この2週間ほどは出張・来客・テスト等々、毎日何らかの用事があって、ほとんど毎日の様に
出掛けていた。なので、もうこれははっきりと歳のせいなのだろうが、凄くしんどい。
帰宅するやいなやバタン!となってしまう。食事は流石に抜かないが。いや、抜けないが。
でも食べるとすぐに寝てしまい、夜の10時頃から記憶が無くなることが毎日のように続く。
その代わり朝は3時4時には目が覚めて、即仕事を始めるという具合。朝が早いから夜、余計
眼が持たないのかも。悪循環?無理が利かない身体になってしまってるわ。
会社で頭に血ぃがのぼるくらい嫌なことがあり、それもストレスになっている。
悶々ではなくムカムカだ。
そんな中、昨日は友との食事会。今回は4人だった。珍しく少ない。
淀屋橋に在る、1927年に当時の豪商(と言えると思う)が建てたという鉄筋コンクリートのビルの
地下のベトナム料理レストラン。
ビル自体はとても趣のある、大事に残して欲しい様な建物だった。
もう100年近く経っているんだものね。段々昔の重厚なビルが無くなってきて寂しい思い。
人数少ないけれど、友らの昔話に加え、政治・政治家・インバウンド・万博・中国等々
結構盛り上がって、時間の経つのも忘れたわよ。
来月はクラス会があるので、いつもの食事会はお休み。
帰り、皆同じ淀屋橋から電車に乗るのだけれど、地下に潜るという3人に『私は上を歩くわ』と
別れて1人御堂筋を少しだけ歩く。
年から年中イルミネーションしているの?と思うのだけれど、御堂筋の銀杏の木が光ってた。
御堂筋に関しては、私は思うところがある。
元々はメイン4車線+側道各2車線の計8車線だったはずだ。それも南行き一方通行の。
御堂筋建設当時、『市長は大阪のど真ん中に飛行機の滑走路でも作る気か!』と散々言われたらしいが
時の関市長は『将来を見据え、これからの大阪の発展には、きっとこの位の道路が必要になる』と
言って聞かなかったそうだ。この話は父から何度か聞かされた。
私はこの、日本全国でも類を見ないほどの御堂筋の広さと、イチョウ並木の景観がとても好きだ。
なのに今は、側道が両側各1車線減らされ、幅が狭くなっている。それもこれもインバウンド対策だと
言われるが、そこに関しては維新のやり方は気に入らない。歩道を広くする必要ある?
もうこれ以上、狭くしてもらいたくない。御堂筋は大阪のシンボルなんだから。
淀屋橋まで行ってついでに中之島と市役所を見る。
市役所には正面によく解らないイルミネーション。そして中之島も木々が光ってる。
そんなん要らんねん!と私は思う。クリスマスでもあるまいに。
静かで落ち着いた佇まいの方が好感が持てるのに。ゴテゴテは趣味が悪い。木も可哀想。
昔々、淀屋橋は待ち合わせした場所。携帯電話も無い時代に、突発の用事で連絡も出来ずに
遅れて来る人を、橋の上で何時間も待った。どんなに時間がかかっても遅くなっても必ず来ると
信じていた。
やっと会えて、食事をして、別れ難くて何度も何度も淀屋橋~心斎橋~淀屋橋と御堂筋を往復した。
言葉少なに歩いた。
そんなこともあったわねと懐かしく思い出す。私にも乙女の時代があったことを。
もうすぐ74歳になるおばあさんが、何言ってんだか・・・とちょっと恥ずいけど。