夏、学園高校和太鼓部が演奏。
   ⑤10日 10時30分  宮古市 「ODENSE(おでんせ)2」(鍬ケ崎地区集会所)
         宮古市蛸の浜町1-21
        現地担当者;高橋邦之・宮古分教会長
        震災後、ボランティア団体によって、個人住宅跡地に建てられた建物。
        宮古市社会福祉協議会が常駐。
        ボランティアセンターを通して実施が決まる。

メンバー
  栄嶋 道広(ヴァイオリニスト・フリー) …1stヴァイオリン
  前田 友子(ヴァイオリニスト・フリー)  …2ndヴァイオリン
  金   有里(ヴァイオリスト・フリー)   …ヴィオラ 
  孫工 恵嗣(京都市立芸術大学大学院1回生) …チェロ
  熱川千寿子(声楽・フリー)    …ソプラノ
  才加志仁明(敷島大教会准役員)        …運転
  永井 一吉(名須晴分教会後継者)   …運転
  高田 和幸(月龍分教会後継者)        …庶務、会計
  永田 昭道(秋津城分教会後継者)    …記録
  河路 純子(甲賀大教会所属)         …庶務、賄
  吉田 義晴(神之倉分教会長)【9日朝~10日朝】…生活、運転
  崎山 道範(梅乃原分教会長)【9日朝~10日夕】…渉外、進行

以上です。
教祖、皆さまよろしくお願いいたします。m(_ _)m

教養掛を終えて

2013年04月30日 09時09分47秒 | 思った事
27日に修了した修養科生をお連れして、大教会へ。
ゴールデンウィーク始まりの土曜日という事で、渋滞を予測していたところ、全く無し。
順調に午後4時前に大教会へ到着。

実はこの27日の昼頃に、先月修了された方の旦那さんからメールがあった。
この方は、地元に帰り診察したところ、治療方法が無いと言われていたものが、治療が出来る状態にある事が分かり入院されていた。
それが、「明日から抗がん剤の治療をする」というメールだった。
そこで、修了生と共に、詰所を出てから神殿でお願いづとめをして名古屋に向かったのだった。

思いの外早く大教会へ着いたので、お見舞いに行くことにした。
ご主人に連絡を入れると、大教会から片道40分ほどとの事。
カーナビを頼りに1時間ほど掛かって病院に到着。

転移した癌をひとつずつやっつけていくとの事。
修了した修養科生におさづけを取り次がせて頂いてくださいと申し上げると。
即答で「はい」との返事。一ヶ月前には、「私には・・・」と拒否されていた方が、迷いもせずに返事をして下さった。
そして「頭だけをさせて頂きますので、後は先生がお願いします。」と言われるので、後の6箇所は私がさせて頂いた。

大教会へ帰る途中、車内で「よくおさづけを、迷わずに取り次がせて頂けましたね。」と尋ねると
「このひと月、色んなことを見せて頂きましたから(^^)」と答えて下さった。

本当に不思議なひと月だった。
突然腰が痛み出して寝込んだ修養科生が、これまでの事をお詫びして心定めしたところ、翌日には歩けるようになるというご守護を見せて頂いた。(いんねんの現れはそのままだが・・・)
親神様は、いんねんを切り替えるようにと、教祖を通してこの教えを教えて下さった。
すぐさまにいんねんは切り替われない。
けれども、願う誠を受け取って、大難は小難にとお働き下さっている。
「深いいんねんだが、いつも心を見ているぞ。うそ・ついしょうは嫌いや」と言われていると思うと共に、
道に付いた信仰の初代は、かしものかりもの・八つのほこりなどのお話を聞かせて頂いて、自らの歩み・心をお詫びしてご守護を頂かれたその姿を見た気がした。

身上や事情の本人だけが助かる道ではなく、その方を通して周囲も共に助かる道である。
そのための、かしものかりもののお話。
心一つに貸し与えられた身体。
身体がかりものならば、周りのものすべてがかりものである。
妻も夫も子供も、嫁も姑も全てかりもの。
それぞれの心に与えられた借り物なのである。

この事をしっかりと心に定めて、補い合って助け合って日々を通りたい。

教養掛もあと少し

2013年04月22日 13時05分39秒 | 思った事
教養掛も残すところ一週間となって来た。

修養科生のお世話を通して、親神様・教祖が私たちの心を済ますために、あの手この手とお導き下さっていると実感している。

それが実感できる修養科は本当に素晴らしいと思う。

教祖は「こうきを作れ」と仰った。
こうきを作るように心がけたいと思う。

喧嘩と地震からふと思いついて、『いんねんの理合い』

2013年04月13日 18時00分12秒 | 思った事
昨日、教会の月次祭を終えて、夜詰所に帰って来た。

うちでは、子供たちを月次祭に休ませてつとめさせている。
しかし、子供達は私たちの性分そのままに、いやいやおつとめに出ている。
(おつとめの人数が足らず、子供たちが出てくれて16人がようやく揃う)

