日々、あんのん。

からだの育ちの凸凹、学習のスタートラインにつけない人のもっと学びたい、発達したいを応援します。

うさんくさく思う発達界隈の世界。

2017-09-26 16:36:04 | 発達応援
 最近、桜がやたらとテンションが高くて、振切り気味。
梅ちゃんやちぃではないけれど、私もうんざりするほどです。

 そんな桜ですが、昨日からお漏らしの匂いが生臭いので、
「これは、血尿か、細菌だな」と思い、かかりつけの動物病院へ。
膀胱の収縮がうまくいかないので、膀胱内におしっこが溜まり過ぎると膀胱炎を起こすようです。

 動物病院でもいつも歩く様子を観察されたり、抗生剤の注射をするのですが、
今日はテンションが高く、歩いたが最後、動物病院内を駆け回り助手の方が「さくらちゃ〜ん」と大慌て。
いつもは猫かぶって注射もおとなしいのに大暴れ。

 病院の先生が「大人の歯に変わったし、季節的なものやら発情期やら、あるかもねぇ」と。
桜のコンディショニング整えることも考えなくてはなぁ〜。

 生きていく上で、より良くありたい、と思うのは誰しも思うことだと思います。
だからこそ、「これで良かったかなー」とか「もっとこうできるな!」と色々、頭も使います。

 その、よりよくありたい、という誰もが自然に思う気持ちに、
忍び寄るのが「コンサルタント」だったり「セラピスト」だったり「コーチ」だったりの猫烏賊さんではないか、と
個人的には思っています。

 忍び寄る、とは変な言いがかりつけるなよ、と言われそうですが、
誰もが持っている、いくつかの不得意なこと、不得手なことにスポットライトを当て、
「あなた、こういうこと不得意じゃない?」と言われれば、
大体の人が「そうかも!」と思い、そこからは猫烏賊さんたちの思うツボ。

 なんだかなー、と思うのです。

 『人間脳を育てる』で発達のヌケ、というキーワードがありました。
そうすると、「発達のヌケを、埋めますよ!」というようなセッションを見かけます。

 発達支援コーチを受けていて思うのですが、
誰しも、丁寧に、集中して、その人だけに向き合ってもらえたら、気持ちが落ち着くのは当たり前。

 それだけ、普段は、自分にだけとか、子どもにだけ、と雑念なく、集中して
がっぷり、がっつり、向き合う時間が取れないということなのだろうなぁ、と思うのです。

 日常は、掃除をしながら午後の予定を考えていたり、昼食を食べながら夕飯の段取りを思ったり、
お茶がおいしいと思いながら、SNSでの情報が気になったり、せわしなく過ぎていきます。

 より良く、とか、発達のヌケを埋めるために、自分の行動に自分でふと、目を向ける時間があったら、
よそさまを頼らずとも自分で、タダで、どこでも、いつでも、自分を良いほうに持っていけるんじゃないかなぁ、
そう思います。

 でも、私は「よりよい、私探し」とか「今より発達」とかも、うさんくさく思っています。

 特別なご褒美のような自分探しの日を誰かと過ごしても、それはその一回だけで一生、持続するのかなぁ。
腕の良い、セラピストやコーチやコンサルの人なら、一回でいいのかなぁ。
それだと、そういう仕事の人は、腕がいい人だけに淘汰されるだろうし、
クライアントさん、一回で来なくなったら、食えないですよね。
腕がいいから、次から次へ、違うクライアントさん来るのかな?
わからない世界です。

 日々淡々と、自分で良いと思う選択をしながら、暮らすこと。
私は、そういうふうなことが性に合っているみたいです。

 
 
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