北朝鮮と日本の交渉が平壌で行われました。「同床異夢」の距離が少しだけ狭まったようです。ストックホルム合意(5月29日)を読めば明確なように、特別調査委員会には、拉致問題をはじめとする4つの分科会が設置されました。合意文書によれば、北朝鮮側は「調査は一部の調査のみを優先するのではなく、全ての分野について同時並行的に行う」ことで、明らかになったことから「随時通報」することになっています。ところが日本側は拉致問題を最優先としていますから、安否情報のない報告は認めないという立場を取るようになりました。ここですれ違いがはじまったのです。北朝鮮は9月から10月にかけて第1回の報告をするつもりでした。しかしそこに安否情報を出す予定はなかったようです。日本側はそんな報告を受ければ、「救う会」や「家族会」の強硬な反発を呼ぶことは眼にみえています。しかし交渉を拒否すればせっかく切り開いたルートが途絶える恐れがありました。日朝交渉が切断されれば拉致問題の解決は、おそらく永遠にありえないでしょう。これまでの日朝交渉史を振り返っても、少なくとも10年は動きません。高齢化した被害者家族にとっては「最後のチャンス」が閉ざされることになります。そこで平壌会談へとつながったのです。北朝鮮側の説明は第1回目の報告として準備していた内容だったと思われます。日本では外務省への批判を声高に主張する政治家や関係者がいます。正確な情報がないのでしょう。大きな間違いです。外務省の現場が懸命な交渉をすることで北朝鮮側の対応にも変化が見られます。11月15日は、1977年にめぐみさんが拉致された日です。もう37年にもなります。ここにきて横田滋さん、早紀江さんの行動にも変化が出てきています。新潟で行われる集会に横田夫妻は参加しない方向で調整中です。日朝協議について政府が主催した説明会にも参加しませんでした。メディアは「出席できなかった」と報じましたが正確ではありません。「出席しなかった」のです。これまでにない決断で、各地で行われる集会にもこれからしばらくはビデオメッセージで対応していきます。テレビも生番組にはでません。すべては健康維持が最優先だからです。日朝交渉は来年に大きな山場を向えることでしょう。横田夫妻は、その後の展開に備えるため、「あさがおの会」(夫妻が住んでいるマンションで結成された支援団体)などの協力をえて、体力の温存を図ることにしたのです。滋さんは11月14日で82歳になります。早紀江さんは来年2月4日で79歳です。孫のウンギョンさんと出会ったときの笑顔を取り戻さなければなりません。(フェイスブックから 2014/11/4)