雑感 独り善がり

日々の思いや怒りを自分勝手な考えで綴る

イタリアへ行って来た。その④ フィレンツェ編

2024-07-21 00:10:53 | 日記

3番目の都市フィレンツェ。

夕方ホテルに入る前に、メインの観光地のある場所とは川を挟んでの対岸の丘に在る、

ミケランジェロ広場に寄ってフィレンツェの街を見下ろす。清々しい。

ヴァイオリンを弾いているおじいさんが居た。私は子どもの頃自分が習っていたこともあり音色が好き。

ストリングスの音は何でも好き。いや、楽器の音は何でも好きかも。優しい音色にしばし聞きほれた。

 

翌日は朝からスケジュールびっしり。美術館だのドゥオモだの色々連れて行ってくれるのだけれど

この地のガイドさんがアカンかったわ。鬱陶しい。夫々の地のガイドさんは皆個性が強いのだけれど

この人、自分の思いの押し付けが酷くて。『この時のミケランジェロの心境は・・・』とか言うもので

『本人に会ったことあるの?本人に直接聞いたのかなぁ?なんであなたがその時のミケランジェロの心境

知ってるの?』などと私たちは陰口。そんなの全部主観じゃないの?絵画や彫刻見るの、自分の感性で

良いんじゃないの?と思ったわよ。好きに感じさせてと。

奥さんがイタリア人と言う日本の男性。何でも、日本とイタリア半々の生活しているらしい。

日本では大学の非常勤講師とか?自分の人生の都合上、子どもは作らなかったとか仰るが、

イヤイヤ誰もそんなこと聞いてませんって。そうかと思えばお行儀の悪い人を大声で怒る。

相手構わず。日本人であれイタリア人であれ。とにかく話聞いて無いと怒るし。

でもね、私たち遠足に行ってる子どもじゃないんだよ。いい大人な訳。説明聞こうが聞くまいが、

それもある程度は好きにして良いと思うのだけれど。

1組のおとなしい奥さんがえらく怒ってた。『もーなんなのっ?あの人っ!』と。

みんな思うことは同じなんだね。

 

そろそろ寺院だの美術館だのドゥオモだのに飽きて来た。お腹いっぱいになって来た。

イタリアの美術品を見るにつけ、その同じ時代の日本を思う。確かにヨーロッパの歴史は凄いと思う。

でも日本だってそれなりの歴史と営みがあった。建物の知識や工夫、絵画彫刻工芸品美術品等の発達

など、独自のものがあったはず。特に”繊細さ”と言うことにかけては、日本は世界のどの国にも

負けないだけの技術と技法があったのではないだろうか。そんなこと感じたりした。

 

ポンテベッキオ(ベッキオ橋)に行く。あれっ!?こんなだったかなぁ?自分がイメージしていた

以前と違うような気がする。両側のお店もきっと、観光用に変化したのね。以前はもっと手造りの

工芸品的なものが多かったように思うが、ほとんどが宝飾店に変わっていたわ。

面白くなくて、行って戻っただけ。

ベッキオ橋の近くの広場では昔々、お茶してると日本のビジネスマン数人と遭遇したことがあって

(こちらは女性2人組)『日本の方ですか?』と聞かれ、しばし歓談したことがあった。

出張に来てると言ってたな。こんなところで日本人に会うとはビックリで、出張が長くて

懐かしかったそうだ。皆エリートサラリーマンぽかった。あぁ・・・若い時の話よ。

 

レストランのお兄ちゃんが、フィレンツェはベネッツアと違い海が無いのでシーフードが無いと

言うので、海が無くても運べるでしょ?と言って笑った。

肉オンリーだというので、ボロネーゼ頼んだけれど超美味しかった。

フィレンツェでは、ブランドものじゃないけれどちょっと高級の皮のお店に行って、会社の私と

仲の良い3人組に小物を買った。

この辺りから真剣にお土産のことを考える。私は会社の人にだけだけどね。皆に迷惑かけているから。

 

この日も午後から移動。イタリア版新幹線で次はローマです!


