雑感 独り善がり

日々の思いや怒りを自分勝手な考えで綴る

狭心症の発作起こした💧

2024-10-05 09:18:57 | 日記

又々2週間ぶりくらい。

実は狭心症の発作を起こした。明け方急に胸が刺すように痛くなり喉が苦しくなって、やばい!と。

1年ぶり以上かな?

今回は慌てず結構早い段階でニトロを噴霧。10分15分くらいで痛みが収まった。

過去2度ほど救急車で運ばれている。心臓カテーテル検査もしている。

笑い話じゃないけれど、私は怒りは我慢出来ないけれど痛みは結構ギリギリまで我慢出来る。

お腹が痛くても相当な激痛でも、何の痛みか判らない時は我慢したら収まるかも?一時的なものかも?

と思ってしまう。尿管結石の時も救急車を呼ぶまで1時間以上我慢した。のたうち回りながら

脂汗ながしながら、1人で我慢する。

しかし主治医に『痛みを長時間我慢するな』と言われているので、今回はさっさと処置し大ごとに

ならなくて済んだ。

1週間は怖くて出社しなかった。出来なかった。テレワークで そろそろダラダラ過ごした。

そして1週間くらい経ってから、日々の薬も無くなったので掛かりつけ医に行き、コトの次第を説明した。

先生曰く『何でさっさと電話して来ない?』と怒る。私『お休みの日でしたし、すぐに収まりましたから』

先生『その為にホットラインが有るんだろ!?』『24時間以内なら調べれば判るのに』と。

 

私の主治医は本当に有り難い先生。神様みたいだ。深夜でも休日でも、緊急の場合は電話すると

すぐに電話には出られなくても、どこの誰べえと入れておくと必ずすぐ折り返しが有る。

そして症状によって最適な病院に連絡をして搬送や受け入れ、入院などの手配をして下さる。

今までも随分助かっている有難い存在。

後日行った診察時に言われたのは、狭心症の発作後、収まるのに24時間くらい掛かるんだよということ。

レベルが5段階くらいあって、5が4に4が3に下がるのには夫々数時間掛かるんだと。だから通常の

普通レベル1?だか0だかに戻るまでには1日位は掛かるんだと仰る。だからすぐに検査すれば症状?

状況?の判断が可能と言うことらしい。

まあ流石に今回は、自分でも何となく怖くてすぐに動く気になれず、おとなしくしてましたが・・・。

 

考えてみれば忙し過ぎだ。9月に入ってからは更に激しかった。

4日間連続して関東であちこち移動しての出張し、その翌週も2日続けて別の来客とテストがあり、

週末は名古屋まで出張もあった。そしてその次の週も夜の接待と翌日のFAT。

身体と気の休まる時が無かった。日中に出張・来客・打合せなど接客があると、書類仕事は当然

夜しか出来ない。その夜の作業がもう最近はしんどくて出来ない。知らずのうちに寝てしまう。

そして処理出来ないものが溜まって行く・・・。気ばかり焦る。

今回はちょっと考えた。いくら何でもやっぱり身体が大事と。いくら仕事が好きでももう無理はしない。

第一したくても出来ないわ。

そして一番アカンのはストレスだ。私は言いたいこと言ってるからストレスなんか無いだろうと

よく言われるが、そんなことあるかいっ!私が何も我慢もせずに生きていると!?

私だって最低必要限の我慢はしてるんだよ、これでも。円滑に仕事を回す為に、お客様より

社内に気を遣ってる。若い子は良い。皆親切で協力的だ。テストは手伝ってもらわなければ

1人で出来ないし。

問題は化石のような高齢者と勘違いの上司よ。

今の仕事上のストレスはその2名に限定されている。1名に関しては完無視・完スルー。

話もしない顔も見ない。言葉を交わすのも顔を見るものイヤな位ムカついている。

もう1名に関しては、今関わっている案件が終われば、二度と一緒に仕事はしないと決めている。

それが年明け2月頃まで掛かるので、それが難儀だ。ひっくり返したくないので我慢が続く。

 

『今後、新規のお客様の対応はご容赦下さい。自分の既存のお客様の新規案件は対応します。

社内の会議も出来ればWebで済ましたい』的なことを上に伝えた。

それでも1週間家で過ごしたその翌週、つまりは今週。結局テレワーク出来たのは1日だけだった。

2日続けて4件の来客があり、それが超しんどかった。準備に1日潰れるしね。

そして最近の私は例え昼食であっても、一緒に食事に行くのもしんどいのだ。

嫌いなお客様でなくても、喋るのに疲れるのだ。誰か代わりに相手して欲しい位。

そして日中テストすると、まとめはやはり夜にするしかない訳で、それもしんどい。

そして昨日は1日外出。容赦ない。全く楽にはなって無いよね・・・。

 

自分のことは自分で守るしかない。何が大事で優先されるべきか?

