雑感 独り善がり

日々の思いや怒りを自分勝手な考えで綴る

姉兄と会って友だちと会って。みんな好きだよ~ん!

2023-11-26 07:58:54 | 日記

23日の祝日に姉兄に会った。

11月は母が亡くなって丸22年だったので、法事代わりに皆で会って母を偲ぼうと。

先ずは実家(兄宅)に行って仏壇にお供えしモゴモゴとお願いしたり唱えたり。

今の自分を両親祖父母曽祖父母(そこまでしか名前分からないので)に感謝した。

生きていられることに。子どもたち孫たちが普通に無事で居てくれることに。

それ以上のものは望んでいない。

場所を移して食事。兄夫婦には結構よく会っているが、姉夫婦には前回の食事会以来か。

義兄は元気だが、姉は益々弱っている。元々姉兄の中で一番身体が弱かった人だ。心臓も弱い。

そして結婚前には椎間板ヘルニアの手術をしている。身長が10cm縮んだと。縮み過ぎだよ。

腰も曲がっているし、おまけにパーキンソン病もあるらしい。姉さんばっかり・・・。

私こんなに元気で申し訳ないわ。歩くのも不自由だし、元々が口数の少ない人で旦那さんにも

めちゃ気を遣う人だ。未だに言いたいこと遠慮している風で、兄がたまりかねて義兄に注文を出す。

何度も同じことを繰り返す。つまりはもっと姉さんを大事にしてあげてと言う意味だ。

 

子どもたちのこと孫たちのこと、色んな話をしている中で、この年齢になってもお金のことで

兄弟でモメているところが結構あるという話になった。

親が亡くなり分けるもの分けて、お互い納得合意の上なのに、今頃になって姉が弟を訴えるとか

何とか・・・。取り分少ないとか不公平だとか。兄の友だちや周りには結構居るんだそうだ。

曰くは小金持ちが一番厄介だと。十分あるはずなのに・・・と。人間欲をかくとキリが無いのね。

私たちは父が亡くなった時も母が亡くなった後も一切モメていない。『おにーさん?解ってる?』

と私は兄の顔を見る。『解ってる解ってるって・・』と兄。姉や私は何の文句も言わなかった。

相当不公平な分け方だったと思う。でもそれが父の、母の、望みだったから。小さい頃から

聞かされていたから。遺言書も何も無かったけれど、私たちは親の言う通りにしたのだった。

ま、夫々それなりに暮らして行けてるから良しとしよう。それよりはお互い元気で居てよ、

又会おうねと、写真も撮って別れたのだった。別れる直前、姉が私にそっと耳打ち。

義兄が妹たちと断絶していると。それも相続後の話らしい。

 

そして昨日は友との食事会6人会。鶏づくしで、美味しかったわ~。お安かったし(^^)

話題はね、同年代の有名人が相次いで亡くなったこと。谷村新司74歳・もんたよしのり72歳・

大橋純子73歳・そして伊集院静73歳(敬称略)。何でみんな同じ年頃・・・?みんな好きだった。

惜しい寂しい悲しいねぇと。

 

そしてそんな私たちの年齢じゃない、もっと高齢者の話に及ぶ。

90代のお母さん健在の友が2人。お元気なんだが、それでもやはり段々あやしいと。

どちらも、弟さんが居る・お姉さんが居る、なので自分たちメインで直接日々面倒を診ている

訳では無いが、やはり親のこと、気に掛けている。気になる。そんな彼女たちが言う。

コロナになってもちゃんと治る。インフルの予防注射も確実に打ってくれる。

相当国の?面倒見が良いと。そして介護の費用?医療費?がバカ高いと。

そこまで手厚く手をかけなければ徐々に衰えていくレベルでも、必死になって生かそうとする

今の医療と。それもこれも医師会が悪いと皆口を揃えて言う。

国と医師会の癒着?医師会を守るための政府?どんな構造か詳しいことは解らないが。

元気で動ける高齢者ならいざ知らず、ベッドに横たわるしか無い高齢者にそこまでお金掛けて

生き長らえさせるより、もっと若い人たち子どもたちの方にお金を使って欲しいと思う私たちは

薄情?親も孫もどちらも居る人が見て、そう思うのだ。

いくつになっても、どんな状態でも親には長生きして欲しい?私も母は最後は、子どもたち

孫たちの区別もつかない状態でベッドだった。本人は判らないだろうけれど、意識がしっかり

していたら、あの高ビーだった人はこんな状況は耐えられないだろうなと見ていて思った。

意思の疎通が出来ない状態が悲しかった。兄は悲しむ代わりに怒っていた。

呼べばかろうじて私だと判っていただろうか・・・。

 

