3月12日(月)丸山弁護士が都知事選挙に出ないことになった。テレビ出演などに支障が生じるからだという。そんなことは最初からわかっていたこと。問題はテレビ番組が大騒ぎして取り上げたことだ。かりに丸山弁護士が出馬を決意したというのなら、それなりの紹介はしてもいい。「これは怪しいな」との判断ができないところが悲しい。森進一「おふくろさん騒動」ともどもお騒がせ列伝にまたひとりが加わった。「ザ・ワイド」に出演していたとき、草野仁さんから「田中康夫が出ればいいのに。出ないんですか」と聞かれた。現状では対立構図がはっきりしないというのだ。東京オリンピックでは吉田、黒川さんが「白紙」「反対」の立場を取っているが、石原知事にいちばん肉薄できるはずの浅野史郎さんがあまりにもはっきりしない。都知事選については面白い現象がある。「運動」と「批評」の区別ができないひとたちが出てくるからだ。田中康夫さんが長野県知事選挙を闘っていたとき、ネットの掲示板にはさまざまな意見があった。「批判派」は「どうして田中を支持するのか」と声を荒げるのだった。いままた浅野支持者は同じような傾向がある。疑問や批判の表明は「運動」レベルからいえば不愉快だろう。しかし「福祉をライフワーク」としながらその成果が全国最下位レベルであるならば、その事実は明らかにしなければならない。それがジャーナリズムの仕事なのだ。築地市場を視察した浅野さんに対して卸売業者のなかから落胆の声が広がっている。移転に賛成か反対かはっきりしないからだ。上杉隆さんも浅野さんに取材した結果、「饒舌だが曖昧」との感想を抱いたようだ。
表参道の「PIERRE HERME」でホワイトデーのための発送をしてジム。時間がないので500メートルを泳いだところで切り上げる。日比谷で降りて日生劇場。湯川れい子さんが訳詞をしたロックミュージカル「TOMMY」を観る。演出は劇団新感線の「いのうえひでのり」さん。左隣には吉田照美さん、右隣には元宝塚月組トップスターの真琴つばささん。西田ひかるさんや酒井政利さんとも久しぶりにご挨拶。とてもすばらしい作品だった。時代背景は1940年以降のロンドン。戦争がもたらした家族の離別と事件が子供に深い傷を与える。見えない、語れない、聞こえないという三重苦。それでも特異な才能を開花させたトミーは「話題の人」となっていく。やがてある衝撃から障害を克服、さらにカリスマとして多くの若者たちを支配するようになる。ところがあるきっかけでその位置も崩れていくのであった。トミー役の中川晃教さん、母親役の高岡早紀さんも好演していたが、印象と存在感からいえば韓国人歌手のソムン?タクがすごい。会場全体に轟くような声量なのだ。ロンドンやニューヨークで演じられてきた作品と比べると、アニメの効果的利用などでずっとわかりやすい舞台になっているようだ。初日の会場は女性が目立っていた。午後9時すぎに「はら田」。「ル?ヴェール」に寄ると佐藤謙一さんが「飲ませたいものがある」という。醸造所が閉鎖された「ポートエレン」の「ラストビンテージ」ものだった。この酒をはじめて口にしたのは1995年。このウイスキーもいよいよ最後になってきたようだ。
3月10日(土)朝たまたま日本テレビ系の「ウェークアップ!」を見た。オウム分裂のところで先日インタビューされたごく一部が放送されていた。「ここがポイント」と語ったところは使われず。編集の価値観によるから仕方がない。ところが上祐グループの意味を語ったところで驚いた。「サリンで殺害されかけた滝本太郎弁護士の表現では〈大人の過激派〉です」という言葉のなかで前段が削られ、「〈大人の過激派〉です」だけが使われていた。しかも字幕ではそこだけが赤文字で強調されていた。これでは滝本さんの「著作権」侵害だけでなく、真意がまったく伝わらない。