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日々の出来事から国際情勢まで一刀両断、鋭く斬っていきます。コメントは承認制です。但し、返事は致しませんのでご了承下さい。

私の視点 光市母子殺害事件に想う

2008-04-23 11:46:19 | Weblog
 光市母子殺害事件の加害者に死刑判決が出たことで、日本列島全体に安堵感が漂う。

 確かに、いわゆる「情」の部分では、その安堵感が分からぬでもない。事件の残虐性や遺族の本村さんの冷静に国民に話しかける姿を見ていると、私の中にも「これで良かったのでは」という感情が顔をのぞかせる。

 だがしかし、その一方で、今回の動きが教えてくれたことに目をつぶるわけにはいかない。その辺りを整理してみた。

 最高裁から差し戻し判断をされたことで、弁護側は被告の新供述を引き出したとされる。その供述は、常識的には信じ難く、広島高裁の判決文でも「荒唐無稽」と一蹴された。

 メディア報道では、新供述が2年前に新たに結成された弁護団によって引き出されたとされているが、弁護団側の話では、さらにその2年前くらいから被告は教戒師に話していた内容だという。その事実関係については、私には情報がないのであくまでも参考に留めておく。

 その新供述を考察する時、多くの子どもたちに接してきた私はどうしても被告の育った環境に目が行ってしまう。

 暴力的な父親に幼少の頃から苦しめられ、12歳の時、頼りにしていた母親に先立たれた。しかも、自殺という子供にとっては最悪の手法である。これが、彼の精神形成に影響を与えないはずはない。現実に、彼の犯罪心理鑑定をした加藤幸雄・日本福祉大学教授は、「親密な関係にあった母に自殺されて、孤立して12歳から自立できず、通常の18歳の人格ではなかった」としている。だから、広島高裁の裁判官に荒唐無稽と判断された言い訳も全くありえないこととは言えない様な気がする。

 ただ、私の中にある常識という魔物は、夫を愛し、愛の結晶である我が子を必死に守ろうとする母親を強姦したこと、いたいけな幼子を死に至らしめたこと、2人を殺害後、金品を奪ったこと、収監された後、友人に書いたとされる手紙の内容の極悪非道さ、などに怒りを感じてしまう。

 私が本村さんの立場に置かれれば、この新供述に絶望的な気持ちを抱き、もし、極刑が下されなければ、実行するかは別として自分の手で犯人を殺したいという気持ちを抱くに違いないと思う。差し戻し控訴審で新供述を出してきた弁護団に対して悪感情を持つこともあり得る。

 周辺の人たちと話していても、微妙な違いはあるものも根底に流れる感情に大きな差異はない。しかし、感情に流されてばかりいては大事な視点を見失う必要がある。

 まずは、報道姿勢に着目してみた。相も変らぬスクラム報道である。特に、TVやスポーツ紙及び週刊誌の報道は、目に余るものがあった。感情移入が多過ぎて、「先に極刑ありき」という一種の世論操作と言われても仕方がない状況であった。そのあり方に、NHKと民放が共同で設置した放送界の第三者機関、「放送倫理・番組向上機構(BPO)」が15日、判決に先立ち、TV情報番組に「<奇異な被告・弁護団>対<遺族>の図式を作り、その映像を見て感情的な言葉を口にする」と苦言を呈している。

 最近の傾向を見ていると、法務省や裁判官が「世論」を強く意識していることが分かる。その世論を、マスコミが無意識にせよ結果的に誘導しているとすれば、とても危険なことではないか。

 弁護団に批判が集中しているが、ここであえて強調したいのは、弁護士というのは、世論や社会通念で弁護活動をするのが仕事ではないことだ。彼らの職責は、委任された人たちの利益を守るために全知全能を使って弁護活動をすることだ。だから、弁護団のやり方に集中砲火を浴びせることは全くの筋違いである。

 しかし、BPOも無責任だ。そんな指摘をしておきながら、具体的に情報番組を改善しようと提言しているわけではない。情報番組制作の実態には目を向けずに理想論を言っているに過ぎない。

 だから、番組制作現場の人間の多くは、そんな指摘をされても「奇麗事を言うんじゃねいよ」と、冷ややかに見ている。

 情報番組を作っているのは、実質的には下請けの人たちだ。孫受け、ひ孫受けと言われる弱小プロダクションの人たちも多い。その人たちの中には、番組制作のあり方について真剣に取り組んでいる者もいるが、多くが、ジャーナリズムの何たるかも分からぬままに(と言うか、学ぶ機会も与えられていない)取材現場に立ち、マイクやカメラを向けている。日々の番組作りに追われる彼らはスクラム報道に問題があると言われても、その本質を深く考える余裕などないのが現実なのだ。

 マスコミ報道姿勢の次に考えねばならないのは、来年5月に始まる裁判員制度だ。今回の一連の動きからも、この制度が抱えるであろう問題点が見えてくる。

 特に、同様の事件を担当する裁判員が世論にそぐわない判断をしたらどうなるのかという点だ。今回も、ネット上には、犯人の弁護団に対してだけでなく、審理に当たった判事が世論を無視した判断を出したら許さないという脅迫めいた書き込みがされていたが、一般の人であれば、そのような脅しを受ければ、精神的に大きなストレスを受けるであろう。それに、自分が人の命を左右するような判断に直接関わる事をどれだけの人が受け入れられるであろうか。下手をすれば、死刑などの重い判断を下したものの、後に新事実が出てきて冤罪に関与したと分かる場合もあり得るだろう。

 裁判員制度の実施を前に、死刑と無期懲役との量刑基準を明確にするべきだとの議論もあるが、たとえそのようなものがあったとしても、私はこのような裁判には関わりたくない。

 これまでは他人事であった死刑もかくして自分たちの問題になった。この機会に、私たち一人ひとりが感情的な意見や報道に流されず、死刑の問題や裁判員制度を考えるべきであろう。そして、それをマスコミは丁寧に拾い上げて議論をする場を提供して欲しい。間違っても、ある一定方向に誘導するような番組作りはするべきではない。

 

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