どんな死に方が幸せなんだろう。そんなことを思う。私はイメージトレーニングしているよ。

父方のおばあちゃんみたいな死に方をしたいのだ。『ちょっとしんどいから奥行って休みます』

と言って床につき、掛かり付けのお医者様と看護婦さん立会のもと、お布団をグルッと囲んだ

子どもたち孫たち全員に看取られて2日後に亡くなったのだ。大往生よ。

『ひいばあちゃんみたいに、そんな上手いこと行くはずがない!』と娘に言われるが、私は

それを目指している(^^)

 

姉兄とも友だちとも、そんな話が出て来るこの頃だが、まだまだ皆で生きながらえようぜっ!

6人会は来月は皆の都合が合わずお休み。次回は年明け1月だ。

ちょっと早いけど良いお年を~と言って別れた。

私は今日はフル回転で仕事する。金曜日静岡に日帰り出張だった。そして又週明け月曜も、

違うお客様だけど静岡に日帰り出張なので、今日やらなければ資料を作る時間が無いのだ。

頑張るわ(^^)/


あの人のことは終わりにしたい。さようなら

2023-11-25 14:44:40 | 日記

丁度1年位前になる。ある日突然私のブログ記事の1フレーズを言葉を変えて勝手に引用して

自分のブログに載せた人があった。

私はフルタイムで仕事をしていて時間に余裕がないせいもあって、なかなか他の人のブログに

お邪魔するということが出来ない。よそで何が起きているか分からない。

その時もそのことは他の人から教えてもらって知ったのだ。

確認してびっくりした。何で!?どういうこと?と。

 

勝手に引用するのも気に入らなければ、最大の怒りは内容を変えたことだ。意味が変わっている。

”私はそんなこと言ってない!!” 抗議したら確かにその人は私の記事から引用したと公言した。

当然訂正を求めた。向こうはその度に何度も手を加え、どんどん最初の意図から遠ざかった。

違うだろっ!消せよっ!って話よ。散々モメた。何度も文字での応酬があった。けれど・・・。

こちらの言う事が理解出来ない・話の通じない・反省の全くない・自分が悪いとも思ってない変な人だった。

勿論謝ってもらってない。怒りは収まらないまま、きちんと完結もせずに今に至っている。

まだ1年しか経ってないのか・・・もう2~3年経ったような気がするのに。

 

その人に私は、私のブログにリアクションもコメントもして来ない様に何度も言っている。にも関わらず、

しら~っとワンセンテンスのコメントを未だにして来る。リアクションも。

勿論開示も返事もしない。直接やり取りするのがイヤなのだ。名前を呼ぼうとするなら私なら呼び捨てにする。

呼び捨てにされるような悪事を働いてるから”◯◯さん”と さん付けで呼ぶ気がしないだけ。

でも本人はそれが気に入らないらしいから、直接呼びかけることはしない。

足跡を残しさえしなければ、ブログを見に来るくらいは仕方ないかと放置していたのだが、もうブロック

しようと思う。何故なら、自分のことだと解っているであろう悪しざまに語っている内容のものにも

”賛同する”だの”私もそう思う”だの言って来るので気持ち悪い。あんたのことだよ!

 

その人はちょっと自分に対して気に入らないことがあるとターゲットを特定して激しい言葉で攻撃を加える。

ターゲット特定の仕方も酷いものだ。自分の思い込み思い違い勘違いなりすまし等々。一体誰が?