もうこの歳だもの、いつなんどき、どうなるか分からない。先のことなんて判らない。

そんなことをしみじみ考えさせられた、この数日。少しは、いや結構、心境の変化はあったと思う。

残された日々を大事に生きたい。

仕事は辞めればボケるかも?と言う心配もあって続けているが、急に辞めざるを得ないとしても

心残りは無い。仕事人としての自分はもう精一杯やることやって来たと思っているから。

あとはプライベートだよね。居なくなった後、子どもらが困らないようにきちんとやるべきことを

やっておかなければと、そっちの方が心配だ。

早くて1年、長くて2年。後期高齢者になったら仕事は辞めると決心はした。そしてその後の後始末を

きちんとキレイに出来るまで、どうかそれまでは最低生かして欲しいと神様にお願いしよう。

元気で生かして貰ってるだけで有難いと思ってます。


食べられなくなると老衰・自然死に繋がる?

2024-09-15 10:58:00 | 日記

昨夜は2ヶ月ぶりの友との食事会だった。先月は予定していた頃に丁度台風10号で、もしかしたら

出掛けにくいかもと、皆同意の上でキャンセルしたのだった。

賑やかな街のカジュアルな中華のお店。出て来る一皿も中華によく有る大皿ではなくコンパクトで

お陰で色んな種類の料理が味わえた。美味しいのにリーズナブル。得した気分だった。

食事が進んだ頃『もうお腹いっぱいよ』と言う声や、体重のこと等から食欲の話に。

体重が減るのはやっぱり食べる量だと。あぁ・・そう言うことなら私は全く食欲が落ちてないから

やっぱり体重は減るはずもないか・・・とがっかり。

 

集まった5人のうち、お母さんが90代で健在が2人。頭はしっかりしておられるのだが痩せていると。

1人はびっくりするほど軽い。もう1人のお母さんも、食べたくない・欲しくない と言われると。

人は本当に段々食べられなくなり、やせ細って、枯れて、挙句餓死?(悪い言葉では無いよ)朽ちる?

それが自然死・老衰ってことか。

そう考えると、私の両親は亡くなる時点で特に痩せては無かった。それは多分、いわゆる平均寿命まで

生きていなかったからだと、昨日の友らの話を聞いて私は思った。祖母は70歳ちょい超え位だったけど、

痩せず、しかし穏やかに亡くなった。”老衰”だった。それも寿命ね。

つまりは外的内的にそれほど悪いことろがなく健康体である人は、穏やかに緩く衰えて行くと

言うことなのかも知れない。

どういう長生きの仕方が幸せなのか解らない。私たちにも早かれ遅かれそう言う日が来る。

出来ることなら無事に穏やかに仲良く暮らして行ければいいなと思う。

お母さん健在の友にも、意思の疎通が出来るのだから、時間大事に過ごして欲しいと思う。

 

もうひとつの話。

私が以前ブログに書いた”昔深窓の令嬢だった”Miのことを、彼女と同じテニス部だったCが私に聞く。

『何が言いたかったの?Miにどうあって欲しいの?』Miは今幸せだからいいんだと。

Miに限らず皆、昔はお嬢様だったじゃない。でも結婚したら誰だって変わるよね と、Cだったか

誰だったかが言う。『でも、今年早々亡くなった昨年のクラス会の幹事だったYさん。彼女は本当に

学生時代からお嬢様で結婚しても変わらなかった。最後の最後までお嬢様奥様みたいに可愛らしい人

だったじゃない?皆が皆”おばさん”になる訳じゃないよ』と私。

そう、Cが言う様に、本人が幸せだと感じているならそれで良いのよ。他人がとやかく言うことじゃない。

ただ私は、12歳で知り合った、純で無垢で可愛らしかった友らを覚えていて、そのイメージが残っている。

それがあまりにも変わるのがイヤなのかも知れない。若く美しくかっこよく居て欲しい。単なる私の我儘だ。

 

