有田芳生の『酔醒漫録』

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戦争の記憶を聞く

2007-05-06 08:53:05 | 単行本『X』

 5月5日(土)「のぞみ121号」で新大阪。車内では取材準備を終えてから「AERA」の「現代の肖像」に出す木村佳乃さんを書いた原稿を読んでいた。ダメだ。若き女性編集者の意見を取り入れて全面的に書き直すことに決めた。しばらく置いたままにしておいた原稿を読めば、まったく商品になっていない。ということは、木村佳乃という女優の本質に迫っていないということだ。掲載が延びてよかった。いまのままで公表されていたら恥をかくだけだった。新大阪に着いたところで編集者に電話をする。大阪で降りて梅田花月へ。単行本『X』のために木村久夫さんの「上官」だというお二人と待ち合わせる。ともに86歳。「かに道楽」で寿司をつまみながら話を伺った。「上官」というのは間違った情報であり、木村さんともそう関係があるわけでもなかった。それでも大阪から門司、シンガポール、カーニコバルへの移動について詳細を知ることができたことは大きな成果だ。大阪市東区にあった兵舎から大阪駅まで御堂筋を歩いたという。情景が眼に浮かぶ。単行本ではこれで1ページは書けるだろう。カーニコバル島についての貴重な資料をいただく。いちばん驚いたことは、インド洋の小さな島にまで「従軍慰安婦」が連れられて来ていたこという証言だ。将校を相手にしたのは日本人(和歌山出身が多かったという)、下士官には中国人、韓国人、一般兵士のためには現地の女性だったというのだ。いまは政治レベルで「強制」が問題になっているが、100人のうちで1人でも強制があれば許されるものではない。いまの議論は強制の証拠がないなどというレベルだが、歴史認識とはそういうものでもないだろう。「100人の死は悲劇だが100万人の死は統計だ」といったアイヒマンのような言説だ。

070505_21200001  お二人と別れて時間ができたので難波へ。地下街にある「グーテ」で子供のころに食べていたチーズパン(60円)を買う。テレビ朝日の「グレートマザー物語」で取り上げた店だ。店長が新製品だといって「モルゲン」という食パンをくれた。京都にいる両親に送る。御堂筋線で梅田。新阪急食堂街の「たこ梅」でおでんに日本酒。この店も20代から通っている。ほろ酔いで新大阪。何と新幹線は満席。ホームに来た「のぞみ」のデッキに立ち、特攻隊員の生き残りである松浦喜一さんの『戦場体験と九条護憲を考える 生き残った特攻隊員、八十三歳の遺書』(私家版)を読む。こんどの冊子は奥様であるアヤ子さんによる「長崎の原子爆弾 私の被爆体験記」も掲載されている。ずっと立ちっぱなしなので、東京駅に着いたら東京温泉に行こうと決めた。午後9時過ぎに到着。八重洲地下街に行くと、何と閉店。張り紙を見ると3月29日が最後だった。東京駅再開発のためとあったが、戦後文化の破壊がここでも起きている。学生時代からの想い出の店がまたひとつ消えてしまった。受付の若者やマッサージの女性たち(多くが高齢者)はどうしたのだろうかと気になる。やはり日本はおかしいぞと小さな経験から思うのだった。


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2 コメント

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八重洲の戦後文化がひとつ消えてしまった・・・で... (星の子)
2007-05-06 19:46:42
八重洲の戦後文化がひとつ消えてしまった・・・ですか。

八重洲と言えば、今から10数年前のぎりぎり20代の頃、灘コロというお店で新井さんという方の注ぐ生ビール飲んでました。その新井さんが急に他界されてしまいおいしい生ビールのお店は無くなってしまいましたが、唯一のお弟子さんが大正時代からのビアサーバーだけを譲り受けて、今新橋のはずれで師匠譲りのおいしい生ビールを注いでいます。

箱が無くなっても、引き継がれていくものがあってよかったです。

でも、東京クーアってそんなに戦後の日本文化の象徴なんでしょうか?

一回行けばよかったです。

数年前に上野で飲み会の前にサウナに一汗流しに入ったところ、その筋の趣味のお兄さんたちに追いかけられた経験はあるんですけど。(ギラギラした目で舐めまわすような視線で怖かったです)

受付のお爺さんから、足首にロッカーの鍵を付けるのは、その趣味の人間であるという合図なんだと注意されました。(その時は、ゴムが緩んでいたのか、手首ではブラブラしてしまうので偶然足首に付けてました)

東京の安全なサウナが一つ消えてしまったのは残念です。
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こんにちは。はじめまして。すみれ子ともうします... (すみれ子)
2007-08-25 02:07:17
こんにちは。はじめまして。すみれ子ともうします。幼少の頃、大阪でそだちました。いまは、九州大分在住です。なつかしい、あの、チーズパンにグレートマザー物語で、再会したのは、わたしも、感激しました。たしか、私が小学生の時、梅田でよくお父さんお母さんがかつてくれました。お店のなまえも忘れて、でも、あのお味、かたち、ずっと、ずっとたべたかった・・・。なつかしいです。明日から世界陸上が大阪であるので、たそがれてしまい、今日大分を出発なにわ入りです。そして、なんばグーテにいって、チーズパンかってたべます。いまから、きもちがどきどきわくわくいっぱいです。あの時、放送してくださってありがとう。あと、梅田によく連れて行ってもらってた、カレー屋さんもなつかしいのですが、有田芳生さんも、思い出ありますか。それでは、いってまいります。
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