やってない人が勝手に犯人に仕立て上げられ、これでもか!と責められるのだ。有り得ない話だ。

そして自分は加害者でありながら、あの手この手でいつの間にか被害者として居座る。

その人のせいで泣く泣くブログを閉じたり傷ついたり怒ったりの人が一体どれほど居るだろう。

嘘のオンパレードは未だに続いている。

一体何がそうさせるのか?何が気に入らなくて特定の個人を攻撃するのか?心に闇を抱えているの?

正直だ~裏表がない~と自分で言いながら嘘八百だよね。嘘つき大ぼらなりすましの、まるで悪の権化

じゃないか。

大体、正直の意味が解っているのだろうか? ”正しくて真っ直ぐなこと。嘘や偽りのないこと ” 。

どれも当てはまってない。”自分の気持ちに正直” という意味?それならある意味当たっている。

他人の迷惑なんか考えもせずに、自分の気持ち・自分の思い・自分の考え。それに忠実という意味なのか?

しかしそれは”正直”とは言わないのだわ。ただの”自分勝手”だ。

おどろおどろしい言葉を使っての悪口短歌と称するものは、目も覆いたくなるようなワードの羅列で

悪臭がプンプン漂う。書いていれば悪行は枚挙にいとまがない。

 

とにもかくにも、私は相手にしたくないし関わりたくはないのだ。自分が攻撃されれば勿論立ち向かう。

黙ってはいない。だがターゲットが他の人の場合は、一肌脱ごうというほどの義侠心は今は無いかも。

それは被害者と自分との関係性もあるし、今は時間と心の余裕がないことも大きな原因。ただ、可能な限り

出来ることの手助けや応援はしたい。そんな気持ち。

しかし多分、その人が理解し反省し心改めお詫びし、もう二度と悪事は働かない・もうやめる・・・

そんな日は来ないのではないかと。

私個人としては、その人とのことは終わりにしたい。鬱陶しいのだ。さようなら。


『本音を言うやつは我慢強くない!』と昔言われた

2023-11-23 22:28:37 | 日記

何十年も昔、敬愛する人に『本音を言うやつは我慢強くない!』と言われたことがあった。

その時、固まったよ 私。

その頃の私は、というより今も多分あまり変わらないんだろうけれど、思ったことは直ぐに口にする。

口にすると言うより出てしまうのだ。頭と口が直結している。書くことで言うと、どうも手も頭と

直結しているらしい。勝手にキーボードの上をカシャカシャと手が動いてしまう。

良いも悪いもあまり深く考えてない。勿論子どもじゃないのだから、人の嫌がるであろうことは

言わないようにはしている。それくらいの常識的ベーシックな分別はあるつもり。

好きだ嫌いだ面白い面白くない難しい苦しい嬉しい腹立たしいこう思ってる。何でもかんでもあけすけに。

ストレートに言い過ぎ。

素直と言えば素直。正直と言えば正直。裏表が無いと言えばそう。嘘もつかないつけない、すぐバレる。

でも・・・こう並べて書いてみると、ゾッとする。これらのこと、今なら良いことだなんて思わない。

むしろいい大人が・・と恥ずかしい。幼い子どもならいざ知らず。大人なら褒められるようなことでもない。

 

その昔、その人が言いたかったのは、本音をぶちまけた方は本音が言えて楽になっただろう。

でも逆に、聞かされた方はしんどいんだよ、受け止めるのが。ということだったんだと思う。

言いたくても考えて我慢して我慢して、本当にそれを言って良いのか?と。考えてモノを言いなさい。

相手は戸惑うかも。そんな相手のことを慮って、ということだったんだろう。

そーなんだ・・・。そんな風に考えたこと無かった。何でも本音を打ち明ける方が隠しごとが無くて

良いんだ くらいに思っていたんだと思う。絶大なる信頼をおいていたし。

敬愛する人に、自分の考えも及ばないことを言われてびっくりしたけれど、凄い人だと思ったし感心したし、

その言葉は今も私の中にあって忘れない。

何でもかんでも、本音を言えばいいってもんじゃないんだ。正しい訳じゃないんだ。我慢強くないんだ私・・。

初めてお目にかかる世界の人に言われたその言葉に、私は弾かれたようになったのだった。

 

