昨日今日、少しはマシになったかもしれないが、数日はボーっとしながら、そのくせ間違っては
いけないという緊張もありながら、何故だか黙々と仕事していた。おかしな状況だった。
心ここにあらず状態だったのかも。
10日ほど前、前の会社の本社営業Hさんから電話貰って、私が居た大阪営業所々長が重病で、
年内もつかどうか・・という状況だと。は?ちょっちょっちょっと待って!一体何の話?どういうこと?
意味分からない。何で!?電話を受けてから呆然としていた様に思う。入院していると。
夜に大阪営業所のアシスタントのUさんに電話して詳細は聞いた。会社の携帯は電源切っていると。
どうにかして連絡の方法は無いかと頭を悩ませた。オロオロウロウロ状態だった。
がしかし・・・1週間も経たない日に再度Hさんから着信。イヤな予感がしたが”まさかね”と。
しかし電話の内容はその”まさか”だった。”所長亡くなったよ”と。
信じられない。何で?って、そればっかり思ってた。
先週状況を知った後から、じっとしてても涙が出て来る。仕事をしながら泣けてくる。
所長は9月に64歳になったばかりだったはずだ。私より9歳年下だったから。
所長とは40年位前からの知り合いだ。最終的には”所長”と呼んでいたが、その前は皆、下の名前で
呼んでいた。オーナー一族だったので同じ苗字が多かったから。
機械メーカーの営業としては彼の方が先輩。私が新人の時は、彼に付いて回ることが多かった。
機械の構造などで解らない時はフリーハンドで3D目線のマンガを描いたりして教えてくれた。
解り易かった。上手だった。器用な人だった。私の言わばコーチャーだった。
頭が良くて先を読むことが出来る人。マンガだけでなく字もキレイ。難しい漢字もよく知っていた。
気は優しくて親切丁寧・・・というか気が小さい(と本人は言ってた)。身体大きいのに小心者?
怒るところも見たこと無く、性格も穏やかな人だった。むかーし、一度だけ怒っているのを見たことが
あり、珍しいな・・・と思ったことがあったが。
営業成績いつも競ってた。2人で営業所の1・2位を争ってた。年間通してコンスタントな仕事の
仕方の私に対し、最初は低空飛行が続き、今年は勝ったかな!と思わせといて最後の最後にドカン!
と決められて負ける。悔しい!そんな思いを何度もした。
昔ブログにも書いたこと有ったと思うが、私は前の会社を辞めたくて辞めたのではなく、致し方なく
だった。会社に凶暴で逆ギレするな若い子が居て、誰もが怖くて何も言えない中、私だけが注意をする。
が、ある日身の危険を感じた。営業所内では勿論皆私の肩を持ち、あちらを辞めさせるべきだと言った。
しかし社長は『余程のことが無い限りクビには出来ない』と言った。余程のことって何やねん!と。
あちらが居る限り私は出社出来ない。泣く泣く辞めた、その時存命だった会長は、私を辞めさせては
いけない!と言ってくれたらしいが、社長は聞く耳持たず。逆恨みが怖かったんじゃない?
因みにその私が辞める原因になった子は、私が辞めた半年後、違法に海外の3Dソフトを長期間使用
していたとかで会社に凄い金額の請求が来たことにより悪事が発覚し、会社に損害を与えたと言う理由で
クビになったと。それが社長の言う『余程のこと』なんだろう。私を辞めさせても痛くも痒くもないが
会社に金銭的に損害を与えたらNGと言う訳だ。
私が辞めてから募集して何人もの営業が入っては辞めたらしい。続かない。仕方なしにこの6年間、
所長は私の分も合わせ2人分の顧客の対応をして来た。仕事量は倍に増える。
機械メーカーの営業なんてせいぜい1人年間2~3億じゃないのかな。会社の規模や扱っている機械にも
依るだろうが、私ら界隈ではそれ以上は難しい・しんどいと思う。
何とかしようとすれば仕事が雑になり、寝る時間を削らなければ間に合わない。
そんな状況を所長はやって来た。会社は助けてくれなかったということだ。他にも役立たずの
営業は居るには居るが、モノの勘定に入って無いわ。少しでも手伝ってあげようと言う気に
ならなかったのかね。不思議だ。所長1人に営業所皆がぶら下がってたって感じ。
この数年間で何度か会いもしたし食事にも行ったし仕事の話もした。しかし、長い間コンタクト
してなかったなぁ・・・と後悔。最後にひとことで良いから言葉を交わしたかった。
私は私の顧客を押し付けた形になって申し訳なかったと言う気持ちになる。私のせいではないけれど。
私を辞めさせた社長・凶暴逆ギレ設計を採用し、そのくせ何も言えなかった設計部長らに腹が立つ。
反省しているのだろうか。会社に〇〇されたみたいなもんじゃないか。
仕事に自分の時間の何%を入れ込んでるかと言う話を、昔彼としたことがあった。
私のことを80~90%だろ?と彼は言う。オレは30%位だよと。えーっと・・90%の人と30%の人の
成績が同じ位ってことですか・・・💧
お金がうなるほどあったら働かないと言う。私には、お金有っても働くだろ?と。
オレはね、南の島の海岸で日がな一日寝そべってたいんだよと。そんなぐーたらな生活がしたい訳と。
私はそんな彼を知っていたから、しんどい・時間が無いと言いながら、最後一生懸命仕事していた
彼を思うと泣けてくる。あーた、ぐーたらなんかじゃないじゃない。真面目じゃない。どーして
もっと不真面目にならなかったのよ!
昔のお客様から電話があった。病院からこれだけは!って電話くれたよと。
最後の検査検査の入院時はもう覚悟していたんだろうな。
私にとっては一番長く一緒に仕事して来た人。言わば同士であり戦友みたいな人。
オレはぐーたらだと言いながら、よく頑張ったねぇ、働いたよねぇ。お疲れさん、ゆっくり休んでと
言ってあげたい。
最近、結構多くの先輩たちを見送って来た。しかし自分より若い人が先に逝くのはやっぱりツラい。
私は通夜も告別式も運悪く、福島県へ泊りの出張で行けなかった。何と言うタイミングの悪さだろうと
思ったけれど、もしかしたら来なくていいよと言っているのかなぁ仕事せーよと言っているのかなぁと、
遠い東北の空から思いを送った。
葬儀の時の写真をUさんが送ってくれた。娘さんたちが、ゲームが好きだったお父さんを思い
私はそういうのに疎いのだけれどドラクエのスライムって言うの?アレをお花で作って、札には
『〇〇の あらたな ぼうけんのたびは いま はじまった』と 書かれていた。
そうだよね、若いお父さんだったね。娘さんたちの気持ちだね。胸打つわ。
私はやっぱり悲しくて寂しいよ。どうぞ安らかに・・・。