この間の、十五夜の時に書こうと思っていたのだが書きそびれたこと。
今年の中秋の名月は満月だったらしい。8年ぶりだとか?十五夜=満月では無いのね。
そう言うことはよく知らなかったわ。
子どもの頃、中秋の名月の日には庭に面した廊下の真ん中に、三方さんに乗せられた月見団子と
すすきが飾られていて、おっ月様が煌々とそれらを照らしていた印象が凄くある。
季節ごとの日本の風習を、祖母も母も大切にしていたんだなと改めて思う。
今はもうそんな風流なことしないな・・私はね。やっておられるお家も勿論有るだろうけれど。
そして十五夜から十六夜・立待・居待・寝待の月と変わって行くのね・・と高校の時に多分古典で?
習ったそんな月のことを想った。
何だか最近やたら、中高時代のことを思い出す。
先日、ノルウエーの中学時代のU先生と電話で話をした時にも、芭蕉の句の話。
”閑さや岩にしみいる蝉の声”の成り立ちの話をした。
最初、芭蕉は”岩にしみつく”としたんだって。で、いやいや”しみこむ”でしょとなって、
最終的に”しみいる”になったそうだと恩師に話をしたら、U先生は『そーですか・・』と。
知らなかったと。これはね、高校時代のH先生の古典の時間に教えてもらったんだと思う。
しみつく⇒ べたっと岩の表面に貼りついた感じ。
しみこむ⇒しみつくよりは深さはあるが範囲が広い感じ。
しみいる⇒一点に深く鋭利に入り込んで行くさま
みたいなことを、H先生が身振り手振りで力説しておられたんですよ。”しみいるっ!”とね。
その姿が忘れられなくて・・と言うと、U先生は『そんな風に覚えていてくれるなんて、H先生も
嬉しいと思うよ。先生冥利に尽きるね』と。H先生はとうに亡くなっているけれど。
U先生のことは、 太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ
次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ
が凄く記憶にある。三好達治の詞だ。先生好きだったのね。意味は未だによく解ってないけれど。
私は数学が全くダメだった。担任が数学の先生だった時にいつも叱られていた。
一番前の真ん中の席に座れと言われ、ノートを覗き込まれ、それを見ては『違うっ!!』とか言われ
しょっちゅう唾を飛ばして怒られていた💦。余計キライになるやんか。
国語は好きだった。でも、国語だけじゃない。色んな先生の色んな授業。言葉や状況、結構覚えて
いたりする。小学校で習ったことも。真面目に勉強して来た方ではないけれど、全部それなりに
今の自分の知識の一部になっている。役立っていると感じる。有難いこと。全てが決してムダではな
かったということよね。
あ~こんなこと思うなんて、歳だ。