雑感 独り善がり

日々の思いや怒りを自分勝手な考えで綴る

桜への思い

2024-04-08 22:35:08 | 日記

この1週間は、やっぱり桜の話題がよく出る。

先週、愛媛の桜三里?とか言う辺りを通った時、満開の桜がそれはそれはキレイで立派だった。

街なかに入るとまだ五分咲きだったので、山のふもとが満開で?街に入ると五分咲き?と不思議だったけど、

どうも有名な桜の名所だったみたい。

昨日は昨日で、車窓から見事な桜並木を堪能した。

大阪に『桜ノ宮』というところがある。名の通り、桜なのよね。近くには造幣局もあり、桜の種類が違うので

”通り抜け” はまだもう少し先なんだけど、今が盛りの桜は大川沿いにずーっと続く続く。見事だった。

今朝は、近所の公園の桜が散りかけて、我が家の玄関前にも花びらが舞って来ていた。そして雨に濡れて。

 

タクシーの運転手さんが『日本人で、桜キライって人居ないですよね・・・』と言う。そうなのかな。

何でこうも桜桜と言うのかしら?と思うでしょ?桜前線なるものが天気予報にも出て来るというのはやはり、

他の国の人から見たら不思議?なのかも。

私は桜って、満開の時の一瞬だけ自己主張するよねと思っている。花が咲くまでは分からないものが、

満開になった途端  ”ぐわんっ!”  と、その枝ぶりを見せるのだ。ハッキリくっきり。ああ・・見事な枝ぶりだなと

見とれる。

桜の季節になると思い出す歌。

清水へ 祇園をよぎる桜月夜 こよひ逢う人 みなうつくしき

そーなんだ・・・みんなうつくしいんだ。そう感じるのねと、その時の晶子の心情を思う。

 

さっき言った自己主張。それが本当に一瞬だから、はかないから、美しいのだろうか。

勿論私も桜は好きだ。でも私にとっては桜は何だか、もの悲しい。

遠い過去、嫁いだのも、別れたのも3月だった。使い方が正しいかどうか分からないが、その余韻?残照?

そういうものを引きずっている頃が丁度桜の季節だった。それはどんなに年月を越えても、毎年その季節になると

同じ様な思いがよみがえる。別れたこと自体に後悔はないが、それ以外で結構難儀な思いをした。

それが原因だと思う。

美しくてはかなくて、そして散り出すと更にいけない。悲しくさえある。1年で一番欝っぽくなる季節でもある。

 

でもね、西行のこの歌も好き。

願わくは 花の下にて 春死なん その如月の 望月の頃

暖かい穏やかな季節の、明るい頃に、そうなればいいな・・・とは思っているけれど、そううまく行くかしらね。

ノスタルジーを感じさせる桜は、やっぱり日本人には切っても切れない ”こころ” なのかもね。

ちょっとセンチになってしまったわ。らしくない💧


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。