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雑感 独り善がり

日々の思いや怒りを自分勝手な考えで綴る

文楽観に行った。面白かった!食事も大当たり!だった

2025-04-29 22:34:55 | 日記

折角書いた文が消えてしまって萎える。しかし気を取り直して再度挑戦。

なんだか最近使い勝手が悪い。書きにくい。何かフォームが変わった?

 

昨日凄く久しぶりに文楽観に行った。

月イチの食事会。翌月の日を決める前回の時に、文楽観に行こうという話になって、女優のMiに

チケットを依頼。彼女の弟さんが文楽の人形遣いなので。

18:30~の第3部を観るので、食事はその前にしましょうということになったのだが、16:00くらいから

食事させてくれるところはそうそう無い。ネットで調べて運良く16:00~OKというところを見つけたので

そこで予約。行ったことはないのだけれど、法善寺横丁の中。

余談だが、水掛不動の待ち合わせ場所まで心斎橋筋は人が多いだろうと御堂筋を歩いたのだが、

あいにく雨が降っていて、途中で心斎橋筋~戎橋筋に入った。やっぱりね。もう人人人よ。

それもインバウンドの。

昔は左側通行という暗黙の了解があったけれど、今はもうぐちゃぐちゃ。聞こえて来るのは外国語ばかり。

まともに歩けない。前に進めない。うんざりしながら人をかき分け目的地まで。

日本中、どこもかしこも今はこんな状態だろうね。

 

こじんまりしたお店で一番お安いコース(和食)を頼んでいたのだけれど、これが思いがけず大当たり!

