有田芳生の『酔醒漫録』

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唐木順三の『自殺について』を読む

2006-10-21 09:01:53 | 読書

 10月19日(金)メンテナンス日。原稿を推敲し、筑摩書房に送る。木村久夫さんのもうひとつの「遺書」を一字ずつ気持ちを込めて筆写する。極限に置かれた学徒兵の気持ちがひしひしと伝わってくる。高知大学には木村久夫さんが旧制高校時代、京都大学時代に集めた蔵書が「木村文庫」として保存されている。昨年から何度も訪れ、無言の会話を交わしてきた。遺された専門書は目録が作られ、その数は400冊を超えている。ところが何冊かが消えているのだ。ある大学教師と話をしたとき、「木村さんの本を持っています」と聞かされたことがある。耳を疑った。「どこで手に入れたのですか」そう訊ねると、高知市内の古本屋で見つけたのだという。それはありえない。なぜなら、それが木村さんの本だと言えるのは、そこに署名があるからだ。趣味で大事にしていたカメラを質入れしてまで好きな本を買っていた木村さんが、蔵書を古本屋に売り払うことなどは考えられない。木村さんの妹もそう確信している。疑惑は深いけれど、それ以上のことは言えない。本来ならどこの古書店で購入したのかなどを問い詰めたいのだが、相手は正常とは思えない人物だ。高知大学の図書館に連絡して注意を促しておいた。午後からはまず茗荷谷クリニック。血液検査の結果はいたって良好。肝臓も20歳代の機能に戻っていた。神保町の「伊峡」で半チャンラーメン。東京堂書店で船橋洋一さんの『ザ・ペニンシュラ・クエッション 朝鮮半島第二次核危機』(朝日新聞社)を買う。朝日新聞の関係者に聞くと、このタイトルに船橋さんはこだわったのだという。

061020_16140001  新宿に出て喫茶「凡」でモカを飲みながら唐木順三さんの『自殺について』(アテネ文庫、弘文堂、昭和25年)を読む。木村久夫さんについて触れているので古書店で手に入れた。「A級戦犯」や学徒兵が最後に31文字の短歌で気持ちを表現しているところに日本人の問題があると唐木はいう。死を前にした「急屈折」で「思索の線をたちきり、自己をそこへ放棄してしまふ」と厳しい。言いたいことはわかるが、こと木村さんについていえば、まったくの誤解だ。短歌を読むことは10代からの趣味だったからである。この小さな本は、北村透谷、藤村操、有島武郎などなど、自裁した人物を通して「近代日本の特殊な情況」を分析した傑作だ。「そうだ」と納得することが多い。若さゆえに仕方ないことも、ある年齢に達したなら恥ずかしくなることがある。ネット世界を見ていても、「いい年をして」と思うことがある。ところが56年前の唐木の指摘は、いまでも新鮮に問題を明らかにしている。たとえばーー。


 精神の支柱がない、骨格を鍛へ上げるものがない。気分としてのヒューマニズムは何年たっても気分にすぎぬ。

 気分は強い習俗だから、それに負けてしまうのだ。暗記した理論的言葉をいくら使おうと、「大人」になれない「大人子供」がいることの理由でもある。唐木が主張しているように、必要なものは「精神の支柱」なのだ。それは記憶のレベルではなく、経験のレベルにまで達しないかぎり獲得はできない。「凡」を出て歩いていたら小さな神社で「えびすまつり」を行っていた。戦中のチラシなどが展示され、屋台も出ている。どこか懐しい風景だ。竹村文近さんの治療院に行って鍼を打ってもらう。朝日新書編集長の岩田一平さんに電話して忘年会の打ち合わせ。13日に発売となった朝日新書は、12冊のうち8冊が増刷になったという。外岡秀俊さんの『情報のさばき方』も上位にあると聞き、うれしく思った。こういう本はもっと読まれていい。散髪してから丸ノ内線で銀座に出る。


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