お盆の時期はとうに過ぎてしまいましたが、ちょうどその頃に買い物に行ったホームセンターでは、盆提灯が売っていました。
今年のお盆は、ちょうど夫の車の便がある時期に少し早めに帰りました。
お盆の精進料理で梅干しを種ごと叩いて潰したものをお供えするので、私が漬けた今年の梅干しも持って行きました。
納骨堂に行き、手を合わせてちょっと近況など報告して帰りました。
その近況の中に、母の兄で、父も親しかった伯父さんがもしかしたら、近々そちらに行くかもしれない、ということがありました。
伯父は九十歳。
とてもユニークな人で、昔の田舎の長男ぼんぼんの典型のようなお気楽さとわがままさと小心さがある、根は優しい人でした。
小さい頃、夏休みには祖母が住む家に遊びに行っていました。
そこには伯父一家も住んでいました。
一番大きい部屋に集まった子どもたちはまとめて寝ていたのですが、子どもが多いときは9人、少ないときは4人集まれば、なかなか寝ずにきゃきゃきゃっと小声で遊んでいました。
すると、半ば酔っ払った伯父が「寝てない子がいるねー」とか「オオカミが来たぞー」などと言って乱入し、くすぐったり、タオルケットを被せたりしていきました。
小さい私たちは、それが面白かったり、怖かったりしてキャーキャー言っていたのを覚えています。
また、「ミステリー列車旅行」と称して、その頃まだあった肥薩線を乗り継いで、人吉まで連れて行ってくれたこともありました。
「アイスコーヒーを作るよー!」と牛乳たっぷりの甘く冷たいコーヒーを作ってくれたり、かき氷を食べに連れて行ってくれたり、見境なく子猫をもらってきたり、なんだか大きいガキ大将のような伯父さんでした。
ここ最近は、10年ほど前に初めてなった脳梗塞を繰り返し、「飲むな」と言われる焼酎も隠れてでも飲み、吐血した、下血したということも度々。
最後に会った数年前もいたずらっ子のような顔で相変わらずの伯父のままでした。
危ない、と言われながらも誕生日の6月は超え、入院先から一度は帰宅し、お盆が過ぎて数日後、伯父は旅立って行きました。
葬儀は家族と妹である母、私たち夫婦が参加しました。
生きている間は、ふざけたような言動で、家族に総攻撃されていることが多かった伯父ですが、いつも、笑いを提供していました。
子も孫もみんなが泣き、伯母さんも冗談を語りかけながら、でも「まこっ、あいがてさげもしたなぁ」と棺の伯父に何度も頭をさげていました。
面白いけれど、いつも、何かごたごたしている伯父の家でしたが、それも含めて伯父の家だったのだなぁとしんみりした気持ちになりました。
母が「兄ちゃんが行ったねぇ。ねー、順番やっど!」とぽつりと、でも自分に気合を入れるように言いました。
そうか、そうだねー。
一生懸命生きんとやねーと話しながら帰路に着きました。
伯父さん、かわいがってくれて本当にありがとうございました。父や祖母によろしく!
合掌。