反上祐グループとの比較で語っていたのだから、視聴者には何のことだかさっぱりわからなかっただろう。社会だけでなく報道機関においてもオウム事件は風化している。継承がなければ事実も伝わらない。戦争だけではない。忘却には12年の時間もまた充分なのだ。午後から大田区へ。品川から大鳥居駅。糀谷幼稚園で「ラビパパ」の撮影を取材。安田弘之さんの『ラビパパ』(太田出版)は、不思議な四コマ漫画。「パパ」はウサギの姿。「みゆきママ」を演じているのが木村佳乃さんだ。「AERA」の「現代の肖像」に書こうと思ったのは、テレサ・テンを演じる彼女の姿を見たからであった。香港、日活撮影所と見学をして、これで3度目。テレサ役のときの緊迫感はまったく感じられないほどのリラックス。小学校時代からの親友もいたからか、それとも役柄から来るものか。撮影の合間に雑談のように話をしていて印象的なことがあった。「木村流」の方法である。
シリアスなシーンでもさーっと入っていけるんです。楽にしている方が一瞬の集中力を発揮できる。いかに自分を解き放てるかだと思う。
「テレサ・テン物語 私の家は山の向こう」の撮影は、深夜3時まで続くことがあった。重なる疲れを振り切ってさっと役に入り込むことができる能力とは何だろうかと疑問だった。俳優の秘密であり、普遍的な課題でもある。それでは「自分を解き放つ」にはどうすればいいのか。日頃の習慣、思考法、スタンスなどなど、生活のすべてが作り上げていくものだろう。木村佳乃という女優は学生時代から数多くのビデオで映画を見てきた。それもまた秘密の一端。その続きを近く長時間聞くことになっている。いまや小中学生のカリスマとなった「さえこ」さんは幼稚園の中條先生役。公園のシーンでエキストラ出演してくださいといきなり監督に言われた。中條先生の「怖い」行動におびえて逃げるという役柄だ。カメラマンの稲垣徳文さんとともに出演。これまで何度か映画への出演(たとえばコメンテーター役)の依頼もあった。CMもふくめすべてお断りしてきたのは、ガラでもないからだ。短いシーンに出て思ったことは、木村佳乃さんのように解き放てていないこと。それでも楽しい経験だった。「ラビパパ」は、秋に発売される40分もの2巻のDVD。コンビニなどで販売される。池袋「おもろ」で泡盛。昼食を取っていなかったので胃に染み渡る。
3月9日(金)オウム真理教(アーレフ)から分裂した上祐史浩グループについて「ザ・ワイド」で語る。いわゆるコーナーゲスト。地下鉄事件当時「積極的にウソをついてきた」と語る上祐の欺瞞。サリンプラント建設の93年8月会議に出席していたことは、及川健二さんが「実話GONナックルズ」で行ったインタビューで認めている。「そのような場に私がいたことは事実です。ハルマゲドン預言を成就させるための教団武装化計画の一環として、生物化学兵器が議論され、その一つとしてサリンの名があがりました」。わたしは地下鉄サリン事件は「ハルマゲドンの自作自演」と語ってきたが、そのとおりだったのだ。「積極的にウソをつく」人物の語ることなどを信じてはいけない。日本テレビから平河町。雑用を済ませ、四ツ谷駅まで歩く。新宿で降りて紀伊国屋書店。文庫本のコーナーに『私の家は山の向こう』があった。自分の書いたものが書店にあるうれしさ。テレサ・テンの笑顔がとても可愛い。CDのコーナーで桂文楽の「船徳」「富久」を入手。歌舞伎町のシアターアプル。入り口で藤田省三さんの『全体主義の時代経験』(みすず書房)を立ち読み。第一次大戦の「戦争における全体主義」が「政治支配の全体主義」に転化した根拠たる「宣伝」と民衆の熱狂は、現代にも連なる問題群だ。やってきた家人と劇場へ。開演前なのに舞台ではすでに役者が気ままに演じていた。通路では主役の中村雅俊さんが客と話をしている。この自由さがいい。開演は午後7時。15分の休憩を挟んで終演したのは10時。遠い過去の想い出と重ねながら心震える時間を過ごすことができたのは「僕たちの好きだった革命」。そのテーマは高校生を演じる中村雅俊のこんな台詞にある。