お料理は綺麗だし美味しいしポーションも丁度いい。器もお洒落で心憎い。又行きたいと思わせてくれるお店。

これ大事だよね。お値段が申し訳無く感じるほどだった。大満足して日本橋の国立文楽劇場へ。

出し物は 通し狂言『義経千本桜』の第3部。素人には、人形は動いてくれる方が良い。動きが少なくては

心の機微は太夫のセリフで知るしか無いので(字幕が出るようになっている)、あまり面白くない。

顔や手の動きが、人間国宝とかになると流石!と思うほどなんとも言えない味があると思う。

立役・女形、夫々得意があるのだろうね。

人形を観るのも勿論好きだが、太夫や三味線を聴くのも好きなのよねぇ。うっとり聞き惚れる。

最終章は太夫も三味線も現在の最高位の人だったそうだ。名前は明確には解ってないが。

で、人形なんだけど、もう桐竹勘十郎さんが自身も人形も、何度!?いつの間に!?と思うほど

早変わりされる。勘十郎さん、1人何役も。72歳?若いねぇ。運動量半端ないと思う。人形持ってね。

人形遣いも体力勝負だな。

私は舞台見ていて途中で、”もしかしたら・・・?”と予感がしていたのだけれど、予感が当たった。

最後の最後、勘十郎さん宙に飛びました!吊り上げられました!もうびっくりだった。

珍しく超面白くて大満足。チケット代が安くて申し訳ないわねと思うくらい楽しませてもらった。

隣の席の御婦人も帰り際『凄かったですねぇ・・・面白かったですねぇ』と仰ってました。

ロビーで撮影。

『撮りますよ~』の段階になって急にCが前に来たものだから、チビの私は必死で背伸びしている。

背伸びしないと顔が見えないー💧

Miが『弟と一緒に帰るわ』と言うので、外まで出ると勘十郎さんが居る。

握手してもらって楽しませてもらったとお礼を言って一緒に写真も撮って、車に乗り込んだ2人を見送る。

そして夫々バラバラに『又次回ね~』と言って帰りましたとさ。

又観に行きたいと思わせてくれるくらい、あー面白かった。結構な1日でした(^^♪


強引な歯医者さん

2025-04-19 21:53:55 | 日記

本当は”乱暴な”と書きたい気分もあったが、それは流石に申し訳ないかと思ってやめた。

今日は歯医者に行った。

定期的な歯石取りも、葉書を貰っても守ることもいい加減でなかなか予定通りには行けてない私。

数ヶ月前、丁度前歯と奥歯の中間辺り(コーナーのところ)の右上の歯の詰めモノが取れた。

そして更にその1ヶ月後くらいに今度はその隣の歯が何かを食べた拍子に欠けた。

”行かなくっちゃ・・・”と思いつつ、食べることに不自由はなく痛みもないことを良いことに放っておいた。

今日は時間にも余裕があって、行く気分にもなって、電話してみたら少し待つけど良ければと言われ診察に。

 

いつも行く歯医者さん。近所だし、高いものを勧めもしないし、何日も通わせるということをしない

処置の速い歯医者さんなので、それを良心的だと考える私はもう数十年通っている。

しかし・・・速いことはいいことなんだけど丁寧さに欠ける?愛想も良くない強面の先生。

腕は良いんだろうな。

上の娘が歯科衛生士なので、学生の頃のバイト先で一瞬一緒に働いたとか、卒業して勤務していた

歯医者さんの先生の友だちでとか、そういう話も聞いて信頼はしている。

しかし今日はヤバかったわ。

最初に口の中を見た後、1回だけ口の中をすすいだ。そこから処置が始まって、シュッシュッとエアを

吹く、何かを入れる、ブーンブーンと削る等々 5分?10分?いやもっとかも。かなりの時間、

ずっと口を開けっ放し。

まだ噛まないで!と言われ大きく口を開けた状態で引っ張られ、喉から奥に唾液が行かないように

飲み込まないように喉を締めているので(勿論衛生士さんが吸ってはくれているのだが)、

口はゼイゼイ、まともに息をするのは鼻だけ。

それがもう苦しくなって来て我慢出来なくなって手を上げて『息が出来ません!』と言うと、

突然『今日はもうやめる』と。

は?何で?身体起こして口ゆすいで又処置すれば良いんじゃないの?と思ったが、もう続ける気が

無いんだろうなと思ったもので素直に従う。もう1回行かなくてはならない。

多分今日1日で終わらせようとしていたのだと思うが、苦しい中 ガマンガマンと自分が思っていた時、

”私はもうすぐ74歳だけれど、この年齢の人は皆、あの状況に耐えられるのか?”と感じたものだった。

ガマン強い方だと思うよ、私。痛いことにも苦しいことにも。でももう息が出来なかった。

私の息の仕方が悪い?誰にでもあのやり方?そう思うと高齢者は付いて行けないんじゃないかと。

優しくはないよね。勿論、必要以上の親切や優しさは要らないし、おべんちゃらも要らないのだけれど、

お医者さんだって結局は客商売じゃないの?それも文句も言わず大人しく従ってるのにあの扱い?と

少々不満。

私はあの状況に耐えられる73歳が居るのかどうかすごく疑問。あれは普通?みんな平気?信じられない。

誰か教えて!

 

80・20を目指している私だけれど、80・20は多分クリア出来る。

今持っている歯28本(親知らずは生えて来たことがない)は全部自分の歯。

けれど、今治療している欠けた歯は、もしかしたらいずれ無くなるのかもね。

眼も左は白内障が若干進んでいるようで、確かに霞んでいる。

やっぱりあちらこちらと色々出て来て、私73歳の割には元気です!若いです!って、胸張って言える

状況じゃ無いよねぇ・・・と少し落ち込む。

ま、それなりにやって行きますか(^_^;)


お腹の皮がよじれそうだった彦根行き(^^♪

2025-04-13 22:59:54 | 日記

4月に入って何だかとてもバタバタしている。時間のやり繰りが大変。

とにかく遠方への出張ばっかりで、2泊3泊の連泊はしんどいので勘弁して欲しいのだけれど、

お客様都合優先だし仕事が在るということは有り難いことだし、ワガママは言ってられない。

もうすぐ74歳。よく身体が持つよ。

 