私は先日仕事で来社したお客様に『大阪のおばちゃん、そのものだった』と言われたけどね。

初めて会うまで何度も電話で話はしている。その時にそう感じていたらしいが『想像していた通りだった』と。

正直”失礼なやっちゃなぁ”と思ったよ。いくら客でも、業者の営業相手に、それも女性に、その言い方は

無いだろ。デリカシーの無い奴 と、感じたが、そんなことは心の中に収めて仕事する。

今どき、そんなこと言う人も珍しい。大手のお客様ほど、我ら業者に対しても失礼だと思われるようなことは

言わない。紳士だ。

まあ私の性格上、そんなこと気にするタイプじゃないと思われたのかもだが、自分で自虐的に言うのはいいけど

他人にそれを言われるのはやっぱりイヤだね。

 

話が飛んだがCが、中1でスタートしたテニスの仲間(彼女らはとても仲が良くて、絆が強い)らとの、

60年以上に亘る誰かが作ったという動画を見せてくれた。その中に私の言う、深窓の令嬢時代のMiも居るからと。

皆、屈託のない笑顔だ。

Cが『これを見ているとね、涙が出て来るの』と。解るよ解る、その気持ち。とっても解る。

ああ、私たち本当に良い学校で良い友らに巡り会えたんだねと数十年を超えて実感する。

部活の仲間とは滅多に会えない・・と、私らの食事会の仲間になったハンドボールのSも、最近は年1位の

頻度で集まれる様になったらしい。関東から関西からとなるので、中間地点位で1泊で会うのと。

皆、場所はどこでも良いのよ。一晩お喋りが出来れば良い訳で。良かったね、会えるようになって。

 

72歳・73歳はまだ若い。まだまだこれからよっ!楽しみはいっぱいある。

そんなこんなで『また来月ね~』と別れた。


台風10号で予定が・・。週末は内科・眼科

2024-09-01 10:52:16 | 日記

超大型と言われ、ノロノロと日本列島を襲っていた台風10号は、若干勢力が衰え熱帯低気圧に

変わる?らしいが、未だ居座っている。まだまだ風や大雨が心配な地域がある。

ニュースを見ると各地で大きな被害が出ている模様。

そんな中 申し訳ない気分だが、私の住むところではそれほど大きな雨風が無かった。

仕事には影響はあったが。

火曜日の朝、大阪は特に天気が悪い訳でも無く、迷いながらも意を決して出発し、福島県まで

日帰りで出張しようと家を出た。新幹線の切符も予約し新大阪に着く直前に、列車の時間を確認

しようとスマホを見ると”止まった”と出ている。京都~静岡間だったか。線状降水帯と言うアレらしい。

行きたいところは東京からでも2~3時間掛かる。日帰りしようとすると、早く出ないとその日のうちに

帰れなくなる。いつ復旧するかも分からないので諦めて戻った。後で確認すると1時間半後位に

運転は再開はしていたみたいだが、速度落としてるだろうし、ダイヤ乱れてるだろうし、混雑している

だろうし、で高齢者にとっては諦めて正解だったと思う。

それから水曜木曜と様子をうかがったが、新幹線は毎日のように不通区間があり行くのは諦めた。

しかし翌週(今週)は既に予定がいっぱいで、入れるスキ間が無い。困ったもんだ。

 

昨日はこの台風で多分初めて?位、朝から雨が降っていた。薬が無いので月イチの掛かりつけ医に行く。

台風だからか珍しく空いていて、先生と診察中に”急病~それ以降”の話になった。実は先生、1~2年前に

急病(大病)で危なかったのだ。半年近く診察休んでおられ、患者は皆心配し、最悪の噂まで流れた。

先生は死ぬことは怖くないと言われるのだが、私はこの世に未練たらたらだから死にたくない。

死んだら終わりだもの。真っ暗闇の宇宙に1人放り出されるなんて(意識なんか無いんだけれど)と。

すると先生は『いや、それはちょっと違う』と。”輪廻転生”を信じている的なことを言われた。

『ご臨終です』の時、体重が軽くなるんだよと。それって魂が抜けると言うことを言いたいらしい。

魂は又生まれ変わると。そして4次元の話もされたのだが真剣に聞くも難しくて、私には4次元の世界

と言うのは理解出来ない。

しかし理詰めでモノゴトを考えるであろうと思い込んでいた優秀なドクター(K大医学部博士で若い時は

ノーベル賞狙ってたが途中で挫折したとマジ言うくらい)が、輪廻転生だの魂だのと言われるのが

何となく”へーえぇ・・”だった。又生まれ変われるんだったら嬉しいけど。希望が持てるなぁ。

先生は『車に乗ってて空のコーラの缶を窓から捨てられるか?』と突然聞かれる。『そんなことしません。

と言うより、出来ません』と言うと、それは何故か?と。法律で決められているとかマナーとか違反とか、

そう言うことじゃないよ。それは心が痛いからだと。ふうん・・そんな風に考えたこと無かったなと。

ココロが痛い  か・・お医者さんて理系理詰めの人だと思っていたけれど、エモーショナルな部分も

大事なんだな。医は仁術とはよく言ったものだと思った次第。

 

