宇宙の彼方から

自然の不可思議な森羅万象に揉まれる自分や他人の有り様を見つめる。

戦さ

2007-04-13 07:00:32 | 
「戦争」も江戸幕府以前の「戦」も、事の本質は変わらぬ。

良くテレビなどでは、NHKの大河ドラマしかり、小説を書く司馬さんなどもしかり、歴史上の人物や事柄を歪曲して格好良く描くが、現実の「戦」はそんなものじゃない。
今の企業と照らし合わせてみるがい。
槍、刀、竹槍、鍬、木の枝、石ころ、投げたり、突いたり、のビクビクした戦いだ。
実際のお抱え侍は、後ろで逃亡を計る者たちの監視役でしかない、所謂。この実戦をする者たち(高給で雇った浪人や遊び人や悪者や与太者、高給の募集で集まった者たち、憧れの威張れる侍に成りたがっ者たち)強制でみんな「馬鹿らしい」と逃亡を企ててしまえば、お抱え侍たちは丸裸も同然、最後は開き直りか、逃亡しかない。

お金のふんだんにある大名たちは、雇い侍に戦闘服も着せられたでしょう、刀、鉄砲、鎧も持たせられたでしょうが、大抵は仕方なく参加させられ、着の身着のまま命令一過前線に引っ張り出されてその他大勢として散っていくのみであったろうに・・・・

戦さを「お祭り」意識で参入する者もある、刺激を求める者たちもいる、しかし、毎日の生活の維持に懸命になっている者たちも多くいる。
みんなが、老人も女性も子供も、その「戦さ」のために動くのである。
そして、帰って来るのは、屍と涙と途方に暮れる生活だ。