池上彰が朝日叩きに走る新聞、週刊誌を批判 他紙で掲載拒否をされたことを告白(リテラの記事より)
ある時、キリストは若い女性が民衆から石を投げられているところにあいました。
事情を聞くと「彼女は売春の罪を犯したから罰しているのだ」ということです。
そこでキリストは「ならば、今まで罪を犯したことがないものだけが石を投げなさい」と言いました。
その女性が貧しさのために泣く泣く娼婦になった者だったらキリストの言うことはもっともです。
では、石を投げられていたのが娼婦ではなく、ただの無差別殺人犯だったらどうでしょう?
キリストのリクツで民衆を納得させるのはちょっとむずかしいと思いますし、キリストもそうは言わなかったでしょう。
つまり、キリストのリクツは罪の程度で通用する場合とそうでない場合があるということです。
次に、石を投げる側の人についても考えてみます。
凶悪殺人犯が「殺人は絶対してはいけない」といった場合、それは正しいのでしょうか?
上記事のように池上さんの記事を掲載拒否したメディアが「朝日新聞が記事の掲載拒否はいけない」といっていいのでしょうか?
どんな素性の人が言ったところで、その主張自体は正しいということはありえます。
「自分もちょっとはやっていることだし…」と批判を遠慮されては、社会の自浄作用はうまく働きません。
かといって、その批判が開き直りとしか取れない厚顔無恥なものだったら、誰も聞いてはくれないでしょう。
一連の朝日新聞問題で、産経新聞の検証は特に意義が大きかったです。
が、最近でも問題発覚後になおSTAP細胞作成成功を報じるなど、トンデモ記事の数において産経の右に出るものはいません。
何かを批判をするときはそれまでの自分の顧みつつ、言うべきことは言うというのが正しいんじゃないでしょうか。
自戒を込めて。
※web小説‐伝承軌道上の恋の歌‐初めから
サン・ピエトロ教会のピエタ(左)と東京カテドラルの模造のピエタ(右)。実物だとマリア様がかなり大きいです
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