この国の未来、自分たちの未来、高校生の未来、未来(みき)ちゃんの未来。きっといい未来になるって僕は信じてる。だから戦えるんだ。
「どうしてそんなにガンバルの?」と訊ねた小野未来(片瀬那奈)への答えだ。時代は1969年、1999年、そして2007年。30年前に高校生だった山崎義孝(中村雅俊)は、学内に乱入してきた機動隊のガス弾に倒れる。それから30年。意識を取り戻した山崎は高校に復学。同じクラスの小野未来の顔に見覚えがあった。いまどきの高校生のなかに闖入した山崎は、高校の管理教育と「闘う」。当時といまとでは言葉さえ変わってしまっている。「むかつく」とからむ同級生に山崎は「気持ちが悪いの?」と言ってポケットから「大正漢方胃腸薬」を取り出す。中村雅俊さんがCMに出ていた薬だから会場はどっとわく。「異物」たる山崎に生徒たちの気持ちが少しずつ変化していく。教頭は30年前に生徒会長だった男だ。当時は自由を求める先頭にいた親友は、いまや管理を強化する立場だ。小野未来の母も同級生だったことがわかる。やがて機動隊が導入され、再び山崎は倒れる。それから8年後の「現在」。文芸部の顧問となったのは、山崎によって変わった99年の高校生だった。劇中で中村雅俊さんが歌う「私たちの望むものは」(岡林信康)を聞いていると遥かな昔を思い起こすのだった。観客は20歳代から60歳代まで。途中から左手後方の女性が啜り上げていた。想い出と重なっていたのだろう。会場を出るとき、企画原作?脚本演出の鴻上尚史さんと握手、感想を伝える。これまた「朝日ジャーナル」時代の「同志」だ。家人とともに銀座「はら田」。精神の高揚を日本酒で静める。
3月4日(日)昨日の日記の訂正をしたい。それは共産党の志位和夫委員長の発言を引用したところだ。浅野史郎さんが宮城県知事をしていたとき、福祉が後退したとの発言だった。正しくは横ばいだ。共産党はこうしたデータ発言についてこれまで間違うことはなかった。そこに信頼性もあった。志位発言の根拠は政策委員会の担当者による調査のはずだ。委員長の記者会見や演説については分野ごとの担当者がデータを収集、分析して提出する。こうした基本で誤るとは情けない。それでも「そうなんだ」と思ったのは、浅野さんがライフワークだという福祉で前進などしていないじゃないかという事実だ。「反石原」への期待から幻想を抱くべきではないだろう。午後から大船で歴史研究者の木村宏一郎さんと会う。単行本『X』に関わる情報交換。やはりイギリス取材を具体的に検討しようと思った。大船の狭い路地を歩きながら、庶民の街がここにも残っていることがうれしかった。東京駅に着いたのは午後4時すぎ。「東京温泉」に行く時間もなく八重洲口へ。「PAUL」でパンを買い、丸ノ内線で四ツ谷。テレビ朝日の出演打ち合わせ。終ったところでビデオフォーカス。高嶋政伸さんにインタビューしたのは「AERA」の仕事だ。木村佳乃さんについていろいろと聞いた。高嶋さんのこれからの課題はとても興味深い話だった。70歳になったときに何ができるかだというのだ。心も身体も維持していることが条件だ。「70歳が勝負です」と語る高嶋さんはいま40歳。「感情はあふれてくる」との役者精神については木村佳乃さんにも聞くテーマだ。