「いやいや勤めさせるならば、学校へ行かせた方が」と言われる方もあるだろう。
このようにした経緯があるのだが、今回は割愛する。

いやいやつとめる子供達、気分の良い時は自ら進んで出るのだが、気分が乗らないとなかなか動かない。
始めの頃は何とかして出そうとしたが、ある時から数度言っても聞かなければ、無理に出さずに下の子を見るように言いつけておつとめに掛かるようにした。

そうした中、中学生になるとそれなりに前後半すべて出てくれるようになる。
ところが昨日はどうしたことか、中学生の次男が後半下りになかなか出ようとしなかった。
それを見て、大学生の長男が強引に出そうとしてけんかのようになった。
長男が自ら何とかおつとめに出るようにと世話を焼く事はなかった。
しかし、私の子供なのでうまくおだててという事は出来ないので、喧嘩状態になったのである。
私の性分が出たなぁと、心で詫びながら二人の間に入る。
何とか治まり、次男もおつとめに出た。

会長の挨拶をする時には、騒々しい様になった事を、皆さま方にお詫びを申し上げた。
一番末の子がいつも騒がしいので、お詫び申し上げる事は度々なのだが、今回のように大きな子供の事でお詫びするのは初めてで、これからが難しいなぁ。心して通らせて頂かねばと思った。

そして、今朝地震があった。
震度6弱と知った時には、阪神大震災と同じ被害が出ているのでは?と思った。
しかし、それほど大変な被害にはならなかったようで安心した。

今日は昼から部屋で修養科修了生の祭文の手直しのあと、高井猶久先生の『いんねんの理合い』を読みかけてふと、この本の紹介をしたいと思った。

以下一部分を抜粋する。

【ふしにあたっての思案】p28~30
 この道を信仰する私たちお互いは、親神様のご守護を求めて信仰しているのであります。言い換えれば、身上や事情など、煩わしいことがないように、お互いに仲良く元気に日々を送り、人生を楽しく過ごさせてもらいたいということを願って、信仰しているはずであります。神様のご守護を願うからには、やはり、ご守護を頂けるように、日々に自らが勤めねばならんことは、当たり前のことであります。
 私は、この道を信仰しておられる方々というのは、他の宗教を信仰しておられる方々に比べますと、非常に熱心だと思っております。みなさん真面目にコツコツと、熱心に信仰生活を続けて下さっておられる方が多い。しかしながら、反面、お道を信仰している多くの人たちは、教理の勉強不足が多いのではないかと思われるのであります。たとえば、身上や事情が我が身の上に起こってきますと、「悪いことをした覚えもないのに、なんで自分がこんなことになったんだろう」「人様に迷惑もかけず、真面目に人生を歩んでいるのに、なぜ自分がこんな苦労をせにゃならんのか」と思って心を倒し、不足をしてしまい勝ちであります。
 私たち道の者は、身上や事情、その他いろいろなふしを頂いたとき、信仰の上からの理の思案というものがなければなりません。ところが誠に失礼な言い草ではありますけれども、道の教理をきちっと勉強していないことが多いが故に、なぜそうしたふしを見せられるのかがわからない、といったことになってしまうのであります。そうしたわけが分からないことを、世間一般では、運命だとか宿命だとか、悪い星の下に生まれたんだとか思い込み、そして、自分の智恵や力ではどうにもならず、逃げることもできず、ただ諦めていることが多々あるのです。かといって、辛いことは辛いし、苦しいことは苦しいのであります。諦めるに諦め切れず、辛い苦しいが故に、またほこりにほこりを積み重ねてしまうということにも、なってしまいやすいんです。
 そういった人間に理解しがたいことを「成ってくる理」、「いんねんのあらわれ」とお教え頂いているのであります。