そんな中、とーっても楽しみにしていた、年イチの短大時代の友らとの桜を観に行く1泊旅行。

昨年7月にイタリア行った(1人Kは行けなかったけど)仲間ね。今年は関西組には近い彦根。

私が大阪から乗った在来線に、時刻合わせて京都から乗った奈良のMiと彦根駅に着くと、

2年ぶりのKが着いていた。彼女は滋賀の実家と東京のマンションとの2ケ所でお料理教室している。

『ひっさしぶり~ぃ!元気だった?会いたかったわよー!!』と抱き合う。

彼女は昨年8月にお母さんが亡くなり、9月に妹さんが脚の手術で、イタリア行けなかったのだ。

3人姉妹の長女だし、妹さんは独り身になっているし(子供さんたちは結婚して遠く離れている)で、

実家のことは彼女が面倒も見、仕切りもしなければならない。長子気質でいつも元気なKだけど

『落ち込んでたよ』と。そりゃそうだわね・・・。大変だったよね。

『で?10月だかに行くって言ってたお料理教室の生徒さんたちとのヨーロッパも行けなかったの?』

それは行ったんだって。『あぁっらぁ~私たちは時期が悪かったわねぇ』と仕方ないけど残念だったわ。

やがて神奈川から参加のMeが新幹線米原経由で到着。

立ち話もなんだから、先ずはお昼ご飯食べようよ。Meのご主人が探してくれていた中華に行き、

ちょっと豪華なお料理は美味しいわ、お喋りは尽きないわで、『観光どうするの?』状態。

特には決めてない。とにもかくにも、会いさえすればいいのだから。観光は二の次三の次だわねぇ。

で、彦根城に行った。

 

ちょっと北の方だから、桜の開花状況から”いい感じ”じゃないかなと思っていたが、ぴたりハマって

もうそれはそれな見事な桜満開状態よ。お天気も良く風も気持ち良くて、とっても爽やかだった。

『あ~気持ちいいねぇ・・』と皆が声を揃えて言う♪

卒業してから数十年、夫々に色んな人生過ごして来てそれなりの年齢になり、もう たまに会っても

いいんじゃない?ってことで20年前くらいから年イチ桜観る1泊旅行ってことで始めたんだけど、

皆の予定や場所やその年の寒暖差などもあり、上手く桜見ごろにハマるのもなかなか難しかった。

一昨年の青森弘前城は満開観たくて日程組んだけど、ちょっと遅かった。今年はバッチりで綺麗だった。

ひこにゃんはね、近くでは会えずに縁側に立って動いているひこにゃんを、ロープで仕切られたところから

見ていたのだけれど遠いなぁ・・・。で、動かないひこにゃんと記念撮影。

 

ホテルもキレイで、温泉も気持ち良く、夜も朝もお食事美味しくて大満足。

夜遅くまでお喋りに興じていたけれど案の定、私は一番先に撃沈したみたい。

 

翌日は朝から船に乗って琵琶湖に浮かぶ、竹生島へ。

最北端だし行ける機会があるとは思ってなかったところ。神秘的?霊験あらたか?なんて勝手に

思い込んでいたけれど、とにかくしんどかった。階段ばっかりで。

前日の彦根城もそうだったけれど、とにかく目指すところが高い。上の方。

登っても登ってもまだまだという感じで、まだ着きませんか・・・💧という感じ。

石や岩の階段で高さも不規則。特にお城は敵からの侵入を防ぐという意味もあって登ること難しい。

階段登って、脚より心臓の方がしんどいう言う経験は初めてかも。それも歳のせいかな?

