日々の泡

こころに浮かんでは消え、消えては浮かぶ
日常のありふれた風景をスケッチ

Think of me・・・

2015-01-12 12:52:09 | 日々
いくつかのタイミングが重なって、急に思い出したように(誰もいない時ねっ)時々歌うようになった。
昔、友達と、少しでも長く一緒にいたいがためだけに始めた歌。歌っているうちに大好きになった。小学校の卒業文集に書いた「将来の夢」は、実は「オペラ歌手」だった!(笑)小学校時代の友人は、今でも、当時ワタシが「オペラ歌手になるためには太らなきゃ!!」と言っていたことをからかう。

「Tnink of me」’オペラ座の怪人’の中のナンバー(ミュージカルは好きじゃないけど、オペラ座は好き。運よくNYで観ることができて、怪人の素敵さに心奪われた。)怪人は、ヒロインにとっての恩人でもあり、師匠でもあり・・・。

ある人たちのことを思い浮かべて、空にむかって歌う。「ワタシのこと見ててくださいね。」って気持ちをこめて。祈りをこめて。・・うそみたいに思われるかもしれないけど、そうすると、窓から太陽の日差しがスーッと差し込みはじめてピカピカになるの。「あ、聴いててくれてるんだ。近くにいるんだ。」って。頑張ろう、って思う。ワタシが描いてる場所をつくるために。

カルチャーセンターの役割

2015-01-07 22:52:57 | 日々
2011年震災のあと、ワタシは(自分の)頭の中が混乱した。
もう、なんか生きるために必要な、自分の軸をすべて失ってしまったような気分だった。
それまで自分が「大切だ」と思ってきたもの・・・・
それは、本当に大切なものだったのだろうか。(あんなにたくさんの人が。)
自分が目指してきたもの
そのことに意味はあったのだろうか。(なにもかもが、一瞬に。)

自身は、直接の被害はまぬがれたものの、自分からすべてを投げ出してしまいたいような気分になった。
社会も、思っていたものとは全く違っていた。マスコミも嘘だらけだと思った。
「本当」に飢えた。なんでもいいから、本当のもの、に触れたい、と思った。

自分がタップを続けていることの意味を知りたくなった。
当時、NHKのカルチャーセンターで教えていた自分は、(震災当日も、夜からレッスンで、その準備をしていた時に揺れがはじまり、その後停電で信号機も消え真っ暗闇になった。)後日、生徒さんへの連絡事務もあり、徒歩で会場まで通い、その中で「こんな時にカルチャーを開講している場合ではない。」という苦情と、「カルチャーがあることで、心が紛れる」という意見があることを知った。開講するかどうかも、講師の判断に委ねられていた。ワタシは、ガソリン不足でみんなが来られないことがわかっていたので、休講にしてもらった。

でもまもなく、ワタシは、これ以上は続けられない(気持ちが)という気持ちを無視することができなくなって、随分お世話になったけど、やめることを決断した。たぶん、カルチャーという枠にあわせて、教えるということに耐えられなくなったのだと思う。どこも妥協したくなくなったんだと思う。どこまでも自由に、思い切り我がままに、自分のタップを伝えたくなった、んだと思う。どうやったら生徒さんをたくさん集められるだろう、なんて考えたくもない、と思ったのかもしれない。ただ自分がタップに惹かれたのはなぜだったっけ、ってことばかりが鮮やかに思い出されてしかたがなかった。そのことをちょっぴりでもシェアすることができたら・・・。結局は、自分にとってタップは、やはり大切なものだったんだ、って・・・時間がかかったけど確かめることができた。

カルチャーのような場所は必要だと思う。いろいろな形でひとが繋がれる場所は多ければ多いほどよい、と思う。
ワタシには、カルチャーではなかったけれど。昔、カルチャーが果たしていたような役割を果たせる新たな場所が、ますます必要にはなるだろうと思っている。
閉鎖のお知らせ