移動の電車では「yom yom」(新潮社)を読んでいた。まずは沢木耕太郎さんの「ピアノのある場所」という短編小説。少女の揺れる心から見える大人の世界がうまく描かれた静謐な作品だ。その眼に映る父親の姿には深い悲しみとざわめくような荒廃がかいま見える。川上弘美さんの「四度目の浪花節」はさすが。短編のなかに男女の15年が息づいている。20歳の男と35歳の女が出会いと別れを繰り返す。そのときどきの心の揺れが見事に表現されていく。割烹料理屋を経営する女は50歳になった。そこで板前をする男は35歳。「短編のなかの人生」はもしかしたら、この実人生かもしれないなと思う。その「短さ」が同じなのだ。時間は年齢に比例して速度を増していく。そんなことを感じさせる作品だった。三浦しをんさんのルポは楽しい。「ビール職人」の女性に話を聞いている。ビールの場合は利き酒ではなく「官能検査」と呼ぶそうだ。仕込み水が違うから同じ銘柄でも作った工場で味が違う。それがだいたいわかるというのだからすごい。「ホップ」とは鞠花(きゅうか)を付けたアサ科の植物で、花粉がビールの苦味となるそうだ。「ちょっと待ってください。ホップって植物だったんですか!」と三浦さんは驚いているが、わたしもまた知らなかった。ビールと泡の境目を「スモーキーバブルス」ということもまたはじめて知るのだった。
2月23日(金)雨あがる。「朝日ジャーナル」の原稿を推敲して昼前に編集者に送る。タイトルは「笑いの復権のために」とした。テレビを中心として振りまかれている低俗な「笑い」を淘汰して、戸坂潤の喝破したように意外性から生まれる本当の笑いを取り戻すべきという趣旨だ。端的にいってテレビ批判。東京駅で新幹線までの時間に本屋へ行く。いきなり怒鳴り声がした。「何してんだよ~、アルバイト情報はどこにあるんだ!」女性店員に叫んでいるのは30歳代後半から40歳代の男だった。事情は詳しくはわからない。それでもどこか病んでいることは確かだ。いまだ1日中ウィルス汚染されたトラックバックを送り続ける壊れた人格と同じく、哀しみを感じる。新神戸に着いてタクシーに乗る。運転手と話になるのはやはり景気だ。神戸のタクシー運転手の給料は平均で手取り約20万円前後だという。会社が決めた売り上げ金額を下回ったときは、総売り上げのなかで40パーセントが給与となる。しかし、かりに60万円を超えたときには58パーセントが給与となる。完全な歩合だ。そんな情況だから独身が多い。50代でも60代でも。給料が少ないので離婚が多いのだという。「格差社会」を語る政治家にどこか切迫感がないのはやはり現実を知らなさすぎるからなのだろう。生田神社の横にある「又平」で食事をする。藤原紀香さんの結婚式の情況を聞く。あるビルの8階に行けば中の様子を見ることができたようだ。女将も嘆くのは最近のテレビのひどさだ。やらせ詐欺番組だけではない。「お笑い」の水準が情けないほど低下していると意見が一致する。
お騒がせ「叶姉妹」問題で関係者から意外な真相を聞いた。詳しくは書けないが、あらましこういうことのようだ。叶姉妹には多額の借金があった。かつては週に3回は行っていた赤坂の「すっぽん屋」に顔を見せなくなったのも金欠だったから。借金は返さなければならない。そこで姉の意向を受けて妹が貴金属を売りに出す。ところが「取りっぱぐれ」で金が入らなかった。だから返せない。そこで貸し手は残っている貴金属や家具を持っていった。そこで被害届などを出すから面倒なことになった。週刊誌などが書いている「ベルギー人」の男などはまったく関係ないそうだ。弁護士はそのことも知らされていなかったという。自国民の名誉の問題だとベルギー大使館が動き出した。来週には問題の「二女」がマスコミに出る可能性がある。本当のことは言えないから、詐欺に遭ったとでも説明せざるをえないのだろう。基本的には「やらせ」。もっとも44歳と39歳の女性が芸能界で生きていくにはさまざまな「努力」が必要なのだと思えば、それでいい。週刊誌もワイドショーもそれで潤っているのだから。ジャリタレとマスコミとの関係でも、評価されても批判されても話題になることでお互いに依存していることはもっと知られていい。酒を飲んでも2軒目を自粛。5月30日に藤原紀香さんの披露宴が行われるホテルオークラ神戸でコミックを読む。