【説けなかった正しい教理】p31~37
 ところが、このいんねんというものも、お道を長い年限お通り頂いている方でも、ともすれば「いんねん」という言葉を、世間一般でいうところの「運命」と同じようなニュアンス(感覚・意味)で使っている。ですから、そうした身上や事情を頂いて、それがなかなか解決し切れないときには、「うちは因縁が悪いんや」とか「うちは徳が無いんや」というて、座り込んでしまうことがよくあるのであります。そして、そういうところへ、今度は「たんのう」という言葉を持ってくるんです。たんのうとは、十分に満足する、あるいは喜ぶということですね。ところが、この「たんのう」という言葉を、「辛抱」という言葉に置き換えてしまって、知らず識らずのうちに、辛抱あるいは、我慢と同じようなニュアンスで、「たんのうせんならん」と言うてしまう。言うた人も言われた本人も、そう思い込んでしまっている。そしてまた、いんねんを切るという上から、「いんねんを切らせて頂きましょう」「さあ、おつくしをさせて頂きなさい」と言うことが誤解されて、「金が要る」といった世間での悪評になっていくんです。そんな悪評にまどわされて、この道からはなれていく人もないとはいえません。
 天理教の根本教理というものは、教祖ご在世当時から、政府の弾圧を受けて来ましたので、教理を堂々と表に出せませんでした。教理を誰はばかることなく表に出して、説けるようになったのは、太平洋戦争が終わった昭和二十年以降なのです。それまで初代の先生方たちは、教祖からお聴かせ頂いたお話を、次の世代の人たちに伝え、それを聴いた人たちが、また次の代の人へ伝えていく……というように、いわゆる口伝えで、今日に及んでいることが多いのであります。そうして口から口へと伝わってきたその過程に、おたすけをした人たちのおたすけ話、さとり話といった話と共に、肝心なことが説き忘れられたり、あるいは、ちょっと方向が違った解釈がなされて、それがそのまま伝えられたり、取り違いというようなことも、ないとはいえない。それが今日に至るまで尾を引いていることもあるのであります。とくにこのいんねんの教理というものに関して、あるいは、おつくしに関して、世間一般から誤解され、その後遺症が未だに残っているのであります。
 信仰をさせて頂きながら、何か悪いことが起こると、すぐに「いんねんだから仕方ないんや」と思い込んで座り込んでしまっている人も案外多いのであります。
 このいんねんというのはいったい、どういうものなのでしょうか。お道を信仰する者にとりましては、昔から「いんねんの自覚が大事である」といわれているように、このいんねんということが分からなければ、さんげのしようもなければ、お詫びのしようもない。ひのきしんの意味も分からん、おつくしの意味も分からんということになるのであります。
 現在、信仰しておられる大勢の方々の中には、これまた失礼な言い方ではありますが、もう一つわけが分からないまま、信仰しておられる方もおられると思うのであります。しかし、お道を信仰していらっしゃる方々というのは、教えられたように熱心につとめておられるのです。
 上級なり、会長さんからおつくしの話があれば、お供えをする。ひのきしんに来るように言われれば、仕事が忙しい中でも、時間を作ってひのきしんにも出てくる。その結果、勤めたら勤めただけ、それなりの神様のお働きを頂きますから、信者さんたちは、それぞれに、神様のご守護というものを、身体で感じておられるのであります。神様のありがたさも十分味わっておられるのであります。
 ところが勉強不足の結果、なかなかそこから先へ進まない。ましてや「さあ、においがけだ、おたすけだ」といわれても、他人に向かって道を説くとなれば、いい加減なことは説けない。また自信もないといったことで、人様にお話ができないということになってしまうのであります。
 とくに身上や事情で苦しむ人たちというのは、大なり小なり皆それぞれに、「なんで自分がこんなことになるのか」と、わけがよく分からずにいる。それが一般世間だけならまだしも、お道を通っている人でも、「一生懸命に信仰しているのに、次から次へと不幸に見舞われる。そうかと思えば、いい加減なことをしていても、結構うまいことやっている人たちもいる。いったい神様はどこを見ておられるのやろうか」「見抜き見透しと仰るけれども、神様ってほんとうにあるのかわからん」というような気持ちさえ湧いてくるのであります。
 そうしたときに「いんねんが悪いんや」とか「これもいんねん、あれもいんねんや。いんねんを納消しなさい」とか、言うてしまうから、「もうこれはかなわん」と、思ってしまうのであります。
 私たちは、こうしてお道を信仰させて頂く限り、「成ってくる理を思案せよ」とお教え下さっているように、日々わが身わが家に成ってくる姿、与わってくる姿に対する、理の思案というものができなければならないのであります。そこで今日は、いんねんということについて、少し詳しくお話しさせて頂きたいと思うのであります。

