日々、あんのん。

からだの育ちの凸凹、学習のスタートラインにつけない人のもっと学びたい、発達したいを応援します。

小さな教室で小さな抵抗。

2018-09-17 15:40:35 | 発達応援
 鹿児島の梨どころ溝辺でも2軒しか育てていない、
貴重なりんご梨をいただきました。



 香りはりんごっぽいです。
お味は…、よるのデザートまでお待ちください!
楽しみ楽しみ。

 昨日の個人指導で幕を閉じた、鹿児島でのコンディショニング講座。

 講座に来ていたお子さんや個人指導を受けにいらっしゃったお子さんを眺めながら、
「発達障害です」「特性が…」と言われるお子さんや親御さんの来し方を思い、
今までは、ぼんやりと、そうだなぁ、と思っていたことが、
カチッと音がするようにスイッチが入りました。

 それは、いわゆる、発達支援に関わるギョーカイさんのことです。

 講座に来てくださっている親御さん方の中には、
早期から療育に通っている方々もいらっしゃいます。

 ところが、どうも、話を聞いていると、
療育で、あるいは発達支援センターでお子さんについて教えてもらえるのは、
「集団が苦手なようだ」とか「癇癪を起こしやすいですね」とか「不器用ですね」というような、
お子さんに起こっている目に見える現象についてのみです。

 それは、学校に上がってからも続き、
お子さんが学習について、間違いや訂正を受け入れられず癇癪を起こすので
精神科、心療内科的なところの受診をしてはどうだろう…てきなことを勧められたとの
話をされていた方もいらっしゃいます。

 療育でも支援センターでも学校でも、
パッと目につく部分を指摘して、それが一体何に由来するのか、
どうしてそんな風になるのか、そんなことには一切触れないのでしょう。

 それは、いたずらに親御さんの不安を煽り、
お子さんに発達障害のラベルを貼って、それが仕事と思っているかのようです。

 そして、親御さんもまた、
言われたことに対して、その現象のみをどうにかしなくては!と焦って、
原因をじっと見つけることよりも、目に見える現象をもみ消すことに必死になってしまうのでしょう。

 その結果、お子さんも親御さんも疲れきっている、
そんなことを感じることがあります。

 苦手なことの後ろには、発達のヌケがあります。
そこを抜かしたままでは、身体的な発達も、学習や認知の発達も覚束きません。

 支援したり、指導する人たちは、
子どもたちのできないことの裏側にある発達のヌケを丁寧に見て、
その抜けた部分を補っていく手だてを考えて、
お子さん本人や親御さんに知らせ、実践してもらうのが仕事なのではないでしょうか。

 講座で栗本さんがおっしゃっていた、
「その子のことをちゃんと見なくちゃ。
ただ、やればいいってもんじゃないでしょう。」という言葉。

 やっていることの先に、その子の未来につながる道はありますか?
その道は、子ども自身が選べる道ですか?

 子どものためにと通った療育や支援センターで、
子どもの将来を思ってやっていたことが、
いつの間にか決まった一本道へ誘導されていたということがないように!

 そして、私も微力ですが、
発達・福祉のギョーカイさん以外の選択肢として、
鹿児島で子どもたちの身体そだてを親御さんたちにお伝えできるように、
自分の頭を耕し、体力を使っていこうと思います。

 

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