イタリアへ行って来た。その③ベネッツア編

2024-07-20 23:07:28 | 日記

ベネッツアではバスを降りてからホテルへはタクシーに乗る。ベネッツアでタクシーとは船のこと。

何でもかんでも移動は船。海面すれすれに立つ建物。ホテルも海の中に建っている気分。

泊まったホテルは前に道があったので、船からは一旦道へ降りて目の前のホテルへ。

私たちの部屋は離れで、中庭を通って海際へ。部屋はメゾネット。1階にベッドが1つとバスルーム。

2階にベッドが2つとシャワールーム。ドアから出ると、海に張り出したデッキ?快適だったわよ。

夜はイカ墨のパスタなど。パスタはメインディッシュではない。前菜の次に出て来る。

又夜遅くなったけれど、食後散歩に出た。夜のベネッツアも素敵だったけど歩き過ぎて疲れた。

 

翌日はサンマルコ広場へ!!何十年か前に行った懐かしいサンマルコ広場。その時の情景が蘇る気分。

私はイタリアは実は5回目。最初は母と一緒だった。もう何十年も前の話だが。

なので、イタリアはローマ・ポンペイ・ナポリ、北の方で言うとミラノ・ベネッツア・ボローニャ・

フィレンツェ。仕事や研修やプライベート等々・・で都度行く場所は違うが、一番好きなのはやっぱり

ベネッツアかな。

イタリアの何が好きかと言うと、私は先ず建物や街の風景に魅かれる。古い建物や石畳が好きなのだ。

歩きにくいけどね。特に今回は歩くの結構大変だった。やっぱり歳のせいか。

アスファルトだのコンクリートだのが無いのよね。どこ行っても石畳。意固地な位石畳(^^;

そして色が好きなのだ。ケバケバしくないモノトーンの色が。建物と石畳と色と。それが好きな理由?

だけでも無いとは思うが。何か落ち着く。

日本ででも、実は京都より奈良が好きかも。金色や朱色より、色の無い方が好きかも。

 

あ、そうそう。ベネチアングラスも見に行った。私はそれほど好きじゃないかも。

ガラス製品なら断然切子が好きなのだ。バカラも良いものだと判るけれど、それほど魅力を感じない。

しかし切子も高いのよねぇ。切子風ではなく自分用に本物をと思うけれど、踏ん切りがつかない。

自分のものにはケチかも。

ゴンドラにも乗った。どの船でもと言うことは無いけれど(声が重なるからね)何台かに1人、

歌を歌ってくれる。カンツオーネ?上手でうっとりだった。風が心地良くてとても気持ち良かった。

この日の昼食は各自と言うことで、私たちは自分たちで探してシーフードもあるレストランへ。

お店のお兄ちゃんが男前で面白くて優しくて、冗談まで言ってくれて、一緒に写真撮った。

そしてやがて又バスに揺られて次の地、フィレンツェへ。

私、昼間は遊んで夜は少し仕事してなので、睡眠時間が足りてない。なので移動時はいつも爆睡💧


イタリア行って来た。その② 出発からミラノ編

2024-07-20 22:03:47 | 日記

前回記事から1週間。すぐに続いて旅行記を書こうと思っていたけれど、やっぱり無理だった。

溜まっている仕事の上に新しい案件迄追い打ち掛けて来て、寝る間もない息つく暇も無い。

眠くて仕方ない。身体もさることながら気がしんどい。今日も朝から仕事して、少しは捌けたかなと。

さっ 旅行のこと書こう!

 

初日はお昼の12頃羽田発の飛行機でローマへ。海外のエアライン利用して思うことは、日本語の

映画だとか無いので、読み物なんか持って行かないと14時間は退屈だと思う。少しは寝るだろうが

時間持てあます。飛行ルートは見事な位ほとんど真っ直ぐ水平に西へ西へ。緯度がほとんど

変わらないから?少しはイタリアの方が上かも?ずっと中国の上を飛んでいるのね。中国広いねと

改めて思う。カスピ海だの黒海だのの上も飛んだかな?地球は右回りで回っているので、

回る方向と逆の方向に飛行機向かっているので速いのではないの?と考えたりして。全く解らないけれど💧

 

ローマに着いたのは向こうの時間で夜の8時。時差は7時間。即国内線でと言いたいところだが、

そこで少し待たされ、予定より遅れてミラノに付いた。夜の12時回っていたわよ。

ホテルの部屋は私たちは3人部屋を頼んでいたのでツインベッドに、ちょっと離れてWベッド。

私は夜少し仕事をするからと、離れたベッドで手元の灯だけで最低必要限のメールの返事だけ済ませる。

資料作りは無理に決まってるから絶対にしない。と言う思いでパソコン持って行ったし、友だちに

悪いからね。折角楽しみに行ってるのに。

 