2月21日(水)麹町の都市センターホール。午後6時半から山口県岩国市にある旭酒造主催の「新酒の会」に出席。「獺祭」で知られる酒蔵だ。会場には勝谷誠彦さんがいた。何でも午後8時すぎの飛行機で神戸に行くというので、落ち着かない様子だった。挨拶が続き乾杯にまでなかなかいかないからだ。挨拶がいささか長い。ちらりと見れば勝谷さんは配られたおちょこでぐいとひと飲み、会場を後にした。福島の梅酒を送ってくれた村上佳子さんと話をしていたら、酒徒である吉田類さんが現れた。「読売新聞」の連載で「獺祭」を紹介したのだという。吉田さんとは昨年に高知で飲んで以来のこと。新橋の飲み屋に向うといって会なかばで出ていった。明日になれば「ザ・ワイド」のスタッフと飲むことになるだろう「由緒正しい」五島列島の居酒屋だ。今日は渡辺淳一さん原作の映画「愛の流刑地」が話題となった。芸能リポーターの石川敏男さんと南美希子さんは「涙が出た」という。アナウンサーの森富美さんは仕事で見たので、質問のことばかり考えていたからか涙など出なかったという。わたしは見ていないので何ともいえない。それでも石川さんと南さんには「これまでの人生と共振したんじゃないですか」とだけ伝えた。「そうだよなー」とは石川さん。芸術作品とはそういうものなのだ。涙を流す人もいればそうでない人もいる。感動する人があれば駄作だと切って捨てる人もいるだろう。芸術評価の一般的基準などはない。すべて主観的なのだ。それを「客観的基準」などを作り上げて評価することから政治の悪しき介入がはじまった歴史がある。
先日テレビ東京で放送された「李香蘭物語」をわたしは評価していない。そのことと主人公を演じた上戸彩さんの努力を認めることとはまったく別次元のことだ。それでも作品は結果で評価される。何か絶対の「物差し」があるわけではない。それでも上戸さんが実際には歌っていなかったこと(すべての曲かどうかは不明だが他人が歌っているものの吹き替え)、したがって口の動きと歌声とが合っていなかったことなどがドラマの専門家からも厳しい評価を受けていた。「やっぱり李香蘭を演じるには若すぎたよね」というのだ。視聴者がどれほど関心を抱いたかの指標がある。視聴率だ。それがすべてではない。しかし予算もかけ2か月もの上海ロケを敢行した以上、少なくとも15パーセントの視聴率が欲しかったと関係者は語っていた。ところが初日の11日は9?1パーセント、2日目の12日は8?5パーセント。期待は見事に裏切られた。個人的な真情が作品と共鳴するかどうかが問題なのではない。テレサ・テン物語の主役を選ぶとき、わたしは提示されたある女優の起用に猛反対した。それはテレサを演じるにはどう見ても無理があると確信したからだ。そのような思いからすれば李香蘭を演じるのが上戸彩さんが相応しかったかという問題は残る。何度もいうが、ご本人の努力というレベルではなく、適材適所かどうかという選択の課題なのだ。「作品の批評は作品についてなすべきで、作品の意図についてなすべきでない」(ロマン?ロラン)。
2月10日(土)ロビーに入ると懐しい音楽が聞こえてきた。ザ・フォーク?クルセイダーズの「悲しくてやりきれない」である。家人と二女といっしょに新橋演舞場で「殿のちょんまげを切る女」を観てきた。藤山直美の出演する演劇はできるだけ観るようにしている。かつて「AERA」の「現代の肖像」に書こうと思ったら、すでにこの欄で取り上げられたことがあり、かなわなかったことがある。それでもいつか「書きたい」対象なのだ。ロビーでは続いてピーターポール&マリーの「花はどこへ行った」が流れ出した。反戦歌だ。