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日々の出来事から国際情勢まで一刀両断、鋭く斬っていきます。コメントは承認制です。但し、返事は致しませんのでご了承下さい。

戦い済んで…ものすごい長い選挙報告です

2007-04-12 22:51:40 | Weblog
支援者の皆様

浅井からのお願い:珠玉の言葉が散りばめられた報告です。どうぞ、最後までお読みください。選挙戦の写真集を私の公式HP『浅井久仁臣 私の視点』の「さいたま市議選に挑戦」で見られます。


もう御存知の方もほとんどかと思われますが、4月8日のさいたま市議会議員選挙に出馬した「あなたの浅井くにおみ」は、落選いたしました。それも、14人中最下位という、惨敗です。得票数は、1093票でした。

「地盤・カバン・看板」もなく、短期間でよくやったという温かい言葉も多くの方からいただきましたが、負けは負け。言い訳の仕様もない負け方でした。

所詮は、ドン・キホーテ、端から無理な戦いに挑んでいたのでは?と言われるかもしれませんが、本人は、自分をナポレオンと勘違いしたかのように「負けはない」と勝利を確信、全ての設計図を市議としての立場から描いていました。

敗因は、幾つも考えられます。大きな要因としては、私の自分の知名度への過信です。国際ジャーナリスト、英会話スクールの主宰者、ACTNOW代表…その3つの顔が地域の住民にはかなり浸透していると勘違いしていました。また、もし、すぐに結びつかなかったとしても、私の街頭演説する姿を見たり、ポスターや選挙公報を見たり読んだりして、選挙民の皆さんが、「ああ、あの浅井さん」と思ってくれるのでは、と踏んでいたのです。

しかし、たとえ、私の目論見が当たっていたとしても、政治の世界は別なのかもしれません。所詮は、「よくTVに出ていた」「地域の英会話学校の顔」「災害支援で街頭募金を何百回も行なったり、講演や想定訓練をあちこちでしてきた」といっても、それだけのこと。住民にとっては、私が「市議としてなにをしてもらえるか」といったら、全くの未知数。いや、個人的な陳情は受け付けません、と街頭演説で断言しているのですから、住民には私よりも、これまでに何年も地域で熱心に活動してきた、面倒見の良い政治家の方が魅力的に映ったとしても不思議ではありません。

でも、政治不信で凝り固まり、既存の政治家に辟易としている市民は、かなりの数がいるはずです。私はその層に訴えかけてきました。古狸が跋扈する議会を変えて欲しいのなら、しがらみを持たず、胆力を持ち、交渉力を有する、しかも、強力なブレインを有する私を選ぶしかない、とアピールし続けました。

ですから、マイクを使って名前を連呼するような活動をするはずがありません。私の街頭演説を聞いた御近所の商店主が、「アメリカの大統領選の演説を聞いているみたい」と表現するほど、考えを言の葉にのせてしゃべりまくりました。また、サポーターたちにも想いを語ってもらいました。

選挙の街頭演説としては、反応は抜群に良かったと思います。中には、演説を聞き終えて駆け寄って握手を求め、最大級の賛辞をくださる方、カンパを申し出る方、「頑張って」と声を掛けてくださる方…毎日が感動の日々でした。しかし、投票率は前回よりさらに2.5%下がり、43,7%。風は吹かなかったのです。浮動票が全く動かなかったのは計算違いでした。

でも、選挙結果が出た後に、メイルや電話が多く寄せられました。それらを目にしたり、耳にして、直子と私は初めて涙しました。2通のメイルをここで御紹介させていただきます。

 はじめまして。
 南浦和2丁目に住んでおりますAと申します。
 今回の選挙で浅井さんに票を投じた1093人のうちの1人です。
 ひとこと浅井さんに「お疲れ様でした」と言いたくて、パソコンに向かいました。

 実は、恥ずかしながら、私が浅井さんのことを知ったのは投票日の3日前で
 した。投票日を目前に控え、「さて、今回は誰に投票しようか」と考え始めた
 頃のことです。私の選考の大前提は、“選挙カーで名前を連呼しないヒト”
 です。市民の平穏な生活を妨害する騒音を撒き散らしていながら、厚顔に
 も教育問題や環境問題を論じる、そんな唾棄すべきヤカラに私の大切な
 1票を使う気はありません。そもそもあんな“前世紀の選挙活動”になんの疑
 問も持たないような人間に、議員として新しいことなどできるはずはありませ ん。
 公示後、自宅や職場(南浦和で事業を営んでいます)で選挙カーのスピー
 カーから発せられる名前を耳にするたび、私の候補者リストから1人2人と削
 除していきました。
 投票3日前の時点で残ったのは、14人中たった5人。
 私の耳に名前が届かなかっただけで、選挙カーでガナっていた候補者もいた
 でしょうが、とにかく私はこの5人の中から選ぶことにしました。
 選挙公報をつぶさに読んでいくと、一人の候補者に目が留まりました。
 それが浅井さんです。
 「ああ、モスバーガーの上にある英会話学校をやってるヒトか」
 自宅と職場をむすぶ道沿いにその英会話学校があることは知っていました。
 そして、インターネットで検索した浅井さんのホームページを見て、
 私はどんどん引き込まれていったのです。
 「この、塾とパチンコ屋だらけの南浦和に、こんなカッコいいオヤジがいたん
 だ・・・」
 そう思いました。
 駅をめったに利用しない私は、浅井さんが駅頭で講演されていたのも知りま
 せんでした。
 仕事の合間に過去のブログを読みながら(自営業の特権ですね)、浅井さ
 んとサポーターの方たちの選挙活動を追体験し、「投票するのは、この人しかいない」と決心した次第です。