翌朝、食事を済ませてホテルの辺りを少し散歩。お洒落な市電が走っていた。写真載せたいのだけれど

友からLINEで送られて来たアルバムの中の1枚を、どうやって載せればいいのか解らない。

ホント、そういうとこと無知。写真も無い記事だけで面白くも何とも無いわね。

タクシーか何かを待ってるビジネスマン2人。国内出張かな?熟年と若者。2人共とてもお洒落だ。

私は過去の諸事情から生地だの仕立てだのの上質さが判る。良いもの着てる。カッコイイなぁと見とれた。

おじさまの方は白髪で水色のスーツよ。とても似合ってた。友だちがやめろと言うのに私は

『一緒に写真撮って貰ってもいいでしょうか?』と聞く。『NO!』と言われ『何でアカンのよ!』と

思ったら、向こうが『何で写真撮りたいのか?』と聞いて来る。『いや~あまりにカッコいいのでね。

ダンディと言うかスタイリッシュと言うか。日本に帰ったら会社の男性たちに見せて”カッコイイでしょう?

ビジネスマンとして見習わなアカンよねぇ”と言ってあげるの』と答えた。すると写真OK!だったわ。

何で???

添乗員さんにその話すると『彼らきっと、自慢してますよ。”オレ褒められたんだ。日本でオレの写真

見せられるんだ”なーんて話してますよ』だって。そうなのかなぁ?

イタリア各地回って、やはりミラノが一番お洒落だったとは思う。さすがミラノよね。何だかミラノ人の

矜持みたいなのを感じたわ。

ミラノの街はとてもきれい。上品と言うイメージ。街の一番の繁華街と言うか、有名ブランドショップが

立ち並ぶアーケードと言うのかな?そこもとても綺麗だった。ドゥオモやスカラ座など見学した。

その時のガイドさんは(各地でガイドさんが付く)イタリアの方なんだけれど、奥様が日本人だって。

イタリアの大学で4年間日本語勉強して、日本に1年留学し、帰国してからイタリア在住の奥様と知り合った

そうだ。日本が好きなのね。彼もラフな格好だったけどやっぱりお洒落だったよ。垢ぬけているというか。

お昼はリゾットとミラノ風カツレツ。

午後はバスでベネッツアに移動。一番行きたかったベネッツアへ!


イタリアに行って来た。その①序章

2024-07-13 20:48:12 | 日記

ブログ記事を書くのは、ほぼ2週間ぶり。

実はイタリアに行って来た。この超忙しい時期に・・・。

6月の末に東京ビッグサイトでの展示会に4日間費やし、6/28(金)の夜に帰宅し土日を置いて

週明け7/1(月)に出社し、7/2も家で仕事して午後には東京へ移動して1泊。羽田出発だったのでね。

前回の記事にも書いたが、展示会で契約が結構決まった。だから本当は、旅行になど行っている場合では

なかったのだが、旅行は随分前から決まっていたのでやめる訳には行かない。

昨年もそうだったが、今年も前半は仕事が全く取れなかった。見積だけはせっせと出してはいたが

決りそうでなかなか決まらなかったのだ。昨年は6月に入って7月になれば忙しくなる気配は有った。

結局今年も同じこと。かなり前からそんな予感はしていたが、その通りになった。

 

学生時代の友と毎年春に、桜を観る旅行として4人で集まっている。基本1泊2日だが、九州や奥州など

変則的に2泊の時もありはした。

そのグループで、もう何年も前から海外へ行こう行こうと言っていて、それも私が行きたいイタリアで

いいよと言うことになっていた。

私が68歳で仕事リタイアしたらということになっていたのだが、67歳で急きょ前の会社を辞めて、

それも突然のことで不本意ながらだったので、不完全燃焼だった。私の仕事人生は完結していない!

