有田芳生の『酔醒漫録』

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上田耕一郎の「いろいろ」

2006-09-20 09:34:58 | 政談

 9月19日(火)朝8時過ぎの地下鉄に乗る。超満員だ。これはまいったとなるべく女性の近くから離れるようにした。痴漢冤罪などたまらないからだ。満員電車は女性も男性も緊張の時代だ。「女性専用車」だけでなく、「男性専用車」も作ってもらいたい。9時に日本テレビを出て都内を取材。歌舞伎町でホストクラブを経営している30歳男性の国会議員への怒りが正直でよかった。やはり30歳で会社を経営する男性はIT関連。50万円の家賃を払っているという。若者もそれぞれだ。夕方になり都内某所に移動して『はり100本』(新潮新書)の竹村文近さんに治療をしてもらう。終ったところで雑談。「この二日、酒を飲んでいないんですよ。今日もそうしようと思っているんです」。こう言ったところ竹村さんがニコッと笑った。「今日は飲んで下さい。美味しいですよ~」。「そうですか」と言うと「飲んだ方が身体がほぐれますから」というのだ。そうだ、水道橋に行こう。そう決めてから紀伊国屋書店に行く。上田耕一郎さんの『人生の同行者』(新日本出版社)を探すためだ。まず思想書のコーナーに行くとも見つからず。レジで検索してもらうが、書店員はいまや上田耕一郎という名前を知らない。青山ブックセンターでもそうだった。「こういちろうって、どういう字ですか」というのだ。階の違う政治のコーナーにあることがわかる。パソコンには「在庫14」とあったから、おそらく入荷は15冊で、1冊が売れたのだろう。この単行本は上田さんが旧制一高時代に寮で同室だったノーベル物理学賞の小柴昌俊さん、哲学者の鶴見俊輔さん、作家の小田実さんとの対談をまとめたものだ。わたしは期待した。それはまず、それぞれの対談が新聞や雑誌に発表されたものだからである。編集作業のなかで、対談全文が公表されると思っていたからだ。普通は雑誌などに掲載される対談は、紙数の関係から全体の一部を発表することが多い。したがって単行本化するときには、全文掲載になるか、それがすでにほとんど公表されているならば、新しい読者のために書き下ろしなどが行われる。それが読者への良心だ。

060919_16390001  ところが単行本を見ると、掲載時の内容そのままなのだ。何の加筆もない。ここでがっかりした。もうひとつは、上田さんと小田さんの対談が雑誌『経済』で行われたとき、何事もなかったかのようにあっさりと「小田さんとは『文化評論』(1981年1月号)で対談をしていらい2回目ですね」「25年ぶりですね」と挨拶していたことに関わる。わたしはその対談を企画した編集者として政治的に厳しく追及された。個人的感情としてはもはや遠い追憶の世界なのだが、政党や政治家としては曖昧にしてはならないことだとずっと思っている。対談後に「敵」だと認定し、新聞などでも厳しい批判を加えた相手=小田さんがいつの間にか「人生の同行者」となっている。悪いことではない。しかし態度を180度変えた理由を説明をするのが公党の国民に対する責任である。そのことを上田さんが新刊のなかで触れているかもしれないと思った。ちなみにこの「人生の同行者」という表現は小田さんが結婚するとき、相手のことをこう呼んだものだ。今度の単行本のタイトルにすることを上田さんは小田さんに断っている。「はしがき」は3ページ。こう書いてあった。「小田氏とはいろいろないきさつがあったが」。これだけである。立ち読みしていて、ふーんと思った。
こんなものだよという「ふーん」だった。「いろいろないきさつ」か。この10文字のなかに、ひとりの人間に与えた混迷や政治家としての説明責任を閉じこめたのだ。上田さんの新刊を買うのをやめて平台に戻した。水道橋に行き、「北京亭」。たしかにビールはとても美味しかった。


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