麻生副総理が、秘書への暴行問題で離党届を提出した豊田真由子衆院議員について『あれ女性ですよ』と
述べたことに対し批判が広がっているんだって。
『学歴だけ見たら一点の非もつけようのないほど立派だったけど。あれ女性ですよ女性』と言ったことに
対して識者が『ありえない性差別』と批判していると。
私はこの麻生さんの発言、少しもおかしいとは思わないんだけれど・・・。
むしろ全く同じ考えだ。
自民党の河村建夫元官房長官が『男性の衆院議員なら、あんなのはいっぱいいる』と言ったことは少し違うけど。
フェミニズムを専門とする東京大学の清水晶子准教授はツイッターで『ありえない性差別発言』と指摘していると
書いてあったけど、私は大体”フェミニズム”と言う言葉自体がキライだ。
フェミニズムって”女権拡張主義””女性尊重主義””女性解放思想”とか、そういう類のことらしいが
いつの時代やねん!?と言う話だ。
逆に男の人の尊重主義ってのが無い方が、今の時代気の毒なんじゃないの?と思うよ。
そもそも皆何か勘違いしてないか?と私はずっと思っている。
男と女は平等であるべきだとは思うが、決して同質では無いのだから。
肉体的に物理的に生理的に、違うものなんだから。
体格が男ががっしりしてて女が華奢で・・というのはおしなべて基本的にあるよ。
だから女の人が男勝り?のことをすると”男に伍して”とか”男顔負けの”とか言われるんだ。
でも私はそれでいいじゃないと思う。
何ごとも、全く同じ条件で何かをした時、絶対に性差って出て来るよ。
普通に考えると、男の人には力では勝てないって。それが男と女の確たる違いなんだと私は思う。
男らしさだとか女らしさだとか、有るよね。男らしい、女らしい、別に言ってもいいと思うよ。
時代によって、その見方や判断基準は変わって来るだろうけれど、どんな時代にも男と女の差は絶対にある。
麻生副総理の『学歴だけ見たら一点の非もつけようのないほど立派だったけど。あれ女性ですよ女性』という
気持ち、私すご~く分かる。同じこと言いたい。
『女のくせに男の人に対してよくあんな言い方出来るね、よくもあんな仕打ち出来るね、到底女とは思えない』
私はそう言いたいわ。第一、はしたない。
著述家の菅野完さん?の言う、麻生さんのあの発言の何がセクハラなのか?何がど真ん中の失言なのか?
全く分からない。
私なんかいつの時代か?と思うほどの男尊女卑の家父長制度の色濃い家で育った。
幼いながらも”くっそーっ!”と思うことはあった。
でも大家族の中で、祖母や母は強かった。よく働いた。女らしくて従順でしなやかだけど、芯がきつくて、
逞しかった。
夫に従いながらも自分の生きる術を心得ていた。私は母が父に対して口答えしてるところなんかただの一度も
見たことは無い。でも母が我慢に我慢を重ねて耐え忍んでいたなんて全く思わない。文句があったとも思えない。
父も、寡黙で普段はえらそーにしていても、根っこの部分で母や妻を大事にしている気持ちが、皆を守っている
ことが子ども心に分かった。
皆それぞれの役割を本当に上手くかみ合わせながら家庭を営んで行くというお手本を間近で見ていたから
取り立てて男がどーの女がどーのなんて思ったこと無い。
フェミニズムって何なんだろうね?
時代が代われば男と女の関係だの絵面だのは変わるかも知れない。
皆時代に合った?沿った?やり方と言うのを模索して行くだろう。
男だ女だという前に、人としてと言うのが先にある訳で、何も女だけが声高に尊重し守ってもらわなくても
いいんじゃないの?と私はずっと思っている。
第一、しいたげられたら、私なら自分で反発する。えっ?反発出来ない人はどうするかって?
生きるか死ぬかになれば、馬鹿力出るよ、きっと。
生きたいなら、生き抜く為に強くならなくては・・・。
と、そんなこと言うと又、皆が皆 あなたみたいに強い人ばかりではありませんとか言われる・・・。
世の中よく出来たもので、女らしくて可愛くて優しくてみたいなのばかりがモテる訳でも無い。
きつくてサッパリしてて男前のカッコいい女の子がモテる時もあるし、逞しいより優しい男の子がモテることも
あるしね。
女らしいだの男らしいの定義も時代によって変わるのさっ!
何でもかんでもやれセクハラだ性差別だと言っていたら、何も言えなくなる。
何でもハラスメント。
逆にそっちの方が怖い。