それを察した今の会社の社長に誘われ転職したものの、1年で辞める訳にも行かず8月で早や6年。

その間コロナもあったりしてイタリア行きは延び延びになっていた。

私のリタイアなんていつのことか分からない、いい加減にしないともう長時間のフライトに耐えられない

ということで、ついに今年決行と言うことになったもの。

お母さんのことや妹さんの手術のことなどで、どうしても1人Kの都合がつかなかくて、最初の4月予定を

7月に変更したのだが、それでも上手く日程が合わず、Kは諦めた。3人で行ってと。

4人で行きたかった。今まではずっと誰1人欠けることなく集まった。でも仕方ない。Kには悪いけど

もう延期したくないということで3人の意見が揃った。

でもKは実は、9月にもお料理教室のメンバーでヨーロッパ行き申し込んでて、そちらはまだキャンセル

していないらしい。ギリギリまでお母さんと妹さんの様子見か。諦めてないのね。私たちとは日程が

合わなくて残念だわ。

 

出発は羽田から。旅行のスケジューリングしてくれたのが神奈川在住のMeなので。奈良のMiと大阪の

私は東京で前泊して翌朝羽田へ。当日の関西からの移動では間に合わないと判断して。

Meはご主人の車で送られて集合。Meのご主人は、実はすい臓がんを克服した人で(凄いことだと思う)

先日お医者様から『もう卒業』と言っていただいたと。丸6年。

私の娘はMeのご主人のことを『よほど徳のある人なんだね・・・』と言った。本当にそう思う。

徳のある方のご利益を分けてもらいたいし、お元気になられてお目にかかりたかったし。

ナデナデさせてもらったわ(^^♪ 相変わらずダンディだ。

最初は自分たちで行きたいところを組み立てて・・・と甘く考えていたが、素人がそんな簡単に上手く

スケジュールは組めないし、高いし、旅行社はパックを勧めて来るし。ということで、ツアーに参加。

羽田発~ローマ着後即イタリア国内線でミラノへ。

ミラノ~べネッツィア~フィレンツェ~ローマの6泊8日、15人+添乗員さんの総勢16人の旅。

参加者は60代中頃のご夫婦4組と70代のご夫婦1組。私たち同様60代のお友だちの女性2人組。

私たちが一番高齢だった。けれど『とても元気で同じ歳位かと思ってました』と、多くの方に

言われました、はい。

もうこの歳で14時間エコノミーは耐えられないと言うことで往復ビジネスクラス。

シートは個室仕様でフルフラットで快適だった。

最初は挨拶程度だった皆さんとも、旅が進むほどに色んなお話もし、名字も知って帰る頃には仲良く。

でもさすがだと思ったのは誰1人、お互いの連絡先を交換することもなく『又どこかでご一緒出来れば

良いですね』と別れたことよ。

殆どがご夫婦での参加だったし、60代70代で今更新たにお友だちってことでも無いし、そんなものなのかな。

時間的にも経済的にも余裕が出来て身体もまだ元気でというのは、やっぱり60代ってことかなと改めて思った。

 

私は仕事を抜けてのことなので、会社の人たちは遠慮がちでも、海外へ出かけていることを知らない

お客様たちからは(今案件進行真っ最中の関係の方たちにはそれとなく話はしておいたが)容赦なく

電話やメール攻勢があって、時差がありネットが上手く繋がらないなどもあって対応に難儀した。

最初は社長に『パソコン持って行くんやろな?』と言われ、『休み取って遊びに行くのにパソコンなんか

持って行きませんよ~』と言っていた私も、さすがにマズいわとなって、パソコン背負って行きました💧

日中遊んで(歩いて)夜に仕事して・・・本当に寝る間が無くて移動時間はほぼほぼ寝ていた。

そんな珍道中だったが、楽しかったことこの上ない。

夫々の都市でのことは次回に書くので、又読んでくださいね~(^^♪


”無疱疹性帯状疱疹”らしきものの結果&観劇に続いて月イチ食事会。皇室話も

2024-06-23 10:12:09 | 日記

仕事もさることながら、プライベートもなかなか忙しい。

先週の木曜日にMRの検査受け、当日は担当の先生の診察日では無かった為 翌日金曜日に、

その結果を聞きに行く。

曰く・・・『確実には分からないけど、多分”無疱疹性帯状疱疹”だったんだろう』と。

あの、痛くて気持ち悪くて夜も眠れず、たまらなくなって掛かりつけ医に走った日から

相当の日が経って、症状が無くなってからの検査なので、解らないかもねとは思っていたが案の定よ。

骨やら脊髄やら見せてもらったけど、キレイなもので何の異常も見つからず。

有難いと感謝しなくてはいけないが、確実に診断出来ないってのも、それはそれで何となく気持ち悪い。

 