そして次は眼科。1カ月前くらいから左目に針で刺したような痛み(結構激痛)が時々起こる。

”痛っ!”となって、しばらく”うっ!”となって、じっとしていなければならない。すぐに収まりは

するのだが、段々頻度が激しくなって来たので、気になるだけじゃなく本当に痛いので診て貰いに。

目薬も無いし最近視力も落ちてるし、特に左目。

いつもより検査念入りだった。で、結果は、眼球の中にも表面にも傷は無いし、周りも特に心配

するようなものは無い。ちょっと左目の老人性白内障は進んではいるが、まだ手術するほどでも無い。

ストレス・肩凝り・疲れなどが眼に来る場合もあるから休めてねと。ホッとする。

多分パソコン見過ぎよね。ちょっと気を付けよっと。

元気で生かしていただいていること、有難いといつも思ってる。


永く美しく幸せで居て欲しい

2024-08-25 10:09:31 | 日記

仕事、お盆前2週間ほどは本当に過酷だったけど、お盆の間にぼちぼち処理していたことと、

明けの1週間の頑張りで、何とか通常の忙しさ位には戻れたかも。

6月末の展示会で口頭での注文が数件あり、それを報告してすぐイタリア行ったものだから、

旅行中の1週間で社長が気を利かして?かなんか知らんけど、工事番号を取ったのだ。

私は正式な注文書を受け取らない限り番号取らない。フライングなんかしない。

契約が確定すれば承認用の仕様書や図面をお客様に提出し承認返却していただき、社内には

それらと共に実行予算書や工程表配布してと、契約が決まればやることはいっぱいある。

だが今回、オーダー取られているのにそう言う類の資料が全く配布されていないことで、

社内の何人かから確認があった。『〇〇さんにしては珍しいですね』と言われ、その度に

『知らない間に番号取られていた。まだ何も出せていません』と説明。この1カ月ほどは、

新規引合案件の対応の他にそれらの一連の作業を後追いでやって、追い付くのに必死だった訳。

やっと何とか目途が立ったかな・・・レベルに達して、ココロがやっと落ち着いた。

要らんことしてくれて・・・社長。ぐちゃぐちゃだった順序を元に戻すの大変でしたわ。

お陰でしんどかったわ。

 

で、金曜の夜は会社帰りに、イタリアへ一緒に行った友だちのMiと食事に行った。

仕事から解放されたいというのもあったし、実はMiには話もあったのだ。

前日の急な誘いだったにも拘わらず、当日の医者の予約と翌日の孫ちゃんの発表会もある

忙しさの中、会うことを快諾してくれた。彼女の家と私の会社は比較的近いのだ。

Miとは中学からの付き合いだ。彼女は本物のお嬢様で深窓の令嬢と呼ぶにふさわしい人だった。

艶々した豊かな黒髪をキレイに顎で切りそろえ、賢くて上品で。そんなイメージだった。

そして明るく活発で、人の世話を焼き、誰にでも親切で優しい。実家も凄い豪邸だったわ。

書けば友だち自慢みたいな話はいっぱいあるが今はやめておく。

彼女はお見合いで、大阪弁で言うところの、オレ様的な”ぼんぼん”と結婚した。

 

Miはこの数カ月で8kgも体重が減ったという。イタリア行った時もその話はしたが、なんで!?と

聞くと、ただ単に食が細くなったからだと。もう以前ほどは食べられない。今までが食べ過ぎてたんだよ、

普通に戻っただけよと言う。しかし彼女の実家の家族全員に糖尿のケがあり、今年の初めには2つ上の

お兄さんが亡くなった。私らも以前一緒に旅行にまで行ったよく知っているカッコいいお兄さんで

私も同じ歳の兄が居るだけにとてもショックだったわ。そして彼女も今、糖尿の薬を飲んでいる。

糖尿のことは、本当に心配はない。お医者様にちゃんと診てもらってるし、数値的にも大丈夫だという。

しかし本当にそんな急激に痩せるものなのか・・・と私の心配はぬぐえていない。

それ以外にも気になることがあった。そしてずっと気に入らない(彼女に対してでは無い)ことも。

 

