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日々、あんのん。

からだの育ちの凸凹、学習のスタートラインにつけない人のもっと学びたい、発達したいを応援します。

発達支援コーチ中級講座。

2015-06-20 22:41:39 | 発達応援
 一日中、雨が降らなかったのは久しぶりな気がします。
それでもやっと曇り。
お天道様を一週間以上見ていない気がします。
ふぅ~。

 今日は、発達支援コーチの中級講座の1日目でした。
原始反射の「緊張生迷路反射(TLR)」と「非対称性緊張性頸反射(ATNR)」について学びました。

 原始反射というのは、
胎児が生き残り、成長するために子宮内で現れる反射的な動きのことで、
赤ちゃんの初期の発達に重要な役割を果たしますが、
やがては、原始反射は統合されて、中枢神経が発達し、
より高次の脳によってそのはたらきは抑制されていきます。
しかし、何らかの理由で原始反射が統合されずに残存している場合があり、
それによって、本人が色々なことがやりにくかったり、困り感があったりすることがあります。
      以上一般社団法人ここ・からだのHPのまとめ~

 今日は上にあげた反射について学び、
自分がやりにくい動作について、もしかしたら、反射の影響かもよ、ということで、
反射を統合するエクササイズをして、自分のからだに起こる、ビフォー・アフターを検証しました。

 おもしろいのは、反射を統合するエクササイズをした後は、
自分のからだに目を向けやすいこと、やりにくかった動作がやりやすくなっていることです。

 誤解して欲しくないのは、
「別に、私、他人から見たらやりにくそうでも、このままでいいもん!」と
いう人は、そのままでも構わないのです。

 逆に、困り感がなさそうでも、本人が「困ってるの・・・。」と思えば、
エクササイズをしてみたら良いと思います。

 一つ一つの反射と統合の遊びも興味深く、楽しかったのですが、
一日を通して、心に残ったのは、
今日の講座の講師である、はいちゃんが最初に言った、
「人生の質をあげること。」と言う言葉です。

 反射は残っていても、困るかもしれないし、困らないかもしれません。
反射の残存度を感じる感度も個人によって違うと思います。

 でも、この中級講座を受講することで、
こころとからだのつながりを自分でしっかり感じ取れて、
人生の質があがる、というのはあり得るかな、と思いました。

 明日も学びの続きです。
デザート食べて、明日に備えます。

ブレインジム体験会in鹿児島。

2015-06-19 22:37:46 | 発達応援
 桃ちゃんは、遊ぶのが大好き。

 

 でも、自分だけ特別で遊んでもらうのが好き。



 なかなかの女王様です。

 今夜は灰谷孝さんこと、はいちゃんのブレインジム体験会でした。

 ブレインジムの体験会では、
「PACE(ペース)」というブレインジムの基本の動きを学ぶことが多いので、
体験会=PACEとなんとなく、私の中でなっていました。

 ところが、今日は違いました。

 学びのためには基本の部分から、
呼吸→感覚→動き→言語→学習というピラミッドを教えていただいて、
その基本の部分、呼吸や感覚、動きについて、
エクササイズをしました。

 おもしろかったのは「前庭覚」という部分がうまく働かない状態の体験。
これは、例えばボールをうまく投げられなかったり、
ドッチボールをするときに、ボールのスピード感を必要以上に感じたり、
バットを額につけて10回、回っても目が回らなかったり、
そういう感覚に関係のある部分です。

 そして、この前庭覚は読み書きの発達にも関係するそうです。

 読み書きの力をつけるために、たくさん書く、たくさん読むことも大切ですが、
前庭覚が育っていないと、そんなことはただの腕の運動、目の運動にしかならない可能性大ですね。

 やはり、からだからアプローチして、からだを育てることは大切ですね。

 また体験会の中で、今の自分の心の状態やからだの状態はどんな感じ、と
いうことにも注目して、エクササイズする前と後を比べたりもしました。

 私の体験では、エクササイズ後はからだが動きやすく、軽くなりました。

 ブレインジム。
からだを動かして、心の有り様が変わったり、筋肉の感じ方が変わったりします。

 22日の19時~、また別の角度からのブレインジムの体験会が蒲生であります。
ぜひ、お越し下さいませ~。
 

再考、ねりねり。

2015-06-18 17:28:59 | 日記
 漬けた梅の梅酢があがっていたので、
そろそろ赤紫蘇の算段を…と思って、八百屋さんへ。

 ありません、赤紫蘇。
聞くと、毎日10束ほど入荷するのだけど、売れてしまうそうです。

 梅を漬ける時期は、みんな似たり寄ったりなので、
赤紫蘇が必要な時期も似たり寄ったりになるのせしょうね。

 とりあえず、来週入荷分で予約をして帰ってきました。
雨が続くので、作物の育ちも悪いみたいだし、
人の思うようにだけとは、世の中いきませんね。

 さて、昨日は早朝の仕事が休みでした。
でも家事などするので5時前には起きているので、まるっと一日有効活用です。

 そして、思ったのは、
早朝の仕事は、身体も使うし、段取りも考えるし、
他のパートの方とも楽しく仕事ができるし、
何より、定収入を私に運んでくれるありがたい仕事だけど、
一日家に居るというのは、読みたい本や読むべき本がさくさく読めて、
気になる家のこともできて、
アロマやフォイヤーシュタインのことにも時間を割ける!
素晴らしい!ということ。

 良いですね、仕事にも繋がっていくことが好きなことって。

 ただ、私の場合、それで経済バランスをとれていないのは、
よろしくない!