 ただ、浅井さんのような方が議員になってくれたらと思う一方で、おそらく(少
 なくとも今回は)当選はしないだろうとも思っていました。
 それは決して浅井さんのせいではなく、この南浦和という地域社会がそこまで
 成熟していないと感じていたからです。
 果たして当選したのは地盤・看板・カバンにものを言わせる人たちでした。
 しかしながら、私にとって今回の選挙は、“浅井さんを発見した”という一点に
 おいて、有意義なものとなりました。
 どうかこれからもこの街で精力的に活動を続けてください。
 陰ながら応援させていただきます。

 お疲れ様でした。そして、ありがとうございました。


さらに、もう一通。こちらは、視覚障害者のみゅーさんからのものです。みゅーさんは10数年前、遺伝性の障害で視覚を失いました。みゅーさんはこれまで、「自分が信じられる候補者がいないから」という理由で一度も投票してこなかったそうです。

 Asaiサポーターズの皆さん、こんばんは♪

 昨日、サポーターズのメンバー登録させていただいた、みゅーです。


 宜しく お願い致します。ペコリ

 私は、目は見えませんが、口は達者でぇす。(笑い)

 私には、2人の息子がいます。

 その息子達が、むかしむかぁしASE(私の経営する英会話学校)にお世話になっ
 ていました。

 私が、息子達の送り迎えをしていた時に、

 浅井さんと、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、お話を、させていただいた事が、

 今に繋がる事に、なったと言うわけです。

 目が見えなくなってから、今までいろんな事が、たくさんありました。

 でも、今では立派な視覚障害者となりました。(うん、立派 立派)

 今はこの視覚障害者の世界を、ルンルン楽しんでいまぁす。ニコニコ

 ASEで、もし私を見かけたら、声かけて下さいねぇ♪

 今日、一足早く 投票に行ってきました。はやっ

 ドキドキしながら、南浦和駅の市民の窓口に、トコトコと!

 浅井さん、直子さんに、ガイドしていただいて、生まれて初めて、

 一票投じることができました。

 投票用紙に、名前を書く時に、

 ひと文字 ひと文字に、心を込めながら、書きました。

 書き終わり、選挙管理委員会の方に、「ちゃんと書けていますか?っと、

 確認しました。

 管理委員会の方が、

 「はい、ちゃんと書けていますよ。あっ、もう一人委員の方に確認してもらい

 ますか?」っと言われたので、

 人を信用出来ない私は、「はい、そうしてもらいたいです。」

 もう一人の女性の管理委員の方がこられたので、

 確認してもらい、投票箱へ!

 ここでも、人を信じられない私は

 「これは、市議会議員の投票箱ですか?」と確認。

 そこに立会いしていた方々が、

 「はい、そうですよ!」っと教えて下さり、いよいよ投函。

 私の心が投票用紙を持った指に訴えてきた。

 浅井さん、この一票を、私浅井さんに託すね。

 私達と共に、歩いてね!

 託された責任は重いかもしれないけど、浅井さんと一人ひとりのちから、

 共に これからも歩いて!っと祈るような気持ちで投函しました。

 この初めての、一票 ものすごく私には重い一票でした。

 一票を投じる私の責任も、すごく重く感じました。

 たった一票 投票する私の責任 重い一票!

 投票が終わったとき 涙が出てきて…!グッ

 自分の投票したい人に、投票できた。happy happy

 これが、初めて投票した私の気持ちです。

 この初めての投票 浅井さん ありがとう!

 私達と共に立ち上がってくれて、ありがとう!


私の今回の出馬の動機はいろいろありますが、一番大きなものは、団塊の世代である私が、若い世代に「背中を見せる」ことでした。私の周りに集まったサポーターの多くが、20代30代であったのもそんな目論見があったからです。

変わりました。成長しました。若者たちが短期間にこれほどまでに成長するものかと、これまで多くの若者たちと、ASEやACTNOW、そしてメディア塾を通して付き合ってきましたが、その成長振りに目を見張りました。若者の一人で、家にイソーローをした二十歳の女子大生は朝日新聞の『声』欄に投書してくれています。