今の私は、正直であったり裏表がなかったりということに、大した意義を感じない。生きていく上で

それほど大事なことだとも思わない。勿論、嘘をつくのが良いことだとも思ってない。嘘をつかずに

済むのなら、それに越したことはない。正直であることや裏表がないことが美徳である場合もある。

でも正直だからとか、裏表がないからとかが、人を評価する時の大きなポイントになるとも思わない。

大人の場合ね。ましてやそれが自身に依る評価であるならば尚更だ。自分が言うかって話。

他人がその人を評価して正直な人・裏表がない・嘘のない、良い人ですよというならともかく。

 

正直だったり裏表がなければ何を言っても良い訳では無い。悪気が無ければ何をしても良い訳でも無い。

自分がそれを言うことに依って、誰かを傷つけている場合があるかも知れない。そういうことに

思いを至らせねばならないと思う。

気になる言葉を見たんだよね。

自分のことを完璧な人間とは思ってない人が、だから自分は欠点もさらけ出していると言う。

そしてその人を非難する人たちに対して、あなた方は完璧ですか?と問うている。

う~ん・・・欠点もさらけ出しているからどうだというのだろう?ロジックが解らない。

完璧でなくても、欠点さらけ出しさえしたら何言っても許されると?

完璧じゃなくては何も言ってはいけないと?

それにそもそも、完璧な人って居るの?って話。居たらお目にかかりたいよ。

どんなに素晴らしいと思える人にも、反論する人はいるだろう。認めない人は居るだろう。

世の中に、数字で割り切れること以外、どんなことにも万人が納得するパーフェクトな答えなど

あろうはずがない。

 

人は感情の動物だ。人間て素晴らしいと思う反面、愚かなものだとも思う。

”人間は考える葦である”とパスカルは言った。そう、人には”考える”という得難いものが備わっているのだ。

それをしなければただの葦。弱いものでしか無い。

考えようということ。自分が良かれと思っていても、他の人にはそうでない場合もある。

人によって考え方も千差万別。自分の考えが正しいと思うことは、それを他人に押し付けることは、

暴力でしか無い。正論も正義も世の中に受け入れられなければ、ただの独り善がりだ。

口では何とでも言える。嘘は言ってないと言いながら、その言葉が大嘘の場合もある。

要は中身。心の問題だ。口では上手く言えなくても、黙って人を他人を思いやり心沿わせ寄せられる人がいる。

態度にそれが現れる。そして周りの人はそれをちゃんと見ている。分別のある人は正しく理解しているのだ。

正直であるとか裏表がないとか欠点をさらけ出しているとか、本音だから本心だから。

そんなものは ”ふうん・・・”だ。”だから何?”ってこと。ただのイクスキュースとしか思えない。

 

私は自分勝手でワガママな人間だから(ああ、これも言い訳だよね💧)相も変わらず自分の正義というものを

振りかざしているだろう。間違ったことを言っているかも知れない。周りの人はホント迷惑だと思う。

でも私には、『それはあなたの正義でしょ!?それが正解って訳ではないんだよ』と諭してくれる人がいる。

言われてちょっと立ち止まる。だからそれほど大きな過ちや失敗をしなくて済んでいるのかも知れない。

ありがたいことだ。

私らの歳になれば皆、それなりの人生を過ごして来た。多くの経験の中で色んなものを身に着け、知識を得、

そして今生きる糧にしている。どうやれば賢く快適に過ごせるかと知恵をめぐらす。

残された時間はそれほど多くない。平和で平穏で温かく誠実な日々を過ごしたいと自分は思う。

人は1人で生きているのではないのだから、周りの人のことも思いやって慮って、感謝し和やかに暮らして行きたい。

本音バカにならずに、ちょっと知恵を絞って人間関係を円滑に進めて行きたいものだわ。

昔言われたこと、忘れてませんよ~(^^)/ 


お騒がせしましたっ!脚腰の痛みは筋肉痛だそうです。あー恥ずかし💧

2023-11-22 22:59:47 | 日記

ご報告をしなくっちゃ!それも恥ずかしいご報告を。

痛い痛いと大騒ぎして、今日は掛かり付け医が予約を入れてくれていた病院の整形外科に行った。

過去2回骨折の経験がある私が二度共お世話になった病院。京大系の先生が阪大系列はよく知らないと

言いながら、そこにして下さったもの。

 