そのとき頭に浮かんだのは、この演目の演出を担当しているのがラサール石井だということに気付いた。「この趣向は彼だろうな」と思うのだった。時代は幕末から維新の時期。ニセの坂本龍馬が登場したりするけれど、江戸から明治への転換の時代に生きる群像をうまく喜劇に表現している。殿様の役は中村勘三郎。藤山直美に勘三郎という個性だから、人物像が非常にくっきりと形作られている。かつて映画監督の阪本順治がこの演舞場の脚本を書いたとき、藤山のよさが封印されてしまい、まったくつまらない作品になったことを思い出した。勘三郎にしても藤山にしても、その才能を全開させるような環境を提供できるかどうかがポイントなのだろう。渡辺哲の豪快な演技は強く印象に残った。岡本綾は華麗ではあるが、まだまだ存在が伝わってこない。パンフレットの出演者紹介では大きく紹介されているのに、「やはり岡本綾だな」と思わせるところまで達していない。一方で脇役の女性たちのなかにきらりと光る演技がある。どこが違うのだろうか。
書かれた脚本を覚えて読んでいる水準ではなく、身体のなかから自然に発せられるところまで達しなければ観客の心にまで届きはしないのだろう。セリフを暗記しているかどうかのレベルではないのだ。廃藩置県で宮崎県知事となる殿様の演説が泣かせる。まっとうに生きてきた人が悲しい思いをしてはならないのだと勘三郎はしみじみと語った。誰もが生れてきてよかったと思えるような政治でなくてはならないというのだ。幕間にも「あの時代」の曲が流れていた。「遠い世界に」「友よ」「ウィーシャルオーバーカム」……。そう、幕末、維新を描く作品の底流にあるのは、「現代」への熱いメッセージなのだ。大村崑が「とんま天狗」姿で登場すると会場は最高に盛り上がった。そこに「あの時代」の躍動をかいま見るのだった。若い世代にはなぜ会場がどよめいたのかは理解できないだろう。左手一列前に座っていた土派手な若作り化粧母と娘など、幕間の休憩時間が終わり、二幕がはじまったところで音を立てて弁当を食べはじめた。非常識を教えられない娘が可哀想だ。演舞場を出て銀座まで歩く。「あけぼの」でいちご大福を買おうと思ったらすでに売り切れ。新橋駅の近くで食事をして二女の求めでカラオケに行く。中島みゆきの「ファイト!」を歌っていたら、その歌詞がいまの気持ちにぴったりだなと心中思うのだった。気がつけば日付はとうに変わっていた。
1月3日(水)朝から『私の家は山の向こう』のゲラ刷りを点検していた。いささか頭痛がしてきたのは、久しぶりに集中して文字を読んでいたからだ。バックグラウンドミュージックはバッハ、オフコース、そしてテレサ・テン。第3章で作業を終える。5月の日生劇場では華原朋美さんがテレサを歌う予定だったのに、体調を壊したため、ほかの歌手に変更になるそうだ。クリスマスに行われたディナーショーを聞いた人の話では、以前とは相当に違う歌いっぷりだと聞いていたので残念だ。いろいろな人生経験を重ねることで、歌いかたにも深みが増してきたとの評価がある。4月まで休養するというから5月の舞台は無理だと判断したのだろう。テレビドラマの撮影は月末に香港から開始される。夕方4時半から歌舞伎座で初春大歌舞伎を観る。新橋演舞場とはまた違う雰囲気があり、しかも新春。着物姿の女性客が目立っていた。声をかけられたので誰かと思えば、旧知のフジテレビの女性アナウンサーだった。これまた着物姿なので一瞬わからなかった。幕間の休憩を挟んで午後9時半まで歌舞伎を堪能した。もっとも観客が湧いたのは、新歌舞伎十八番のひとつである「春興鏡獅子」を勘三郎が襲名してからはじめて勤めたときであった。獅子を演じる勘三郎が、花道を後ろ向きのまま、素早く引っ込む場面はすごい。重い衣装を身に着けているだけではない。足もとがしっかりしていて、運動感覚がすぐれていなければ、とてもうまくいくものではない。襲名披露の掉尾を飾った京都・南座の興業も大盛況だったそうだ。歌舞伎役者にも上げ潮の時期があるのだろう。
