葦津泰國の、私の「視角」

 私は葦津事務所というささやかな出版社の代表です。日常起こっている様々な出来事に、受け取り方や考え方を探ってみます。

運転免許更新高齢者講習を受けて

2013年04月20日 17時37分05秒 | 私の「時事評論」


 忍び寄る老化どころではない

 運転免許の期限切れが目の前に迫った。実は自家用車は息子一家が我が家に転入してきたのを機会にすでに処分した。三年前、彼らが同居してすぐの時期、老妻と乳飲み子の相孫を乗せて、通い慣れた鎌倉市内の目抜き通りの三差路を右折するとき、雑な運転で車の右腹をぶつけ、そうそうあれは初めての高齢者講習を受け、免許を更新した直後に己が老化を知らされた最初の事態だった。知りたくない、そして認めたくないのだが、事故を起こして私は自分が忍び寄る老化現象にすっかり侵されている現実を痛切に知らされた。
 それまではあまり事故もなく運転を続け、30年間無事故無違反で県知事表彰まで貰った私だ。それがこの時、やっちゃったのだ。前方の信号では、車の流れが円滑に流れずに一信号で一台か二台しか左折できない。その先の車が思うように進めず入り込めないのだ。そこで信号直前まで左折しようと、細い一方通行の道路の交差点直前で左の車幅を大きくとり準備していたのを、とっさに右折の裏道から帰ろうと変更し、確認をいい加減に安易に右折、右の後輪付近を視線の下にある、頑丈な歩行者向けの鉄の柱にぶつけてしまった。ガツンと音がしたのに驚いたが、面倒なのでさらに前に進んで抜けようとして大きな損傷。

 息子一家はここから二時間ほど高速道や渋滞道を通り、東京郊外の旧武蔵野・多摩川沿いの団地にあった。そこまで昨秋に彼らの引っ越しが決まって以来、毎週週金曜の夕方と日曜夕方には往復していたのであまり老化による不注意の増加の意識はなかった。一家が引っ越しの荷物整理ができるように、小学校入学を前にした長男の孫や、今回同乗させていた生まれたばかりの息子を預かるために往復していたのだ。だが、自分に忍び寄る避けられない影はどこかで意識していて、注意をしているつもりだったのだが、ほんの目の前の駅裏の買い物だという気の緩みが、背後に影響していたように思う。

 私はそれまでは自分の足代わりにしていた車を手放し、ただ免許証があるので息子や嫁が駅まで行くのに同乗してそこから家まで戻ってくる帰路や、どうにも運転を頼めないときの臨時の買い物運転などに限って、息子たちの車を借用するだけで三年を過ごしていた。

 そこにやってきた今回の免許切れだ。もう本格的な運転をしようとは思っていなかったが、大家族で過ごしていて、娘も二人近所にいて、彼女等も頻繁に駅から我が家にやってくる。息子夫婦もここ鎌倉に慣れてきたし、嫁さんのストレス解消にも、スープの冷めない同じ市内にセカンドハウスでも設けて、ときには「鬼の居ないところでの息抜き」も欲しいというので、緊急時の運転をもう三年だけは、免許証の更新だけはやってみるかと考えて老人講習に参加した。

 恐ろしい変化

 だが結果は自分にとって驚かされる状況だった。一口で言うと、三年の間にここまで人間の体は老化するのか。それを痛感させられるものだった。講習は満70を超えた老人に義務化されている。認知症など、口は悪いが「ボケ検査」というもの、視力がまともかという「眼の検査」、それに運転に耐えられる「反応検査」ともいう機械を使ったシュミレーションテストという三本の柱が中心で、それに自動車教習所が会場だから、そこで運転の実技を再確認して終了する。
 「呆けテスト」16枚の絵を次々に見せる。そのあとすぐにはテストせず、数字を並べた表を見せて、そこから指定した複数の数字をチェックするテストをして、それが終わったところで先ほどの絵をどこまで思い出せることができるかという二つのテスト。
 数字のチェックは簡単だった。時間のうちにすべてが終了。次の順不同であっても良いから16枚が何の絵だったかという思い出しテストも、次いでそれらの絵のうちの乗り物は何だったか、果物は何だったか、楽器は何だったかという書き込みテストも、何とかす一つ少ない15問だけは書くには書けたが、なんとどちらも一つずつの図柄が思い出せないではないか。ど忘れというか、私の日常生活を振り返っても、思い出そうとすればただそう思って焦るだけで、いよいよその記憶がその場では浮かばない。それは確実に脳の老化ということなのだろうが、痛感させられるものであった。帰ってきたテストの結果は、これだけは5段階評価の5になっていたが、採点が良ければ安心というものではない。時間が残ってしまっても思い出そうとすると頭が固まる、自分の年齢が痛感された。そうだ、この誕生日、私は77(数え)の喜寿の年だ。長寿祝いは数え年でする。頭の柔軟性にもどこかくたびれが出ているのだな。
 視力、とくに動体視力や反応テストはひどいものだった。眼が確実に悪くなっている。眼鏡の度も合わなくなった。一週間前に角膜に傷がついて眼医者に行って、いま角膜を保護する粘膜を点眼している。反応テストの条件を間違えて、テスト中に気がついて修正した。弁解しようとすればいろんな条件も重なったが、教習所の教官は「大丈夫ですよ。これなら通りますよ。ただ、眼鏡の度だけはできれば調整しておいた方が良いですね」などと言ってくれるのだが、3年前と比較して、その進行ぶりに愕然とした。

もうやめた方が良いな

 物理的に免許を更新することは可能だろう。だが、ここでの免許の更新は良いのだろうか悪いのだろうか。考えさせられう数時間であった。
 私は一人で生きているのではない。人が集まり協力し合う社会の中で暮らしている。その中で、こんな不安を持っていることを承知して、それでも免許を更新してよいのだろうか。不注意に子どもが路地から飛び出してきた時にどれだけ対応できるだろう。二つ三つの危険な条件が重なった時に、どれだけ機敏に正確に動けるか。
 いま、自分の周辺で起こった経験が、何やら「いい加減にあきらめろよ」との神の暗示であるような気がしてくる。大体、眼の中に入れても痛くない孫息子を乗せながら、三年前にミスをした。あれだってもう、運転をやめろよという暗示だったのではないか。この講習の直前に、朝方急に目が痛くなって、慌てて眼科に診断に行った。どうしたことか、私は眼科が大の苦手で、この年になるまで、進んで眼医者に行ったことはないし、目薬を注そうと思っても眼を開けられない臆病者だ。それが迷わず眼医者にかけ込まなければならない気になったあの痛みは何だったのか。「もうやめておけ」との暗示と受け止めるべきなのではないか。
 あと誕生日までは一週間、おそらく免許の更新は諦めることにするだろう。いくら免許証など持っていても、夜などすれ違った直後の動体視力などは、呆れるほどに低下している。年よりはハンドルを持つよりも、夜の晩酌を楽しんで、ゆっくり過ごすのに適している。どうしても動かなければならないのならタクシーを呼べばよい。
 高い高齢者呼び講習だった。だが、免許更新を諦めたら、なんだかスッと肩の荷が取れたような気になった。