行ってから”しまった!かなぁ・・・”と思ったのは、痛み止めを飲んでいたもので痛みが全く無かったこと。

先生も困ったなぁ・・・痛くないならと。

で、ベッドに寝て先生がいろんな形で脚や膝を結構強く押しまくり、外へ下へ上へと跳ね返してみてと。

やってみて先生が力、強いなぁ・・・と。体を横に曲げるのも問題ない。足先の痺れは?全くありません。

どこが悪いねん!という顔ですわ。

で、レントゲン。横向いたり斜め45度だったり背中丸めて背骨曲げたり、反対に反ったり。

終わって再び先生の元へ。一緒に写真見せてもらう。『骨、キレイですけど・・・』と。

『大腿骨頸部骨折したんでしょ?昔。きれーにくっついているよ。背骨、キレイにカーブしている。

等ピッチでキレイに並んでる。全く問題ありません』と。椎間板というの?アレもしっかり有ってクッションも

大丈夫と。一番下だけ、他に比べてちょっと感覚が狭いかな・・位。悪いとこ、問題、見当たらないと。

 

では、どこが悪い?何が悪い?何であんなに痛かったのですか?痛み止めやめるのが怖いんですけど・・。

先生曰く結論は・・・筋肉痛違う?と。はぁ?筋肉痛?筋肉痛であんなに痛くなるんですか?と私は不思議。

他のどの先生に見てもらっても、同じ所見だと思いますよと仰る。その日の整形のドクターは4人だったが、

一番若い先生だったから、そう言って下さったのかも。

でもそれしか考えられない。どうしてもと言うならMRIの予約入れてもいいけれどと。

とりあえずは4日間の痛み止めが無くなって、痛みが又出るようだったら考えようと。

ストレッチして下さいと言われた。

 

がっくり。いや別に酷い病気であって欲しかった訳じゃないが、あれだけ会社ででも大騒ぎしたのに

筋肉痛でした・・・と言ったら笑われるだろうなと、ちょっと恥ずかしい。

でも自分のきれいな骨を見てちょっと嬉しかったのは事実。骨も若いわ!と思いましたことよ。

という訳で、今日の夕食後は痛み止めの服用やめてみた。筋肉痛だったら、日にち薬で痛みはマシになって

いるかも知れない。痛くなったら又飲めばいい。

大騒ぎしてご心配掛けて済みませんでした。あー恥ずかし(^_^;)

テレワークの時も座りっぱなしではなくてもっと動かなくてはいけないんだろうな。凝り固まってるんだわ。

やっぱり例え1週間に1回でもピラティスの効果はあったんだろうなと、今更ながら無理してでも続けなかった

ことを少々悔いる。

まあでも仕方ない。今は時間的に相当無理だから。自分で身体動かすことを考えなくてはと反省しきり。

 

あ、先生が、『ここは手術して予後を見る病院だからね』と。『ちょっとしたことは街のお医者さんで』と。

『重い軽い関係なく、どんな症状の人も、そして誰でも受け入れていては病院は追い付かない。分業しなくては』と。

やっぱりそうなんだ。でも開業医で整形って少なくない?忙しい病院で軽い症状で診てもらって悪かったわよ。

でもお陰様で安心しました。ご心配いただいてありがとうございました。又頑張る(^^)/


不覚にも脚が腰が痛い!鎮痛剤飲んでる

2023-11-21 00:32:36 | 日記

情けない事態に陥っている。脚がお尻が腰が痛いのだ。それも結構な痛さで。

ことの始まりは18日(土)の午後から。会社の周年記念旅行の帰り辺りから?