 

船降りてお昼はキャッスルロードというお洒落な繁華街で近江牛をいただく。これもMeの旦那様調べに依る。

その後駅前でお茶して(在来線遅延してたから)時間気にしながら、ギリギリまで又お喋り。

尽きることがない。

詰まるところ究極はと言うか結論はと言うか、自分の周りにいる大事な人たちが先ずは無事に平穏に

過ごしてくれればそれだけでありがたいということ。大層なことも贅沢なことも望まない。

 

そうそう、私しか知らない人は皆、友らとの集まりでは私が一番お喋りだと思っているみたいだけれど

実は全くそうではないのよね。私よりMiはよく喋る。声も大きい。そしてそれ以上にKはもっと喋る。

息をするように喋っていて、とどまることを知らない。人の話聞いてる?って感じ。

会話になっているのかって?それが4人、ちゃんと会話になっているのよね。

駅で向かい合わせのホームに別れてからKが又とんでもないことを言った。一昨年の年末に

お料理教室の人らとチーズとワインの会でヨーロッパ行ったらしい。その時既にお母さんは介護が

必要だったらしいのだが『心配じゃなかった?』と聞くと『息子に100万円渡して、急にそんなことに

なったら冷凍庫入れといて』と言ったとか言わなかったとか。もうそれ聞いて目が点になって

お腹抱えて笑った。大爆笑よ。Kらしい。その言い方。他に言い方があるでしょうにと思うけれど、

ま、愛情が無い訳じゃないのを知っているからいいけれど、知らない人聞いたらびっくりするかもね。

私たちの母親は皆、若干スタイルは違えど同じ様に高びーだったと夫々の話を聞いて思う。

個性的な母様の元に生まれたもんだ。

気のおけない、気を全く遣わない、笑って笑って楽しい楽しい1日半だった。

今年はMe夫妻が金婚式でスイス行きなので、4人の旅行は来年、ハンガリーかトルコということになった。

存分に遊んだから私は明日から又、仕事頑張る。


イキイキと!は難しくても、せめて めげず落ち込まず腐らず 生きて行けたら。ココロの問題よね、これは

2025-03-30 13:22:29 | 日記

3月も終わる。今期が終わる。

4月になれば新学期だし、仕事で言えば新期だしで(3月決算の会社に限る)少しは気が晴れるかしら。

3月は泊まりの出張は無かった。その代わり日帰りで週1~2回は打合せに出掛けたり、週イチの出社

くらいで、それ以外の日は家に居た。

前半は確定申告の資料提出に追われていて税理士さんに迷惑をかけたけれど、それも何とか終えて

今年中に払う税金関係が確定した。働けば働くほど、稼げば稼ぐほど取られるのよねぇ。

取られるという言い方は良くないかしらね。でも累進課税は恨めしいよ。損している気分になるから。

 

丁度月半ばに孫2人を連れてふぐも行った。2人とも卒業だったから入学併せておめでとうと、

1人は残念会で。あと1年頑張ろうね。おばーちゃんはいつも、そしてずっと応援してるから。

 

テレワークしていてふっと思った。私仕事が無ければ日がな1日何してるんだろうと。

ツレは居ない。孫も大きくなって手は要らない。子や孫が私を必要とするのは💴だけだろう。

そのうち捨てられるかも?💧。仕事も無い。趣味も無い。ボーッと過ごして即ボケるのかなと。

そう考えると恐ろしい。趣味も、したいことは無くはないのだが、そこまで気力があるかしら?と。

そう考えると、やっぱり出来る限り長く仕事をした方が良いのかなとも思うが、こんなしんどい

仕事をエンドレスで出来るかしらねぇ。色々考えると眠れなかったりして。

 

たった1人の孫が先日1歳になった兄。75歳で初めておじいちゃんになった訳だけど、

甥が、お祝のお礼のLINEで、孫と誕生日が1日違いの兄のことを『俺は今年は全然祝われてない💧

と言って旅行に行ってる。帰って来たらプレゼント渡す。歳なのにハムとか塩分の多いものが好きで

大丈夫かと心配。◯太(孫)が成人するのを見守って欲しい』と、優しいこと言って私に返して来た。

◯太が成人・・は流石に無理とは言わないけれど難しいでしょ(おにーさん95歳だからね)