以上

教養掛中に自教会の月次祭に帰ることから・・・。

2013年04月11日 04時01分07秒 | 思った事
今日は、修養科生を送って行き、そのまま第2専修科生の集まりに参加。その後名古屋へ。
明日自教会の月次祭を終えておぢばへ戻る予定。

数年前から自教会の月次祭に帰ることになった。それまでは、帰れない事になっていた。

月次祭に帰れないことで、教会の留守を預かる人々が変わって下さった。
また今、月次祭に帰る事で、詰所で私の代わりをして下さる方の修練の時となり、私はおぢばの様子、おぢばでのお働きを伝える事が出来る。ありがたい。

自教会の月次祭に帰れても結構。帰れなくても結構。

「御用を真正面から受けて通る中に、教祖の不思議なお働きがある」と先人の先生の話を聞いた。
聞いていた時は半信半疑だったが、やってみたら成程と得心をしている。

今日も一日、全てのお与えを喜んで通りたい。

天理医療大学入学式

2013年04月04日 07時15分38秒 | 思った事
昨日、天理医療大学の入学式にした。

娘が無事に入れて頂き、気にはなっていたが、教養掛で出席出来ないとはじめから思い込んでいた。

前日の夜、私の母親から「明日入学式だよね。時間があるのならば、行きなさい。折角おぢばにいるのだから・・・」と電話が入った。
こんな電話が母親から来るのは珍しい。
はじめから、行けないと思っていたので、時間も場所も聞いていないので、早速娘に連絡を取ると、式だけには何とか行けそうな事が分かり、出席をした次第である。

天理看護学校から医療大学へと変わった事は知っていたが、その雰囲気を初めて味あわせてもらい、お道と世間の中間の存在という感じを受けた。

私自身が、色々な病気で、入院を何度もして「医者も薬も修理肥」と聞かせて頂く言葉をすごく実感している。そして巡りあった看護師さんの態度から、看護の心の素晴らしさも感じてきた。

諭達にある「人を思い、寄り添う心」この心をどうか持って、技術を習得してもらいたいと思った。

「かしもの・かりもの」が分かってくれればもっとありがたい。

教養掛にて

2013年04月01日 17時23分34秒 | 思った事
先月の25日から教養掛で詰所にいる。

昨日3月31日に、ガンで寝たきりになり、治療方法も無く8ヶ月おぢばで、2度の修養科生活を送られた方が、車椅子に乗って地元へ帰られた。

出発する朝、おぢばへ来て初めて朝づとめに参拝出来た。

本人が望まれたスッキリとした御守護の姿ではない。しかし、心に明るさが生まれて、笑顔で出発をされた。

本当におぢばは不思議なところ。
ありがたいところである。

後に残ったものは、心にポッカリ穴が空いたようで、昨日一日ボーっとしていた。

墓地掃除

2013年03月21日 19時51分48秒 | 思った事
今日は、とても良い天気の元、昼から3時間半一人で、お墓地の草抜きをした。

いつもは、誰か子供を連れていくか、妻がするのだが、どういうわけか、子供を連れて行くことすら思いつかずに私一人。

大きくないが、二つのお墓の大量の小さな草を、コツコツとモクモクと抜いた。

全て終わって時計を見たら3時間半が経っていた。

こんなに集中できたのは久しぶりで、何だかとても気持ちが良かった。

メタボ検診・・・

2013年03月19日 11時57分06秒 | 思った事
年度末で、無料検診の期日ギリギリという事で、今朝検診に行ってきました。

行ってもどうせ「メタボ」です。
食事療法・クスリ療法どうしますか?と言われることは分かっています。

食事療法、運動療法で改善されることも、以前の検診で体験済であります。

しかし、その後が続かない。これが私の性分(^^;)



16日 妻の出の教会(埼玉)へ一斉巡教に出させて頂きました。

義母は介護施設へ入所中なので、その様子を見舞いがてら、妻も連れて、車で出かけました。

その教会の会長さんは、ご主人がご存命の頃はとても元気な会長さんでしたが、出直されてからは、信者さん方の高齢化やお出直しなどで、今は元気を無くされています。(会長さん自身も高齢です)
ですので、上級(北海道)の会長さんに来て頂いて、司会などの世話をして頂いての巡教でした。

月次祭に来られた信者さんの数は、うちの教会よりも多い人数(うちの子供を除いて)なのですが、人数が無いからと女鳴物も出ていない状態・・・。

これまでの一斉巡教は、朝から体調も良く、元気に出させて頂けたのに、今回の巡教は朝から背中が痛み、嫁さんに揉んでもらって臨む始末。
「なんだろう?」と思いながらおつとめをつとめさせて頂く。