結婚して彼女は変わった。あれだけお嬢様然としていた彼女が今は、普通のおばさんの様に

なっているのが私は気に入らない。彼女のお母さんはスーパーカッコ良かった。

お母さんみたいに、いい意味での高ビーな奥様であって欲しかった。

彼女がそうなったのには色んな事情がある。ご主人の親と同居。彼女はお嫁さんであって

お手伝いさんでは無い。賢い人なのに家に閉じ込められていた。婚家もお金持ちなのに

結婚生活自体は結構過酷というか厳しいというか。つまりは長年に亘る心の問題なんだろう。

勿論、本人が良しとしているなら他人がとやかく言う問題では無いのだが。

 

このところ『Repeat after me』的な話し方をするので(3人以上居る時に限るのだが、私の言った

セリフを『そうそう・・』の後にくっ付けて、全く同じ言葉を繰り返す)大丈夫か?と感じたり。

それも『ボケてないよ』と、訳は聞いた。私の言うことに激しく同意してるからそうなると。

色んな話をする中で彼女はこう言う。『これが私の人生』と。今の夫じゃなくても多分、同じ様な人を

選んでた。誰を選んでもたいして変わらなかった。そう言う星周りなんだ。大したこと出来る訳でも

無いしと。

いや・・・縛り付けられて来たよね。

でもそういう生活がイヤだった訳でも無いのよと。

そうよね。友だちだからと言って何もかも全てをさらけ出している訳ではないだろうし、心の中までは

解らない。本心も本音も100%知っている訳ではない。夫婦・親子・家族・友だち等々・・夫々色んな形が

あるしね。要らんことに口挟んだらアカンね。子どもたち孫たちとも仲良くいい関係で円満だ。

世の中的には十分幸せだしね。見えている部分だけで勝手に心配しているだけよ。

 

ご主人が金曜日、『〇〇と会うならオレも行く!』と言ったそうだ。ふんっ!!邪魔よ。

よく喋る男が横に居たら口出す暇もない。私たち会話出来ない。第一、アンタの悪口言うんだから。

顔見たら私、又何言うか分からないよ。きっと毒吐くよ。私の友だちをもっと大事にしてよ!ってね。

私たちは6年も8年も同じ時代を過ごして来た。キラキラした少女時代を知っている。

どの友も数十年間、大なり小なり苦労も良い思いもして来ただろう。そして今がある。

この歳になったから思うのかも知れないが、友には皆末永く美しく幸せでいてもらいたいのよ。

皆でカッコよく歳取ろうね!

 

イタリア行った時の写真。Miと撮ったものとMeと撮ったもの。1枚ずつ小さく載せよっ!


イタリアへ行って来た。その⑦完結編

2024-08-15 23:42:39 | 日記

イタリア旅行記の最終版。尻切れトンボだったので、特に書くことももう無いけれど、

締めをしたく思うので。

実は写真の顔隠しも出来たので、昨晩遅くは写真掲載していたのだけれど、

やっぱり人物の写っている写真はやめることに。

ローマで最後の夜を過ごし、翌日は朝から空港へ向かい空港で最後のお土産調達し

(これが又高くて、最後の最後に散財した💧)名残惜しいけど、さあ 帰るわよっ!

イタリアが好きで、建物が好きで石畳が好きで、気の置けない友と一緒で、お天気にも恵まれて

もう最高のイタリアだったなぁ。又行きたい。

帰国してから既に1カ月以上も経ち、写真を見ると”あぁ・・・楽しかったなぁ”しかない。

同じツアーの方たちも、良い人ばかりだった。大商社の海外長かったご夫婦、カッコ良かったなぁ。

ご夫婦して超お洒落だったし、全身 良質のものを身に付けておられましたわ。

不思議なもので私たち、同じ様な色の服を持って行ってるのに、全く被らなかったのも凄い。

『明日何着るの?』なーんて全く聞きもしなかったのにね。

又海外すぐに行こうよと言うとMeは、来年はご主人とスイスに行くと。いいなぁ・・友だち以外に

ツレが居て。当たり前か・・・。 

で、次はハンガリーとかの東欧はどうよ!?などと話をして、又次の楽しみを目指そう。

今回が最後の海外旅行なんて思ってないから。

 

羽田に迎えに来たMeのご主人が『そうやって、身体も元気で行きたいところへいつでも行ける

という状況・環境を有難いと思わなくっちゃね』と。うんうん、全くその通り。そう思いますわ。

次を目指してワタクシ、又働きますことよ💪

お世話になった皆様、本当に有難うございました。

帰国後のワタクシの仕事の混雑ぶりは目も当てられない状況で、いまだに尾を引いてます💧