葦津泰國の、私の「視角」

 私は葦津事務所というささやかな出版社の代表です。日常起こっている様々な出来事に、受け取り方や考え方を探ってみます。

震災地へ鎌倉からのメッセージ

2011年04月18日 13時06分59秒 | 私の「時事評論」
震災地へ鎌倉よりのメッセージ

 さわやかな朝
 さわやかで少しひんやりとする鶴岡八幡宮の朝だった。今日の行事の成功を祈念して皆の集合場所に行くと、素手の仕事用の衣装に着替えてきびきびと皆は立ち働いている。本日の主役の馬たちはこの気候がすっかり気に入ったらしく、いつもより張り切っているように見える。
 朝礼の後本日の射手たちは馬とともに流鏑馬の参道に。ここの馬場は南北に連なる神社の参道に直角になる東西方向に参道と正面でクロスしている。800年前の頼朝の時代から、流鏑馬を奉納するために設計された馬場であり、1、2,3と続く三つの的の2の的とかつては頼朝も眺めたとされる正面席を過ぎたところで鎌倉海岸から山上のご本殿まで一直線に続く表参道を横切る。
 そのため、馬が馬場を駆け抜けるときには、参道にロープを張って参拝者を規制しなければならない。鎌倉の八幡宮は古都鎌倉の中心的名所で、首都東京からも近いため、全国で参拝者の最も多い神社である。しかも季節は花の候、東北大震災に遭った人の気持ちに配慮して一カ月ほどはここ鎌倉も自粛ムードが漂って、観光客も激減していたが、自粛ばかりではかえって日本の経済は縮小し、復興の力も出ないとの呼びかけで、花の候とともにまた、参詣に来る人も急に増えてきた。参道の遮断は彼らに負担をかけることになるが、みな快く協力をしてくれた。
 神事は午後の一時から始まる。だが境内は昼前から、東北復興協賛の「天長地久、鎌倉から」と刷り込んだリストを買い、馬場に設けられた椅子に座って開催を待つ人、あるいはせっかくだから練習風景だけでも参観しようとの人たちでごった返し、要所に設けられた募金の箱には見る見るうちに参拝者の浄財が集まった。

 盛大に行事始まる
 午後一時、参進開始、その昔、静御前が九郎義経をしのんで舞を奉納したと伝えられる舞殿で復興早期祈願の神事の後、ぎっしり詰めかけた協賛の拝観者、それにこの機会に拝観しようとの一般参拝者の前で流鏑馬の披露、終わって射手たちも復興義捐金の募金に協力した。参道には我々のほかに、鎌倉観光協会の呼びかけにオール鎌倉として参加した地元鎌倉市をはじめ各主団体、鎌倉まつりが中止されなかったら各種行事で活躍が期待されたミス鎌倉はじめ多くの人も加わったが、装束のままで演武を終わったばかりの射手たちと協賛ののち一緒に記念写真を撮る人などが続々と続きなかなかの盛況。予定の時間が過ぎても続々と申し出でがあってどこでけじめをつけるか迷うほどの活況。鶴岡八幡宮での神前での東北地方へのエールは、久しぶりの明るい雰囲気を醸し出していた。
 私も今回の復興企画に流鏑馬の奉納奉仕をした大日本弓馬会にかかわる者の一人である。この鎌倉の地から、縁故も深い東北の地に送った「元気を出して復興に励んでください」との励ましの声が、鶴岡八幡宮の大神さまの後押しを受けて、そのまま伝わることを確信した一日だった。
 行事が終わり、事故もなく盛大に行事が終えられたことを大神さまに感謝し、皆で無事成功を祝い合うささやかな直会には、鎌倉市長や観光協会の会長も喜んで参加してくれた。
 一日晴天の中を走り回った身体にしみこむような酒の味だった。