日々の泡

こころに浮かんでは消え、消えては浮かぶ
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結局ワタシは・・・

2015-05-25 11:45:00 | 日々
追いかける(追いかけたい)背中を見失って途方にくれていた。
・・・って、そんな感じなのかな~。。。最近感じはじめた。(振り返って考えるとね。)

山形で育っていた?時代も、年頃のせいもあるだろうけど、なんだか住んでる世界が小さく小さく感じられて息苦しくて・・・早くここから出たい、出たい、と。それしかなく、ひたすら時を待って、存在を消して死んだように生きていた、高校生の時なんかは(本人はそのつもりだったんだけど、それが逆にめだってしまった面もあった模様・・・汗・・・)感覚がある。
東京に出てすぐは、「ほら!!やっぱりあった!!!」みたいに、どこまでも広がるような感覚を、山形には感じられない自由な空気を感じていた。それほどまでに刺激的で、まわりには尊敬できる魅力的で面白い大人たちがたくさんいた。・・・・(でも今思うと)あれは、東京だから、ではなく、たまたまワタシの運がよかっただけなんでしょうね・・・。

ワタシは前をいく背中がみえないと、生きていくのが不安なタイプだったのかもしれない!(笑)
気づけばいつも心密かに、憧れ、だったり、尊敬だったり、ただ魅力的に映る人たちが周りにいて。。。
その背中を追いかけて生きているようなところが、確かにワタシにはあった。そのことをよくない、という人がいるかもしれないけれど、素敵だな、という生き方をしている人に出会えば「ワタシもあんな風になれたらいいな!!」って単純に思ってしまう。なにか、小さくてもいいから目標や目的がないと、どこまでも怠けてしまいそうな自分。
同時に、経験を重ねていけば当然よいことばかりのはずもなく、「人を安易に信じちゃいけない。」っていう思いもめばえはじめてて。人に対する疑いとか、信じてしまうことの怖さとか。

(そして?ワタシは東京から山形へ~自分から戻りたいと。)

決定的だったのが、2011年の東日本大震災。避難所に通って、人間の最低なところと最高なところを同時に見ることになってしまった。ワタシの器では、そのことに対してどんなふうに頭の中で処理していいのか到底わからなかった。そして、途方にくれた。

でも、最近また盛り返してきたんだ(笑)最近災害とか多いでしょ。
「人間はみんな死んじゃうんだな。」ってあたりまえのことがーこれってあきらめの極地であり、救いだ、って。
どんな人でも死んでしまうなら、「せっかくだもの、好きな生き方したい!!」って。(シンプルだね。シンプルこそが難しい。)
高峰秀子も55歳で、やりたくなかった女優生活から引退することができて、運命に味方してもらったような出会いにも恵まれて、さあこれからは好きなように生きる、って。どんな小さな事ひとつとして、妥協することなく、自分にひたすら正直に生きた生き様。かっこよすぎてワタシしびれまくっています。
ーそんな風に思えるようになったら、不思議とまたいろんな背中が見えはじめてくるようになりました!前を歩く、面白くて素敵な背中がたくさん!!パズルが完成に近づいているのかな?などとワタシはまた、妄想をたくましくするのであります。

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