中村橋之助の次男である宗生などが演じた「胡蝶の精」もかわいらしい。「金閣寺」の玉三郎や幸四郎もまた華麗であでやかだ。役者という人たちは、広い舞台に独りで立ち、観客席で見つめる1800人ほどの観客と対等に、いや圧倒するほどのエネルギーで対峙する存在だ。歌手などでもそうだが、舞台に立つということは、身体ひとつに蓄積した能力の発揮の場なのである。歌舞伎座は舞台空間の広さが気持ち良い。問題はそれに比べて客席が狭すぎることだ。明治時代には2600人も入るほどであったが、日本人の体格がいまとは違ったはずだ。いずれ新築するときには、客席のゆとりも考慮してもらいたい。歌舞伎というとなかなか足を運ぶことをためらうこともあるだろう。もともとの関心の度合いにもよるが、やはり入場料金が安くないからだ。それでも「一幕見席料金」があることはあまり知られてはいないのではないか。開演30分前から売り出される150席で、立ち見の可能性もあるが、これなら1500円ほどで鑑賞することができる。幕間の30分で食事をするのは、歌舞伎座らしさを味わうにはいい。しかし食事ぐらいはゆっくり取りたいといつも思っている。終演してから銀座界隈を歩くが、チェーン店ぐらいしか空いていなかった。新橋駅前もほとんど灯が消えている。三が日ぐらいはこれでいいのだろう。
1月2日(火)95歳になる義母を家人、二女とともに静岡まで見舞ってきた。病院からケアセンターに移ってとても元気になった。人間とは不思議な存在だなと思う。環境によって生のエネルギーの濃度が変わるからだ。かつて見せた苦痛の表情はなく、介護は必要でも自分で動き、耳は遠いが思うことを大きな声で発する。周りには寝たきりの人もいれば、車椅子で移動する人もいる。もちろん不自由でも自分の足で歩く人もいる。この世に生れ、それぞれの激動のなかに生き、そして終焉へと向っていく。誰もが経験する道程だ。その素朴こそ偉大だなと思う。そしてこの人たちの尊厳を支える仕事もまた素晴らしい。正月などという世間のおめでたさなどは無縁の献身。京都に戻ったとき、弟が経営する介護の現場をつかの間だが訪れた。大晦日でも他者のために働く人たちがいる。これからは介護を求める者も増えていけば、その仕事に従事する者も増えていく。ところがその労働条件は恵まれてはいない。福祉とはこういう「地の塩」に物心ともに光を当てることだ。夕食を前にしてホールに集まった高齢者たちは、静かに配膳を待っていた。その壁に明るい笑顔を見せる福笑いが貼ってあった。人間とは本来このような存在だったのではないか。「気難しくなってきたのを/友人のせいにはするな/しなやかさを失ったのはどちらなのか」「駄目なことの一切を/時代のせいにはするな/わずかに光る尊厳の放棄」と歌った茨木のり子さんの「自分の感受性くらい」がふと心に浮かんできた。介護施設で暮らす高齢者の姿に将来の自分を重ねてあれこれ思うところがあった。
舟木稔さんから郵便物が届いた。封を開けるとピンク色をした一冊の台本が入っていた。表紙には「ドラマスペシャル 私の家は山の向こう テレサ・テン10年目の真実」とある。これまで二度同じような冊子が届いたが、こんどのものが違うのは「決定稿」と赤字で記されていることだ。何度か意見を出したものに脚本家が手を加え、最終的な手直しがされたのであった。テレサが好んだピンク色を使ったことも心憎い配慮だ。表紙をめくると、やはりピンク色の紙にプロデューサーなど関係者の名前がずらりと並んでいる。撮影から照明、音声、録音等々、一本のテレビドラマに関わる人たちの名前や連絡先が列記されている。