 よし、もう一度、
放ったらかしのHPやら作りかけのannonの案内やら練り直すぞ!

 気がつけば、夕ご飯の準備も迫る時間

 どっちもがんばろーっと。

 

内部観察。

2015-06-17 12:23:20 | 発達応援
 朝、日曜日に漬けた梅をチェック!

 やったー!!!!
梅酢があがっている。
赤紫蘇の準備もそろそろ始めなくてはいけませんねぇ。

 でも、こんなに雨ばっかり続くと良い紫蘇が手に入るのか?
ちょっと不安であります。

 昨日の本読了。

 作者の方は脳性麻痺の子どもへのリハビリを行うセラピストの方で、
本の内容も脳性麻痺の子どもの臨床例からの発達に関する本です。

 私はそのような医療に携わるものではありませんが、
本の内容は子どもに対する観察の方法や観察後、何をどうするか、という点で
新たな視点を与えてもらいました。

 特に、「内部観察」という、
子ども(本では『患者』)自身の現実を推察するという視点は、
とても大切なものだと思いました。

 さて、自分ではない、他者という存在の子どもの内部を観察するということについては、

 1 みずからの身体をどのようにかんじているか。
 2 世界をどのように感じているか。
 3 世界とかかわるということをどのように了解しているか。
 4 自分自身のありようをどのように感じているか。

という4つの視点をあげておられます。

 本の中では、身体感覚について書かれていると思うのですが、
私は、フォイヤーシュタインなどで子どもにある認知を獲得させるために、
子どもと認知の媒介者である私が持つべき視点としても大切だなぁと感じました。

 とはいっても、本を読み、その症例をみていると
一朝一夕にできるものではないことは容易にわかります。

 それでも、そのような視点を知ることができたことは、やっぱり収穫ですね。

 「内部観察」
頭の片隅に置いておこうと思います。

発達とは、なんだろうねぇ~?

2015-06-16 21:53:37 | 発達応援
 雨、雨、雨、雨・・・・・・。
よく降ります。

 早朝職場の同僚で、
「雨の日大好き。ああ、なにしようってわくわくする」という方がいらっしゃいます。

 雨の日は、私はほぼ、ダメ人間と化しています。
暑い日射しで、買い物にも出たくない!と文句をたれる自分を容易に想像できるのですが、
来い!盛夏って気分です。

 本、その中でも小説を読むというのは、
自由で豊かで、楽しい時間を私に与えてくれます。

 作者が書いた、ストーリーにのって、どこに行き着くかは読み手次第。
読み終わった後、とても前向きな気持ちになったり、世の中が新鮮に見えたり、
自分の中で続きのストーリーが始まったり、
それは誰にも迷惑もかけない自由な空間が脳内に広るものだったりします。

 それに比べて、評論、研究論文的なものは、
私の解釈無用で、そこに書いてある作者が掴んだ事実をなるべく正確にこちらも読み取ろうとするので、
単語ひとつの意味も私がとらえている意味だと、こうだけど、
それじゃあ、なんか、よく意味が分からない…と立ち止まりながら読むので骨が折れます。

 今、読んでいる本も難しくはないのですが、時々立ち止まってしまいます。



 この本で書かれている状況は、リハビリ現場でのセラピストと子どもとの関わりですが、
私が子どもたちと一緒に学ぶときに、頭に置いておくべき示唆に富んでいます。

 例えば、子どもとのリハビリが成立しないため、その子が拒否せずに参加できる課題を行ったとき。
それは、一時的には課題が成立したように見えても、
自分ができなさそうなことは拒否する自己防衛的な振舞いを強化させることになっていることがある、ということ。

 例えば、集中して課題に向かうようになり、
本人が参加できる形で課題を続け、少しずつ難易度もあげて、本人も楽しんでいるように見えるとき。
実は、本人ができるだけ集中できる課題を繰り返した結果、
その子は、その時間を機械的にやり過ごす、という自己防衛的な振舞いを強化していたに過ぎなかった。

 などなど。

 私の日頃の関わり方によっては、
子どもの自己防衛的な振舞いの強化につながるかもしれない、
あまり、私の視点にはなかったことがこの本には書かれていました。

 一見、できていると見せかけての、自己防衛強化。
これでは、子どもの中に何も入らないし、残りません。
やり過ごし方を学ぶだけ、ということにもなりかねませんから、厄介なことですね。

 こうやって仕入れた知識が、私の中で消化されて生きるのか、
忘却の沼の澱となって、沈んでいくのかはわかりません。

 それにしても、世の中、当たり前ですが、
知らないことだらけですね