どうも女鳴物が出ていないことが気になり、前半下りが終わってトイレ休憩をしている時に、思い切って「女鳴物を出しましょう。調弦します。」と申し上げて、女鳴物を出し、琴だけを入れる。

後半下りになったら不思議と背中の痛みが無くなっていた。

女鳴物といえば、
うちの部内教会でも、私が会長になった時には、「人数がないから、やる人が無いから」と女鳴物が出ていなかった。
妻も「ひのきしん」という言葉も知らずに結婚して、修養科を出たばかりだったから調弦もできない状態。
「やる人がなくても出してください」とお願いをした。

そこで、大教会から毎月女鳴物の先生に来てもらって、練習会をすることに。
信者さん方は、ある程度出来るようになると来られなくなる。
信者さんが来なくても、妻の練習になるのだからと、何とか2年ほど続ける。
その中、部内教会の会長さんのお嫁さんが胡弓を学んで下さり、月次祭に来ると胡弓をしてくださるようになった。
(そして10数年経った今では、孫さんも女鳴物に出てくださる。)
また、その御陰で私は調弦が出来るようになった。

そんなこんなで、月次祭も無事終わり、巡教のお話も終った。

直会の席上で、腕の痛みを堪えながらも太鼓をしてくださっていたご婦人の話になり、直会後におさづけを取り次がせて頂くことになる。

上級の会長さんが帰る時間が迫り、急いで駅まで送る。

おさづけの事を気にして教会へ戻ると、即座に
「先生がおられなかったので、今、奥さんにして頂きました。」と嬉しそうに声をかけて頂く。
そして別の方にもおさづけを取り次がせて頂いている姿を見させて頂いた。

幼い頃世話になった方々に、妻が臆すことなくおさづけを取り次がせて頂く姿を見て、
この20年の教祖のお導きをありがたく思った。

巡教を終わって、会長さんはじめ皆さんがとても喜んで下さいました。
神様の綱をはなさぬように、何とかその喜びが続くことを願うばかりです。

親神様・教祖ありがとうございました。

月次祭終了しました

2013年03月12日 22時33分03秒 | 思った事
ただいま、夜の参拝の方が帰られて、三月の月次祭無事に終了しました。

今月は春休みで、子供たちが全員揃って、おつとめの手も16人何とか揃いました。

本日の直会では、31日に行う少年会おつとめ総会の模擬店に出すデザートの試食を行いました。

皆さんに好評で、30日の午前中に皆さんに集まって頂いて作る事にもなりました。

私は教養掛で不在ですが、昨年から一歩進んだ行事になりそうです。(^^)

お出直し

2013年03月03日 23時08分06秒 | 思った事
3月1日に、信者さんがお出直しになった。

仏式でのお葬儀なので、参列させて頂いた。

月次祭に来てくれる人々には、様子を伝えて、皆で痛みだけでも止めて頂きたいと願ってきた。

ありがたくも不思議と止めて頂き今日まで来た。

そして最後は、奥さんにお礼を書き残して、奥さんに看取られながら、静かに息を引き取られた。

さらには家族の者が予想していた以上の、多くの方のお見送りを頂いての葬儀だった。

詳しいことは書けないが、親神様の時の御守護と十全のお働きと、おさづけのありがたさをつくづく感じさせて頂いた。

親神様・教祖ありがとうございました。

時の御守護

2013年02月28日 09時15分46秒 | 思った事
おさしづに、刻限というものがある。

その「時」に教えなければならない事を、神様からお話くださるおさしづと私は理解している。


立教の時には、「旬刻限の到来により・・」と子数の年限がたったその時に、親神様がこの世の表に現れられた。

また、おびや許しのお話に、「のばしなりとも、早めなりとも」とのお話がある。

さらにおさしづの中には、「遅れているだけ」という意味の言葉を見ることができる。

春夏秋冬のように、定められた時はある。それが理だと思う。

しかし、それぞれのいんねんで定まったことも、親神様はその時の人の誠真実の心を受け取って、特別にお働きくだされて、よいように時を調整してくださっているようにも思える。

ところが、その一番良い時が、私たちにはわからずに、いらぬ心を使ってしまうようにも思える。

占い師など時を見るような人がいるが、凡人にはそのような事は分からない。

分からないのならば、無理にわかろうとせず、心通りに良い時に良いように導いてくださる親神様を信じて、今の時を精一杯、誠真実を出せるように勤める事で良いのではないだろうか?