雑感 独り善がり

日々の思いや怒りを自分勝手な考えで綴る

ケネディ大統領が好きだった。私のキャロライン物語。

2016-04-24 02:03:40 | 国際
小学生の頃、少女週刊誌をとっていた。
男の子の『少年マガジン』だとか『少年サンデー』に遅れて女の子用の雑誌も発刊され
『少女フレンド』『マーガレット』だったかな?そういう類をよく読んだ。
『少女フレンド』の中に『キャロライン物語』という読み物があって、私はそれが大好きだった。

そう、それは当時のアメリカ大統領ケネディさんの娘キャロライン、つまり今の米駐日大使
キャロラインさんが主人公だったのだ。
毎週毎週、漫画よりも真っ先にそれを読んだ。
当時のアメリカの上流階級の家庭の日々・様子が掛かれていて、それはそれは豊かで楽しく
美しく、昭和30年代の日本の女の子には憧れでしか無かった。
カッコよくてたくましいパパと、美しくて優しいママと、まだ小さくて可愛い弟。
キャロラインは自宅の庭でブランコに乗ったりしていた と思う、確か。
アメリカの上流家庭の憧れるような日常。目に浮かぶようだった。
勿論写真もいっぱい載ってた。
私は本の中のキャロラインを愛してやまなかった。
だから政治のことも何も分からないけれど、キャロラインのパパであるケネディ大統領が好きだった。

そしてそれから・・・6年生だったと思う。11月23日だった、確か。
父が衛星放送が始まるから家族皆で一緒に観ようと言う。
何が始まるの?と聞くと、アメリカから映像がリアルタイムで送られて来ると言う。
それが日本で観られるのだと。
初めて日本とアメリカとが衛星放送で結ばれるんだ、凄いことだ!と結構父も興奮してたかも。
家族揃って、今か今かとその時を待っていた。
ガガガ・・・ザーザーザー・・・だったか、画面が乱れてやっと向こうの画面が現れた時、
私の目に飛び込んで来たのは『ケネディ大統領が撃たれた』だったか『暗殺された』だったか
記憶が定かでないが、そのニュースだった。
その時の自分の衝動と言うかショックと言うか、ひと言で言い表せない。
誰もが言葉を失い、何も発せられなかった。
信じられなかった。
翌日の新聞は勿論『ケネディ大統領暗殺される』しか無かった。
その1面の図柄を私は覚えている。
どうして?何で?何故ケネディ大統領が死ななければならなかったのか?
あんなに皆に愛されている大統領が・・。勿体無い、誰だ殺したのは!?悔しい!
何故助けられなかったの?何故誰も庇えなかったの?
そんなことばかり思った。

それからしばらく私はずっと、キャロラインのことばかり考えていた。
キャロラインはどうしているのだろう・・・キャロラインは泣いてばかりいるのではないだろうか。
お父さんが死んだなんて・・・あの優しかったパパが居なくなって、どれ程悲しいだろう・・。
そんなことが頭から離れなかった。
『少女フレンド』の『キャロライン物語』が、どうやって完結と言うかどんな結末で終わりに
なったのか覚えていない。
そして私は中学生になり、いつしかキャロラインのことを考えることも無くなって行った。
それでもその後ずっと、”ケネディ”という名前を見る度に、あのケネディ一家のことを考えた。
叔父さんが暗殺された時も、ジャクリーンが再婚した時も、弟さんが飛行機事故で亡くなった時も、
運命を呪ったね。
キャロラインはどうしているのだろう?大丈夫だろうか?無事かしら?元気で居るのかな?と、
昔の知り合いを思うような気持だった。

30年位前、アメリカでダラスに行った。
そしてケネディ大統領がパレードした道路に行き、あのビルから狙われたんだというビルを見た。
何十年経っていても、勿体ないとか、アメリカが世界があの時にケネディ大統領を失ったことは
本当に大きな損失だったとか、ケネディ大統領が今も生きて居たらとか、そんな風にしか
思えなかった。

それから又何十年も経ち、キャロラインは駐日大使として日本に来た。
嬉しいと言うより心配だった。
さすがのキャロラインは超の付くセレブで美しくて品があり、歳は取ったけれどやっぱり
ケネディ家のキャロラインだと思ったね。
今は良き妻良き母であるキャロラインが、大使として日本に滞在中無事に役目を終えられることを
私はいつも祈っている。彼女と彼女の家族の無事と幸せ。それしか思うことは無い。
日本のことをどう思ってくれているだのろう。

この秋オバマさんの大統領の任期が切れたら、多分キャロラインも駐日大使じゃなくなるんだろうな。
ちょっと寂しいけど。



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