さらにページをめくると、「登場人物」に6ページを費やし、テレサ・テン(鄧麗君)の下には、彼女を演じる××××の名前がある。舟木さん役、テレサの父母役の名前を見て「こうきたか」と納得した。台湾、香港、タイ、パリと海外ロケも行われる。そのどこかの撮影には原作版元の文藝春秋担当者とともに向うことになっている。05年秋に決まったテレビドラマ化も、ようやく実現することになった。待っただけの甲斐がある作品になりそうだ。配役などは近くテレビ朝日から公表される。まったくの偶然だが、2月には『私の家は山の向こう』が文庫となって文藝春秋から発売される。さらに大がかりなドキュメンタリーの計画も進んでいる。5月には日生劇場で華原朋美さんがテレサを歌う舞台もある。今年は「テレサ年」になることだろう。
12月23日(土)夕方の新宿。月に一回のことだが、いつものように喫茶「凡」の階段を降りる。ところが満席。カウンターに一席空いていたが、両隣の客を見てそこに座るのをためらい、店を出る。年末「最後」の週末といっていい。酒場も昨夜がピークの賑わいだったようだ。来週は30日。やはり人出は今日、明日が山場なのだろう。「思い出横丁」を歩く。午後4時半。ほとんどの店がまだあくびをするようなのどかな空気だ。ところが「ささもと」は満席。紀伊国屋書店へ行って二階のCD売り場で「五代目古今亭志ん生名演大全集」を2枚買う。全48巻で志ん生のすべてが聴ける。最近は眠る前に小沢昭一さんの「手鎖心中」「唐来参和」を聴いていたが、そろそろ落語にしようと思ったのだ。代々木に流れ「馬鹿牛」。焼酎で牛刺しなどを食べる。「飲兵衛」ライターで名を馳せる吉田類さんの話になり昨夜は新橋の「浜んこら」で酒を飲んだことを思い出す。店を出る前に雑誌に紹介されたときの筆者を見れば、森まゆみさんであり吉田類さんだった。「何だ飲み友だちじゃないか」と酒飲みの行路が同じであることに納得した。恥ずかしい話だが天草は長崎県だと思っていた。天草には何度か足を運んだことがあるが、長崎から船に乗ったのでそう思い込んでいたのだった。熊本出身の女将が商う店で、ご主人が素潜りで得た魚介類を送ってきて、それを調理する。タモリさんが還暦祝いを奥様とこの小さな店で過ごした気持ちはよくわかる。吉田さんがふと顔を出す「馬鹿牛」では店主の息子、笑之介をかまったらケラケラと笑っていた。「何か面白い話はありませんか」と言われ、個人的にはどうでもいい話を教えた。ある芸能関係者との雑談だ。
「もう2006年も終るけど、藤原紀香の結婚はどうなったの?」「ネットに書いていた紀香本人による日記も12月12日で更新されていない」「そこでは『本音はここに』というタイトルで結婚報道を最初に報じた『女性セブン』を批判していた」「そんなことを書くから結婚相手の陣内智則の女性問題が暴れてしまう」「でも問題はそんな現象的なところにはない。とても明らかにできない問題がある」「それをギリギリで表現すればどういうこと?」「まず週刊誌が紀香、陣内の婚約、結婚を報道した。その過程で紀香を育ててきた芸能プロダクションの大物が怒ったんだ」「それは曖昧だけど報じられている」「女性誌に報道されたあとで紀香がお世話になった人に報告した。そのとき12月10日に結納を交わし、2007年2月25日に挙式することがすでに決まっていると伝えられた。相談もなかったから許せなかったんだろうね。そこで二人が挨拶に行けばよかったのに行かなかった」「いまでは二人の所属事務所の打ち合わせも行われていないというんでしょう」「紀香が挨拶したいと言っても、育ててきた人物の怒りは収まらず会わない状態が続いている」「マスコミでは結納が報じられ、来年の挙式も明らかになった。藤原紀香ほどの芸能人がそれでも記者会見さえできない異常事態が続いている。本当はもっと深い情念がありそうだね」