 (声)07統一地方選 一票に託す思い 票の重み意識、初めての投票

 大学生 飯島彩音(横浜市戸塚区 20歳)
  生まれて初めて、近所の中学校の投票所に行ってきた。記
 入台を前に少し緊張しながら備え付けの鉛筆で名前を書き、
 立会人の前の投票箱に入れた。あっという間だったが、私の
 投票が日本の政治につながっていることを感じた。
  しばらく前まで、自分が選挙公報を見るなどと思ってもい
 なかった。政治家なんて皆同じだ、スピーカーで名前を叫ん
 で騒音をまき散らしているだけだと思っていた。だから、投
 票できるようになっても棄権するつもりだった。
  しかし、私が続けているNPO活動の関係で、埼玉県のあ
 る市議選に出馬する方の家に1週間ほど泊まったことで、私
 の選挙の見方が変わった。その候補者は「選挙に数百万円か
 ける人もいるが、自分は50万円の手作り選挙を目指す」と
 話していた。全員ボランティアに支えられた選挙戦であるこ
 とにも驚いた。
  政治家なんて、皆同じだと思っていた自分が恥ずかしくなっ
 た。候補者の主張を聞く大切さに気づいた。選挙は、それこ
 そ明日の社会を築く第一歩なのだから自分の目で、候補者を
 選ばなくてはいけないのだと思った。
  だから私は、選挙公報に掲載されている意見を見比べた。
 自分の一票の重みを意識して。


そして、他にも、ジャーナリストを目指す大学生二人と、進む道は違うものの影響を強く受けてくれた大学生たち数名が素晴らしい成長振りを見せてくれたのです。

その一人、山口君が、私と民主党陣営との“大立ち回り”を「浅井くにおみサポーターズ」の掲示板に次のように書き込んでくれています。

 四日間毎日それぞれ色があって楽しかったのですが、今日は 四日間の中で最も 壮絶を極めてました。

 午後三時過ぎくらいだったでしょうか、みゅーさんの記念すべき投票第一号の後、南浦和西口で演説しようと行ってみると、駅の前一面民主党民主党でこれは無理だなと内心思いました。
 今日は鳩山由紀夫氏が、仁和候補の応援演説に来るため、場所を二時間あまりも わぁわぁわぁわぁ占拠していたのです。
 そこで浅井さんが車の外に出て民主党の運動員に何か話かけに行きました…何か いやな予感がしました(笑)どうなったと思います!?

 当然ふっかけていました!びびりましたが浅井さんの主張がどう考えても正し  い。彼らの方法は公選法で禁止されているのみならず、アンフェアです。

 何を言っても党を後ろ盾に動かないやつらの態度に浅井さんは怒り、民主党木村 氏の演説の真横で、浅井くにおみ、演説しちゃいました(笑)鳩山さんが来ようと 私には関係ないと…辺りは、何だ何だと騒然としてましたね。民主党陣営もかな りうろたえてました。もはや衆議院議員の高山さんも陳謝するしかないようでし た…
 結局20分間待つという形で身を退いた訳ですが、その後駅前に出向くと、仁和氏 (市議候補)と木村氏(県議候補)はただ浅井さんに勉強不足でしたと陳謝して ました。
 権力、組織に屈しないという底知れぬジャーナリズムにただ驚嘆ばかりでした  が、又爽快で楽しかったです!!本当にブレない男でしたね。勉強になりまし  た。
 今日の出来事は是非みなさんに見て欲しかったです!

この後、山口君の演説(実は、街頭演説では、サポーターたちにも話してもらっていました)が一変、告示後2日目と選挙戦最終日に応援に来てくれた、選挙をよく知るサポーターが、その成長振りに目を丸くしていました。

その他に、ほんの数週間前まで引きこもり状態にあった大学生の鈴木君が、人の良い好青年から、鋭い視点を放つ「ジャーナリストの卵」へと、これまた驚くほどの成長振りを見せてくれました。

こんな素晴らしい体験をして、選挙結果を嘆いていられますか?だから、結果だけを見て心配されている方もおられるかとも思いますが、私はいたって意気軒昂です。大丈夫ですよ。また、何人もの方からこちらの懐具合を心配して声をかけていただきました。でも、選挙で借金は作っていませんから御心配していただかなくても大丈夫です。

さて、長々と書き連ねてまいりました。
最後になりますが、新妻(2月14日に入籍しました)直子の献身的な寄り添いに触れないわけにはいきません。心から感謝しています。低血圧で寒がりなのに早朝から時に午後11時近くまで行なった「駅立ち」に、身体中にホカロンを貼って歯を食いしばってついてきてくれました。事務局長として、そして伴侶として最高の、まさしく、ベスト・パートナーです。

これからの二人ですが、今はまだ何をやろうかと模索中です。実は、自分を鼓舞する意味もあって、ASEは一つを閉鎖、残る南浦和校は井上に任せ、退路を断って選挙に挑んだのです。ですから、これから私も職探しです。TVの仕事には戻りませんし、離婚貧乏(離婚の際に前妻に全資産を置いてきました)ですので、金銭的な余裕はありませんが、ヤル気十分。新しい道を二人で模索していきます。皆さんの中に、講演で呼んでやろうとか、原稿を書かせてやろう、本を書かせてやろうという、奇特(?)な方がおられましたら御連絡ください。

皆さんの熱い、そして篤い御支援、ありがとうございました。お陰様で、皆さんから頂いたお金だけで理想的な選挙を実践することができました。心より感謝申し上げます。

浅井久仁臣
浅井直子




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