有田芳生の『酔醒漫録』

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

川上弘美がいるような『真鶴』

2007-01-22 08:01:30 | 読書

 1月21日(日)夕方、二女が京都に遊びに行くので、いっしょに池袋まで行く。リブロで生井英考『空の帝国 アメリカの20世紀』(講談社)を買う。重金淳之「酒屋に一里 本屋に三里」(「本の話」文藝春秋2月号)に「生井教授は学生時代に私の『文章論』の講座を受講していたが、文章力は当時から目を瞠るものがあった」とあったからだ。東京堂書店でも、この筆者だから買うという読者がいると聞いていた。文章力があってテーマがアメリカ。しかも「興亡の世界史」のシリーズだから好奇心は高まるばかりだ。朝から川上弘美さんの『真鶴』(文藝春秋)を読んでいた。そんなことはないのだろうが、どうしても主人公が川上さんのイメージと重なってくるのだった。久々の長編についても重金はこう評している。「女性の生理を描く筆致は濃淡の均衡が取れ、品位に富む点では当代随一。女性読者には魅力的と思われる」。書籍や酒場の神髄や欠陥を短文に凝縮する重金淳之の眼はすごい。テレサ・テンの「ニューミュージック・ポップスを歌う」を聴きながら「ざ・こもんず」の原稿を書く。先日も紹介した福岡「殺人教師」事件の真相を描いた書籍の紹介で、タイトルは「でっちあげの構図」。こんな文章だ。

 読んでいて不安になってくる本に出会ってしまいました。福田ますみ『でっちあげ 福岡「殺人教師」事件の真相』(新潮社)です。テレビ、週刊誌、新聞で報じられていることがどこまで事実なのか。いやいや、そんな他人事ではありません。あのとき何とコメントしたのだろうかと朧な記憶を蘇らせていたのでした。「もしそれが事実だとしたら」という限定的な言葉を添えていても、厳しく糾弾したはずです。報道されていたことが捏造であったならば、あのときのコメントは無実の人物を傷つけただけでは済みません。マスコミも世間もすでに忘れている「事件」が起きたのは、いまから4年前のことでした。

 全国ニュースとして「事件」が知られることになったきっかけは「週刊文春」でした。それまで朝日新聞西部本社版や西日本新聞で報じられていた「事件」が、これでいっきょに全国的な社会問題となっていきました。どんな「事件」だったのかは、「週刊文春」のタイトルを見れば思い出される方も多いでしょう。「『死に方教えたろうか』と教え子を恫喝した史上最悪の『最悪教師』」。福岡市で起きた衝撃的な「事件」です。家庭訪問した教師が、教え子の曽祖父にアメリカ人がいたことを知り、「血が穢れている」といじめを行ったというのです。

 両親が校長や教育委員会に抗議したため、やがて教師に6か月の停職処分が下されました。抗議から処分までの間にも「問題教師」は教え子に暴力を振るい、あげくのはてに「死に方を教えたろうか」とまで言ったというのです。週刊誌がトップニュースで、しかも実名で報じたことで、テレビが追いかけました。ワイドショーだけでなくニュースでも「こんなにひどい教師がいる」という報道が行われたのです。福岡市の教育委員会によって全国ではじめての「教師によるいじめ」が認定されたのですから、まさに驚くべきニュースだったのです。両親は福岡市と教師を相手取って1300万円の損害賠償裁判を起します。弁護士の数は何と503人(のちに550人)。

 ところが……。裁判で霧が晴れるように明らかとなっていくのは、「事件」が冤罪だということでした。両親の虚言に基づく学校への抗議。事実を正確に確認せずに「親の言い分」を鵜呑みにしていく学校現場や教育委員会。「教育という聖域」で起りうる異常な現実がそこにはあったのです。教師の釈明を聞きながら、それをアリバイ的なコメントとして使うだけで、「殺人教師」を追いつめていくマスコミ報道は、この福岡での「事件」だけの問題ではないでしょう。わたしが関わる「ザ・ワイド」(日本テレビ系)は、テレビで最初に教師の言い分を取材して報じたのですが、「事件の構図」は、それでも「教師による異常ないじめ」という大枠だったはずです。

「あるある大辞典」の納豆騒動が問題になっていますが、「事件」報道でも捏造は行われるのです。事件現場にいればどう報じていただろうか、コメンテーターとして発言するときに、これまでの方法でいいのだろうか、一般の視聴者、読者としてどうニュースを受けとめるべきなのだろうかなどなど、さまざまなことを考えさせられるのでした。どこまでも批判的な眼を失ってはならないとは思うのですが、情報に流されることなく立ちどまる難しさを改めて突きつけられました。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