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日々の出来事から国際情勢まで一刀両断、鋭く斬っていきます。コメントは承認制です。但し、返事は致しませんのでご了承下さい。

私の視点 福井日銀総裁の扱いにひと言

2006-06-17 22:37:53 | Weblog
 福井日銀総裁の村上ファンドへの関与が取りざたされているものの、今ひとつ世論の盛り上がりに欠ける。それは、いつも私が書いていることだが、マスコミの報道に原因がある。今朝の主要各紙を見ても分かるように、関連記事はほぼ一(トップ)面から消えてしまった。確かに、今日もちらほらと散見できるが、あまり目に付くものではない。また、これまでにも批判的な取り上げ方をしているが、普段の勇ましい報道振りからすれば大人しいものだ。

 この問題を、秋田の男児殺害事件のように連日、「てえへんだ、てえへんだ、お上の台所を牛耳る金庫番がとんでもねえことをしでかしやがった」と、報道しまくり、本人を付回すだけでなく、家族や関係者まで追い回していたら、怒り狂った市民達は日銀の前に押しかけているかもしれない。いや、まあそこまでいかないにしても、小泉さんが落ち着かない状態に追い込むことは出来るはずだ。

 ところが、マスコミは、相手が一市民であれば正義を振りかざして平気で袋叩きにするのに、藤井総裁のような公人になると、追及の手を途端に緩めてしまう。いや失礼、「過熱報道」にならないように「気を配る」。

 こういったマスコミ報道のその訳は奈辺にありやと聞かれることがあるが、私はズバリ、現場(取材と編集)の人間の意識の問題と答えている。具体的に言えば、原稿を書く記者(TVの場合はディレクターや記者)や、上がってきた原稿の生殺与奪の権を握るデスクに「本質を見抜く」眼がないからだ。

 秋田の男児殺害事件のマスコミ報道について書いたように、過熱報道がどのような波及効果をもたらすか、という視点すらない(持てない)人たちに、藤井総裁の問題の本質を見抜けというのはどだい無理な話かもしれないが、自分の置かれた立場を冷静に見つめれば、そんなに難しいことではない。

 新聞記事や専門家の論評に、「民間人であった時にやったことだから問題なし」とするものも見受けられるが、冗談ではない。だとしたら、日銀総裁になる時、ファンドを処分しておくべきであったはずだ。藤井氏の釈明を聞いていると、そんなことも分からないのかと情けなくなってくる。また、記者会見でそのような釈明を聞いて、藤井氏に突っ込んだ質問が出来ない記者も記者だ。

 日銀と言えば、一国の経済の根幹部分を牛耳る中央銀行だ。米国で言えば、連邦準備制度理事会(FRB)、英国では、イングランド銀行にあたる。国の経済に関わる情報の全てを握るだけでなく、銀行への貸出金利や世の中へのカネの出し入れを操作出来る、経済政策のいわば「本丸」だ。そのトップである総裁がこんな投資に手を染めているというのは、日銀の役割を分かっているものであれば、いかに許されない「悪事」であるかということは分かるはず。案の定、米英国の新聞は、この問題に手厳しい論評を加えている。

 このブログの読者には、少なくないマスコミ関係者がいる。これを読んだら今からでも遅くはない。社を挙げてこのような不正を質すキャンペインを張ろうとデスクを含む編集幹部に迫ろうではないか。そして、このような非見識で、非常識、なおかつ厚顔無恥な男を総裁の座から引き摺り下ろすまで論陣を張ろうではないか。それでこそ、あなた達もジャーナリストだ。

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