日々の泡

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セッションのように

2016-06-10 14:02:42 | 映画・音楽
映画とか、絵画とか、音楽とか、文学とか・・・・
どれが優れてる、とか、「これこそがアートだ」みたいなのを語るのって、阿呆くさい(笑)
ワタシが一番大切だと思うことは、「ワタシが好きなのはこれなの!」ってこと、だと思う。
自分が好きだ、と思うことには理由がある。自分がこれまで生きてきた人生のなかに、それ(好きな理由)は詰まっていて=違う人生を歩んできた他人と好みが違うのは当たり前だ。

でも、違う人生を歩んできたはずなのに、
価値感が似ていたり、進んで行く方向が同じだったり、涙を流すツボが似ていること。
他人のなかにそれを見つけることは、驚きであり、喜びだ。

同じ細胞を持つ相手に、表現者が作品を投げかけた時、おもわぬ化学反応が起こることがあるのではないか?
・・・最近ワタシ、以前にも増して好き嫌いがはっきりしてきた(汗)・・・・すべてにおいて・・・(違う意見でも否定はしない。ただ、自分は違うな。好きになれないな、と思うだけ。)


映画のWSの思い出、少しだけ。映像の演技はまったくはじめてだったけど、演劇となにが違うか、って、「テンポ」でした。セリフの。特にワタシは新劇しか知らないから。5日間あったうち3日間が演技(実際の映画のシーンを使ってのエチュード)で残り2日で短編を撮影することになったんだけど。。。
3日目の後半は戯曲を映画作品にしてみよう、という試みで、戯曲嫌いの監督が、名前を聞いたことがある、というチェーホフの「三人姉妹」を演じてみることになり、作品の内容を知っている「乾電池:柄本明さんとこの劇団」の役者さんの解説のもと、現代語でさらっとした演技に置き換えてやってみました。(ワタシは勉強不足で、チェーホフは「かもめ」と「桜の園」しか知らない。)なんじゃこりゃ=でしたが、監督は天才なので「おっ、チェーホフ面白れえじゃん!すごい映像的だ!!」と予想外に喜んでいました(天才は、天才に通じるのですね)

次の日のいよいよの短編撮影は台本があるわけでもなく、決まっているのは教室を舞台にした作品を作る、というだけでした。監督はさんざん、アイデアを考えておけよ、と受講生に連日言っておきながら4日目の当日「おれ、早めにきて喫茶店はいったら、全部できちゃった」と言いながら、25人の受講生を5ぐるーぷくらいに分けて、それぞれの役の設定を説明しはじめます。それからが早い。みんな現場慣れしているからでしょう。あっというまにラフカットで、いきなり監督が自分の頭のなかにあるカット割で撮影がはじまってしまいました!(茫然)

やるしかないので、やりましたが・・・楽しい!!3日間の間に監督は受講生のそれぞれ性格などを見抜いていたようです。適材適所で、いるだけで面白い。カメラテストをその都度みんなで観るのですが、それを観ただけで、どういう作品にしようとしているのかが、はっきりわかる!!昨日のチェーホフダアアア!!!!びっくりでした。チェーホフの面白さがワタシにもわかりました。ここでも演劇との大きな違いが・・・カメラの存在!!カメラに映っていないとこでどんなにいい演技をしようと意味のないことが。逆にここで「この絵が必要(アップ)」というところでは絶対はずしてはいけない。だから常に、演じている自分と、客観的に段取りだとか、カメラを意識するということを同時進行させている。反射神経みたいなのが大事ね、って感想。
監督は、作品作りを、自分は音楽のセッションのようなもの、と考えてるとおっしゃっていました。なるほど、と思いましたが、ワタシは、「格闘技」のようでもあるな、と思いましたとさ。