井戸兵庫県知事は12日、「チャンスと言ったのは適切でなかった。世間を騒がせて申し訳なかった」と謝罪したが、持論を繰り返して発言自体は撤回していない。それはつまり、誤っていないのとなんら変わらないのではないか。
私は今朝、兵庫県庁の公聴課と秘書課に本名を名乗り、抗議の電話を入れた。秘書課の女性職員は、知事の代弁をして「決してビジネスチャンスというつもりではない。首都圏に一大事があった場合は対応しなければというのが主旨」と繰り返したが、「関西経済の落ち込みの話題の時に出てきた発言だ。落ち込んだ関西経済をどうしたらいいかという話題の時にこんな発言をすればビジネスチャンスと取られるのは当然ではないか」と言うと、黙ってしまった。
私は仲間たちと募金活動をして神戸市と西宮市で長期間救援活動をやらしてもらったが、その時に仲良くなった被災者達は皆、『次に関東で起きたら行きますよ』と言ってくれている。「チャンスだ」などと言う人は誰一人としていない。いやそれどころか、私の知る被災者の人たちは今回の知事の発言に強い不快の念を持っている。
さらに、「人間、間違いはある。間違ったら潔く深謝すれば、周囲の対応も違ってくるのに、言い訳に終始している。みっともないですよ」と言って、電話を切った。
阪神淡路大震災が起きたのは14年近く前になるが、今でも昨日のことのように思い出される。経験したことを含めて被災地のことや被災者のことを思い出すと身体に震えが来るほどだ。
地震が起きた直後、駅頭に立って義捐金を募ると、一万円札を含めて大金が募金箱に次々に投じられ、初日などは10人に満たない人数で数時間行った募金活動だったが、30数万円が集まった。協力してくれる人たちは口々に「よろしくね」「頑張ってきてね」と熱く応援してくれた。
多額の義捐金と大型のヴァンに物資を満載して我々は被災地に向かった。被災者からは心の底から喜びの声を頂いた。中には涙を流して物資を受け取る人もいた。
我々は、神戸市長田区役所近くの公園にテント基地を設営して活動の拠点とした。そこで寝起きしていたのだが、厳しい冬の寒さは否応なく我々ヴォランティアを苦しめた。公園に設営したテントに吹き込んでくる六甲下ろしの冷たさは、半端でない寒さであった。また、毎夜のように起きる余震も我々を恐怖に追い込んだ。
テントを飛び出ると、地元の被災者たちも起きてきて、「怖いなあ」と恐怖を共有したものだ。そこには安っぽい同情や上下関係はなかった。心の底で繋がる連帯感が生まれていた。
井戸知事は被災当時、兵庫にいなかった人だ。だから、あの恐怖や寒さ、そして連帯感を味わった経験がないのであろう。そうでなければ、あんな軽はずみな発言をするはずがない。一度時間をかけて、あの時被災者がどのような思いをしたか県民達と向き合ってみるべきだ。それでなければ、井戸知事には震災を語る資格はない。
私は今朝、兵庫県庁の公聴課と秘書課に本名を名乗り、抗議の電話を入れた。秘書課の女性職員は、知事の代弁をして「決してビジネスチャンスというつもりではない。首都圏に一大事があった場合は対応しなければというのが主旨」と繰り返したが、「関西経済の落ち込みの話題の時に出てきた発言だ。落ち込んだ関西経済をどうしたらいいかという話題の時にこんな発言をすればビジネスチャンスと取られるのは当然ではないか」と言うと、黙ってしまった。
私は仲間たちと募金活動をして神戸市と西宮市で長期間救援活動をやらしてもらったが、その時に仲良くなった被災者達は皆、『次に関東で起きたら行きますよ』と言ってくれている。「チャンスだ」などと言う人は誰一人としていない。いやそれどころか、私の知る被災者の人たちは今回の知事の発言に強い不快の念を持っている。
さらに、「人間、間違いはある。間違ったら潔く深謝すれば、周囲の対応も違ってくるのに、言い訳に終始している。みっともないですよ」と言って、電話を切った。
阪神淡路大震災が起きたのは14年近く前になるが、今でも昨日のことのように思い出される。経験したことを含めて被災地のことや被災者のことを思い出すと身体に震えが来るほどだ。
地震が起きた直後、駅頭に立って義捐金を募ると、一万円札を含めて大金が募金箱に次々に投じられ、初日などは10人に満たない人数で数時間行った募金活動だったが、30数万円が集まった。協力してくれる人たちは口々に「よろしくね」「頑張ってきてね」と熱く応援してくれた。
多額の義捐金と大型のヴァンに物資を満載して我々は被災地に向かった。被災者からは心の底から喜びの声を頂いた。中には涙を流して物資を受け取る人もいた。
我々は、神戸市長田区役所近くの公園にテント基地を設営して活動の拠点とした。そこで寝起きしていたのだが、厳しい冬の寒さは否応なく我々ヴォランティアを苦しめた。公園に設営したテントに吹き込んでくる六甲下ろしの冷たさは、半端でない寒さであった。また、毎夜のように起きる余震も我々を恐怖に追い込んだ。
テントを飛び出ると、地元の被災者たちも起きてきて、「怖いなあ」と恐怖を共有したものだ。そこには安っぽい同情や上下関係はなかった。心の底で繋がる連帯感が生まれていた。
井戸知事は被災当時、兵庫にいなかった人だ。だから、あの恐怖や寒さ、そして連帯感を味わった経験がないのであろう。そうでなければ、あんな軽はずみな発言をするはずがない。一度時間をかけて、あの時被災者がどのような思いをしたか県民達と向き合ってみるべきだ。それでなければ、井戸知事には震災を語る資格はない。