大きく見せたがる人と、そうでない人。

2015-01-06 18:58:44 | テレビ
意味深なタイトルかしら?
すみません、TVの話題なの~

おとといから新しい大河ドラマ「花燃ゆ」が始まったな~って
奥田瑛二さんが役者で出てるじゃないですか、安藤サクラちゃんパパ。

おととし12月、奥田瑛二が監督として「今日子と修一の場合」を携えて山形に。
やっぱり会えるんだ。(笑)
いやね、タイトルにこめた思いっていうのは、大きく見せたがる人って、意外と世間にたくさんいそうだけど、やっぱり、逆が、断然かっこいいな、って思って。
奥田瑛二監督も「そうでない人」のひとりだな、と思って。実物、めちゃくちゃかっこよかった!!(笑)例えば他にも、白戸家のパパなんかが本気で演じちゃったら、若い俳優さんなんかは、完璧に食われちゃいそうだな、って。見守る感じが、さすがベテラン(?)
本人に会えたりすると、役とのギャップがわかって、すごく面白い。今後ドラマで、見せ場が増えるのかわからないけれど・・・・あのままじゃやだな。役より全然かっこよかったよ(笑)話も、ほんとに面白かった!!
みんなも会えばよかったのに~~

2015年は節目の年

2015-01-04 15:20:31 | 社会
あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

昨夜は、楽しみにしていた「いとうせいこうのトーキングセッション」(ゲスト:石牟礼道子、中村岳志)を聞きました。中身ぎっしりの貴重なセッションでありました。ラジオは久しぶりに聞きましたが、声の力って凄いですね。特に石牟礼道子さん!・・・ラジオなのに、石牟礼さんが話すと、空気が澄んでくるような気がする。まるで、他の人間とは違っているみたいな。地球全体を見渡しているような、とてつもないものを感じずにはいられません。石牟礼さんのお誕生日が(誕生日をお祝いしたことはなかったそうなのですが、2011年だけは、看護婦さんたちに花束でお祝いしていただき、うれしくなってTVをつけたら、津波の映像が流れてて、ところどころ火が見えて、なにが起こったのだろう、と驚いたそうです。)3月11日であるというのは、偶然だとはワタシにも思えません。

2015年は、戦後70年。阪神淡路大震災から20年。地下鉄サリン事件から20年。象徴的な出来事が起こった1995年は、バブルがはじけ、日経連(今の経団連の前身)が、終身雇用の時代は終わった、と今を予測するような発言を始めた年。(だそう。)

戦争にしても、地下鉄サリン事件にしても、ワタシたちは、社会が向き合わなければいけなかったことにちゃんと向き合ってきたのだろうか?という思いが強いです。誤解を恐れずにいえば、原爆を投下された唯一の国、という被害の側面からの主張に偏ってはいないのだろうか、という気持ち。サリン事件は、特別な人間が起こした特別な事件なのでしょうか。もしかしたら、誰でも起こしうる可能性を含んだ事件なのではないのでしょうか?そこから(問題の本質から)逃げ続ける限り、悲劇は繰り返されることになる、と。現に、足尾銅山の猛毒事件、水俣病、福島の原発事故は、繋がっているでしょう。ー最近の理解に苦しむ犯罪の根っこは、サリン事件と同一線上にあるのでは。日本は今、地殻変動が起こっていると。自然も、人も。
過去を生きた人(死者)、今を生きてる人、未来に生まれてくる人ーそのつながりをいつも心に留めておくことが大切だと感じます。

って、新年そうそう固い話になりました。が、
今日は、新年、初映画。記念すべき作品は「100歳の華麗なる冒険」HP
会いたい、会いたいって思ってた友人にスーパーでばったり会えて!「面白かったよ」と教えてもらったので即(昨日のラジオの中身と重なるとこが多くてびっくり」。。。)
新春にふさわしい、珠玉の?作品でした~。楽しくて、楽しいだけじゃなくて、元気をもらえるとびきりの!!
「人生は何が起こるかわからない。考えたってしょうがない。」ー矛盾しているようだけど、これもひとつの真実ですよね。頭で考えることより、大切なことがある、っていうのも本能でわかりますよね!
長々書いちゃったけど、2015年が、皆様にとって、素敵な年になりますように