あるBOX(改)

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思い出のKO:大蔵秋彦vs中山貴史

2002年01月14日 | ボクシング
1991年9月5日 後楽園ホール

Jバンタム級10回戦。
ノーランカーvs日本1位、3勝2敗初10回戦の大蔵vsタイトル戦間近の中山。

しかもKO勝ちが一つも無く、直前の試合でパッション内山(武蔵吉山)に
敗れた大蔵に、勝ち目ありと考えた関係者は殆ど皆無だっただろう
(大蔵が所属する帝拳以外は)。

第1ラウンドから中山(ロッキー)が前に出て、大蔵がかわす展開。

国内トップランカーに上り詰めた中山なれど、他の選手の転落に乗じての
ランク上昇の印象が強く、上位ランカーに圧勝した記憶が無い。

単調な攻勢を続ける中山に対し、勝率の悪い方の大蔵が上手くジャブを
出鼻に叩いている。
決してスマートとは言い難い体型だが、足も使え相手に的を絞らせない。

「意外に上手いな、この選手」と感心している内に、スコーンと大蔵の
右ストレート。
中山のボディ攻撃が続かない。ますます大蔵のカウンターが冴える。

第3ラウンド、完全にタイミングを掴んだ大蔵が、真っ直ぐ入ってくる中山の
顔面に右ストレートを迎え撃ち!ダウン!

必死に立ち上がり、なおも前に出る中山だが
ダメージは明らかで、またしても大蔵の右カウンターで四つん這いダウン。

レフェリーストップで、番狂わせのノーランカーTKO勝利となった。

勝利者インタビューを受ける大蔵、中大時代のアマキャリアが花咲いた見事な
勝利を淡々と語った。
「大蔵秋彦の名を憶えていて下さい」・・・彼の言葉が印象深い。

顔もどこか田舎臭く、竹原慎二を野暮ったくして、ホクロから毛が生えてると
言ったイメージであった。

26歳の彼に残り時間は少ないと思ったのか、彼のボクシングが完成の域に
近付いたと考えたのか。

阿部真一・福本博章に連勝した大蔵に、帝拳ジムはG金山との日本バンタム級
タイトルマッチを用意した。
私も大蔵は勝てるかも知れないと思った。

事実試合は大蔵ペースだった。
しかし李東春はシタタカで勝負強かった。最終回2分35秒、起死回生の右を
叩きつけられ大蔵は後楽園のリングに沈んだ。

ダメージは深く、帝拳は引退を勧めた。しかし大蔵は1年のブランクを経て
カムバックを狙った。
相手はジュン・ピート日立。大蔵はKOで敗れ、病院に運ばれた。

左フックを浴び、後頭部をキャンバスで強打。一時は危篤状態に陥ったが、
開頭手術で一命を取り留めた。

あの李東春も亡くなった。リングには神も宿るが悪魔も蠢いていた。
大蔵が順調に回復したというニュースが、せめてもの救いだった。


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