いつも朝が早い私ですが、今朝は3時過ぎに起きました。
なぜか…。
それは、風呂に入るためです。
私の住む町は、先日の雪のため水道の水漏れが相次いでいて、
各家庭の使用が増える時間帯になると、水はちょろちょろしか出なくなります。
昨日は夕方7時半頃にはぴたりと一滴の水も出ませんでした。
ですが、普段も4時起きなので、その時間は普通に水は出ていました。
それなら、仕事も行くし、湯冷めを避けるべくもっと早くに風呂に入ろうと思い3時起き。
予想は当たり、家々が寝静まった時間帯は水の出もよく、
普通にだばだばと風呂に入ることができました。
そして、ポットに湯を沸かし、さらに、薬缶に水を溜め、
鍋には出汁取り用の水も入れて、夕飯用の米もとぎ、野菜もゆでて夕飯の準備もok。
有意義な朝でした。
何度か書いていますが、
私がやっている早朝の仕事は、覚えてしまえば日々繰り返しのルーティン作業です。
それでも、時々、ほんのちょっと、いつもと違う出来事があります。
今日は片付けの最中に、ほんのちょっと違うことがあり、
明日の作業で戸惑わないように、と片付けた人からの説明がありました。
それは、いつも大きめのカゴ車に4箱だけ乗っている蓄冷材の箱に、
+αで各トラックに積込む蓄冷材の箱が乗っているので、注意してくださいね、というものでした。
どう注意するかというと、
各トラックに積込む蓄冷材の箱にはトラックの番号が打った紙が貼ってあります。
その紙に従って、各トラックに蓄冷材の箱を配ると、ポツンと4箱何の紙も貼っていない蓄冷材が残ります。
そのポツンと残った4箱の蓄冷材は、いつもその4箱が置いてあるパン箱の横に置くのを忘れない!
ということでした。
その説明を聞いたとき、ほとんどの人が、
ああ、トラックに配ってから、その4箱を迷子にしないようにってことね、と合点したのですが、
ひとりだけ、入って4ヶ月が経つ同僚が、鳩が豆鉄砲食らったような顔をしています。
もう一度、説明してくれますが、
目は点のままです。
「どこがわからない?」と聞くと、
「パン箱の横に4箱の蓄冷材って、置いたことないからわからない」と言います。
「蓄冷材の準備のとき、4箱に16枚いれてるでしょ、あれよ!」
というと、「ああ、あ~あ~!」と言いつつも、
「置いたことはないから…」と言い続ける同僚に、
「明日、自分で置いたらわかるが」と先輩同僚は言い、その話は終わりました。
私は、「置いたことないからわからない」と言う言葉にめまいがしました。
この4ヶ月、一度もそのカゴ車を引っぱって来る仕事に当たらなかったのは、
ラッキーか、アンラッキーかわからないけれど、
いつも自分たちがやっている仕事の流れが、
4ヶ月が過ぎようとする今も、まだつかめていないのか…と絶句しました。
どうりで、いつもマンボウのように浮遊しているはずだわな、と、
ため息が出ると同時に、そこまで流れがつかめないというのは、
仕事をしているときに、何を考え、何を見ているのかなぁと不思議な気持ちになりました。
少しでも覚えたほうが自分がラクだし、周りの人とも助け合えると思うし、
いつも誰かに指示されないと動けないのは、窮屈ではないのかなぁ~と思ったのですが、
そういう考え方も私自身が、誰かに「これやれ、あれやれ」と言われてやることが好きではない、という
嗜好性の問題かもな、と思った今日の早朝の仕事場での出来事でした。
なぜか…。
それは、風呂に入るためです。
私の住む町は、先日の雪のため水道の水漏れが相次いでいて、
各家庭の使用が増える時間帯になると、水はちょろちょろしか出なくなります。
昨日は夕方7時半頃にはぴたりと一滴の水も出ませんでした。
ですが、普段も4時起きなので、その時間は普通に水は出ていました。
それなら、仕事も行くし、湯冷めを避けるべくもっと早くに風呂に入ろうと思い3時起き。
予想は当たり、家々が寝静まった時間帯は水の出もよく、
普通にだばだばと風呂に入ることができました。
そして、ポットに湯を沸かし、さらに、薬缶に水を溜め、
鍋には出汁取り用の水も入れて、夕飯用の米もとぎ、野菜もゆでて夕飯の準備もok。
有意義な朝でした。
何度か書いていますが、
私がやっている早朝の仕事は、覚えてしまえば日々繰り返しのルーティン作業です。
それでも、時々、ほんのちょっと、いつもと違う出来事があります。
今日は片付けの最中に、ほんのちょっと違うことがあり、
明日の作業で戸惑わないように、と片付けた人からの説明がありました。
それは、いつも大きめのカゴ車に4箱だけ乗っている蓄冷材の箱に、
+αで各トラックに積込む蓄冷材の箱が乗っているので、注意してくださいね、というものでした。
どう注意するかというと、
各トラックに積込む蓄冷材の箱にはトラックの番号が打った紙が貼ってあります。
その紙に従って、各トラックに蓄冷材の箱を配ると、ポツンと4箱何の紙も貼っていない蓄冷材が残ります。
そのポツンと残った4箱の蓄冷材は、いつもその4箱が置いてあるパン箱の横に置くのを忘れない!
ということでした。
その説明を聞いたとき、ほとんどの人が、
ああ、トラックに配ってから、その4箱を迷子にしないようにってことね、と合点したのですが、
ひとりだけ、入って4ヶ月が経つ同僚が、鳩が豆鉄砲食らったような顔をしています。
もう一度、説明してくれますが、
目は点のままです。
「どこがわからない?」と聞くと、
「パン箱の横に4箱の蓄冷材って、置いたことないからわからない」と言います。
「蓄冷材の準備のとき、4箱に16枚いれてるでしょ、あれよ!」
というと、「ああ、あ~あ~!」と言いつつも、
「置いたことはないから…」と言い続ける同僚に、
「明日、自分で置いたらわかるが」と先輩同僚は言い、その話は終わりました。
私は、「置いたことないからわからない」と言う言葉にめまいがしました。
この4ヶ月、一度もそのカゴ車を引っぱって来る仕事に当たらなかったのは、
ラッキーか、アンラッキーかわからないけれど、
いつも自分たちがやっている仕事の流れが、
4ヶ月が過ぎようとする今も、まだつかめていないのか…と絶句しました。
どうりで、いつもマンボウのように浮遊しているはずだわな、と、
ため息が出ると同時に、そこまで流れがつかめないというのは、
仕事をしているときに、何を考え、何を見ているのかなぁと不思議な気持ちになりました。
少しでも覚えたほうが自分がラクだし、周りの人とも助け合えると思うし、
いつも誰かに指示されないと動けないのは、窮屈ではないのかなぁ~と思ったのですが、
そういう考え方も私自身が、誰かに「これやれ、あれやれ」と言われてやることが好きではない、という
嗜好性の問題かもな、と思った今日の早朝の仕事場での出来事でした。