昨日は友の舞台を観に行き、その帰りに月イチの食事会という流れ。

初めて知ったが、帯状疱疹に罹ったことのある友が結構居たことに驚いた。

だがしかし、皆比較的症状は軽そうな感じ。『酷かったら後遺症有るらしいよ』と言うと、

『そうなんだ・・・』と言っていたので。

私は、かなり昔に兄が帯状疱疹になり、兄曰くは”激痛”でのたうち回っていたと聞いていたので、

帯状疱疹なるものは、それほど痛いものだと思っていたが、”はは~ん・・・あれも結局は痛がりの

痛みに我慢強くないアカンタレの兄特有のセリフだったのか・・・”と疑ってしまう。

なんせ、37度ちょい超え位の熱で『熱出た!熱出た!』と大騒ぎする人だから。

『あのねぇ・・9度位出ないと熱出たとは言わないんだよっ!』と、私は呆れていたものだ。

ま、再発する可能性があるってことなので、予防接種しないなら、早目に気が付くことだよねと

皆の結論。早く治療した方がひどくならないみたいだから。一件落着。お騒がせしました。

 

しかし私、骨キレイよね~と自分でも感心する。椎間板もしっかり在るので背が縮んでないはずだ。

脊髄を刺激する要素も無いので痛かったりも勿論無い。横からのも上からのも画像見せて下さったが、

ちょっと惚れ惚れする骨だったわよ。ただ、チラッと写っていた肝臓にお水の袋が在ると。

思わず『それは”〇ん”になるんですかっ!?』と聞くと、これはよく有ることだから心配はないよとは

言って下さったが、私はそもそも脂肪肝ではある。掛かりつけ医に『痩せるように・・』と言われて

いるのだ。体重を落とせばそれらは解決すると。しかし食べたい病が治らず、そこに意志の弱さが

露呈している💧 この歳になって周りの多くが食事量減っている、沢山食べられないというのに、

私は全く食欲は衰えていない。我慢しろよっ!!

 

食事会で出た話題。何の話からか皇室の話になった。

『何で?紀子ちゃんとこ(秋篠宮家)が、こんなにぼろくそ言われるの?責められるの?』ということ。

・令和になった途端、手の平返しみたいに責められている

・平成の時代、雅子さん病気で公務出来ず、雅子が居なくてはぼくちゃん出来ないとばかり皇太子まで

 引っ込んでて、皇太子夫妻の仕事を全部肩代わりして公務に励んでいたのは秋篠宮さんとこじゃなかった?

・雅子さんあの時代、結構なんだかんだ言われていたでしょ?なのに令和になった途端世論が変わった?

 誰の仕業?

・愛子さん、登校拒否していたよね。雅子さん、お泊りの校外学習にまでお供連れて付いて行ってたよね

・(デパートなんかも貸し切りで、自分の妹らとショッピング行ってた。ディズニーランド然りだ)

 紀子ちゃんはそんなことしていない

・紀子ちゃん頑張って男の子生んだのにね

・なんで愛子天皇論が出て来るの?悠仁さんが居るのに

・秋篠宮家のことで唯一汚点があるとしたら眞子のことよね。あれはアカンわ。相手がアカンかった。

 事前にちゃんと調べられてなかった宮内庁が悪い。甘やかして好き放題させた親も

・あのことが、秋篠宮家の評判をダダ落とししてる最大の要素だわ・・・

等々、好き勝手なことを言ったのでした。結構興奮気味に強く語る友も居て(私もだけれど)

しかしほぼほぼ皆の意見が同じだったので、私たちはやはり考え方や思想は似ているのねと感じた次第。

 

ずっと独身のCと、夫婦別れした私以外、周りの友は誰も離婚はしていない。皆ご夫婦仲が良い。

雨の降る中、ご主人がアッシー(もう死語?)してくれて、お送りもお迎えもご主人さま~の友も居て

見ていて気持ちいい。もしかして悪い病気?となった時に、先に逝ったらイヤだーとご主人が泣いた

という友の話には、よっぽど愛されてるんやねぇ・・・ご馳走様 だったわ。

みんな、夫の為子の為親の為、身を粉に頑張って来た人たちばかりだ。そう言う時代を超えて来て、

今の彼女らがある。私から見れば主婦の鏡よ。

負け惜しみで、”羨ましい” のではない!けれど、良いなぁとは思う。年配の仲の良いご夫婦は

見ていて気持ちいい。勿論そこに行くまでには色んなことがあったとは思う。夫婦の歴史よね。

自分には縁の無い歴史だけれど、私には私なりの又別の道があったということにしておこう。

友らの幸せを願う気持ちは、自分や身内のこととも同じ。関わる周りの人皆がそうであればいいなと。