私は会社へ戻ってから自宅に帰ると遠回りになり、帰宅がそこから更に1~2時間ほどかかる。

なので関東組らと一緒にバスを途中下車し、新幹線で帰ったのだがどうも左足の付け根の外側がおかしい。

身体の側面ね。ちょっとした違和感・不快感を抱えながら居たのだが、それが明確に”痛み”だなとなったのは

帰宅してから。おまけに珍しく胃の調子も悪い。痛いというか胃酸というか。それで気分はど⤵ん。

食欲もなく何をする気にもなれず寝ようとしたが、どうも痛くて寝苦しい。

翌日曜はその痛みが更に広がってというか移動して、お尻の辺りが痛い。痛みも増している。

これは明日会社に行けるか?というレベルだった。なので日曜の夜は痛みでほとんど眠れなかった。

 

実は私は自慢じゃないが、脚・膝・腰。今までどこも痛くなかった。たまーに新幹線など長時間座っていると

腰が痛くなることはあったが、それも同じ姿勢をしていたせい?で、いっときのものだった。すぐに治まったから。

なので、歳の割には足腰元気!と思っていた。それがこんなことになって・・・

初めてのことで相当ショックを受けている。

今朝は又痛みが移動していた。腰に来ていた。痛みも酷くなっていた。迷ったが今週の予定を考えると

今日は無理してでも出社した方が良いと判断。痛みを堪えながら会社に行ったのだが、痛みがどんどん増して来て、

もう我慢が出来ない状態。

何かの拍子に『イタタタタ・・・』となるので、貼る湿布を持って来てくれたり鎮痛剤あげようと言ってもらったり。

 

今週はどうせ薬がなくなるので掛かり付け医に行かなくてはならない。結局早めに会社出て、内科の先生だから

この痛みは無理だろうなと思いながらも診察に。もう年末も近いからと今日は尿も血液検査もだったのだが、

やはり先生、触って叩いて痛い訳でなく、足を曲げたり回したりしても痛い訳でなく、この痛みは自分には

判らないと。で、紹介状。京大系の先生で(掛かり付け医は京大なので、阪大系とかよその大学出身の先生は

あまり知らないと)形成外科?整形外科?あんまり知らんなぁ・・・と。

私が過去2回骨折していて、同じ病院に掛かっているので、そこの予約取って下さった。でも明後日よ。

今日は足を引き摺り腰を曲げて歩くような状態だったので、流石にすぐに痛み止めを飲まされた。

そして3日分の痛み止めを処方され、今は薬が効いていてまだマシ。

 

さて明日どうしようか・・・と。社長に明日用事あるから出て来るように言われている。

明後日は病院行きで木曜は祝日。金曜は終日出張。なので、明日行かなければ今週はもう会社には行かない

ことになる。社長には夕方、あまりに痛いので病院行くので退社しますと声を掛け、明日は明日にならなければ

判りませんとは伝えて帰ったのだが・・。

 

あーあ、バチが当たったんだわ。あまりに私は元気!と思い過ぎ。いい気になり過ぎ。

実は、夏の終わりに諸事情からピラティス辞めたんだけど、マシンピラティスで足でマシン?キャリッジ?を

ぐっと押す時、わずかながらどちらか片方の足に違和感あったんだよね。あれっ?ちょっと痛い?反対側と違うねと。

思えば左だったのかと。やはりその時から何かあったのかもと。イヤ実はもっと前からかも。

骨が痛いのか何が痛いのか分からずに、怖い病気かも!と大騒ぎしたけれど、もしかしたら身体がズレているかも?

シンメトリーじゃないのかも。いやまあ、完全なるシンメトリーはなかなか無いだろうが、それでも自分の体、

それほど左右に差があるようには思っていなかった。でも多分そう思いたかっただけだろうね。

姿勢はそれほど悪くない、身体にそれほど歪みがあろうはずがない。は、思い込みだけだわ。

 

もう少し謙虚に自分の身体の本当と向き合いますわ。そしてそれなりに身体大事にしますわ労りますわと

思ったことでした。この歳で駅の階段を、タタタタタ・・・と駆け降りられるな~んて何の自慢にもなりはしない。

一歩間違えばすってんころりで骨折で済めばいいけど、もうそんな無茶はしてはいけないねと自戒しております。

あ~あ憂鬱だ。体の調子がちょっと悪いだけでこんなにも気分が落ち込む。やっぱりお金より仕事より健康よ。

元気でなければ楽しくないものね。私の身体、早く良くなれ!大きな病気で無いように!って、祈ってる。