箱に籠ることが好きな季。今朝は箱に半分入ってご飯を食べていました。
やどかり猫です(笑)
今朝の地元の新聞で、地元の大学の教育学部で定員を1割削減するという記事がありました。少子化やこの大学の教員養成過程の卒業者の教員就職率が低いことからの決定のようです。
その反面、
「今回、減員するだけでなく、学校現場の実情に合わせて増員するコースもある。近年は特別支援学級に対する理解が深まり、保護者らが増設を求める傾向があり、特別支援学級を持つ小学校の教員採用数が増えている。」
とあり、特別支援教育について専門の知識を持つ教員を増やそうということなのかな、と新聞を読みながら思うことでした。
小学校や中学校にある特別支援学級。特に小学校に入りたてのお子さんのように、子どもそれぞれのできる、できないの力の差が大きい年頃では、必要だなぁと思います。個々の子どもたちの力を最大限に伸ばしてくれる、子どもを見る目や力を伸ばす知見や知恵、頭の柔軟さを持つ先生に受け持ってもらい、普通クラスにどんどん移行していく子どもたちが増えるといいな、と思います。
ただ、特別支援専門の教員が増えることで、支援クラスを維持するために留まる子が増える…そんなことないよねぇ、との危惧が頭をよぎったのも事実です。鹿児島県では南部地域に小中高の支援学校を整備することも決まっています。少子化、ということで県立の高校も一部を除いて定員割れをしていて、私立の学校とも子どもの奪い合いだというのに、高等学校まである支援学校を整備するのです。
必要なお子さんが、無理なく通学し整備された環境の中で学ぶことができることには大賛成です。でも、普通に学ぶことができたはずの子どもたちが、力を伸ばすために選んだ道から飛び立とうとすると、「まぁもうちょっと!」といつまでも動くことができず、気がついたら自分が学びたいこと、やりたいことから離れて、戻るには遠回りで大変!ということにならないようにしたいですね。
医療や支援や療育や学校は、必要なのは認めます。でも、医療や支援や療育や学校は、その存在を維持していくために、通ってくれる人も必要なのです。
「うちの子に今、何が必要か」「私に必要なのはこれなのよ!」ということをお家で常に考えながら、見えない大きな力に巻き込まれないようにしたいですね。