元気で長生き出来ればいいねと返したが、私んちはそこまで長生きの家系じゃないよねぇ。

ま、先のことは分からないけれど。

甥もこのところ、少しは親に対する見方が変わったのかな・・・と喜ばしく思ったりした。

兄が家族に大事にされているのを見ると私も嬉しい。

 

昨日は月イチの友との食事会。1月の末頃、急に亡くなった友Oの通夜の帰りに皆で食事に寄った

その日以降会ってなかった。招集が無いねぇと夫々が思っていたので、働きかけて決まったもの。

今回頑張って参加すると言っていた、家が結構遠いUは月を間違えていて👀、時間になっても待合せ

場所に来ないので電話をしたら、まだ家だった💧。

もう1人はご主人が具合良くないので欠席。結局5人だった。

インバウンドの話に始まり、何だか世の中、人が?かどうか判からないけれど、変わったよねぇとか

政治にはもう期待も何もしていないとか、そんな話もしたわよ。万博の話もね。

来月は先に食事して文楽観に行こうと。女優Mの弟さん(人間国宝)もその息子さんも娘さんの子どもさんも

皆人形遣い。久し振りに観に行きたいわ。どうせなら親子揃って出てる時が良いわと言うことに。

 

今年74歳になる私たち、これからどうなって行くんだろう。私 どうやって行きて行くんだろう。

そんなふうに考えてしまう。

歳を取って、やることが無くなる・親しい人が居なくなる・別に期待も何もされない・やりがい

生きがいが減って行く。

そう考えると人間って、勿論身体的健康も経済的な安定も大事なんだけれど、やっぱり精神的なもの・

心の持ちようって、更に大事だなと思わざるを得ない。

”イキイキと!”は無理だとしても、めげず落ち込まず腐らず、落ち着いて、達観したというか

悟りを開いたようなと言うか、そんな老後の生き方、最期まで出来ればどんなに良いだろうと、

目標にしたいと考えるこの頃。気楽に考え過ぎ?甘いかな(^_^;)

心奮い立たせるの結構大変なんだから💧


私の黒歴史・闇

2025-03-20 23:28:22 | 日記

この時期はよろしくない。

52年前に結婚した日と、43年前に離婚した日の両方がこの1週間に含まれている。

別に意識している訳ではないが、気分的には良くない。

”円満な離婚” なんてあるのだろうか。そんなの嘘だ。どんなにスムーズに離婚出来たとしても、

その後のあれこれはさまざまな問題を引き起こす。大事なのは”その後”だ。

子どもが居れば尚更のこと。

元夫は2年前に亡くなった。でもそれで終わりではない。思うことは色々あるが今更考えても仕方ない。

いつまで経っても過去は過去にならない。引き摺っていることはある訳で、問題があるたびに憂鬱と

言うより心がかきむしられる気分。

 

”これしか無い”と自分が思っていても、果たしてそれが正解かどうかなんて判らない。

いや、正解なんて無いのだろう。その時自分が思う、多分”better”でしかない。

どうしてあんな選択を?判断・決断は間違っていなかった?もっと他に方法があったのでは?

そんな思いをこの数十年、何度繰り返してきたことか。苦し紛れに逆恨みもした。

恥ずかしながら酷い時は今も恨めしい。身近なある人が。愛憎取り混ぜた複雑な思い。

今の自分ならやり方は違ったかも知れない。とは思う。しかしそれは今の私だから思えることであって

あくまでタラレバの話であって何の意味もない。過去の自分には届かない。

”時を巻き戻せたら””やり直せたら”何度思ったことだろう。

しかし悔やんでも悔やんでもどうしようもないこと。

 

”未練はあるが悔いは無い” そんな人生を送りたかったが夢のまた夢だ。

未練たらたら後悔だらけ。そんな人生だ。一生引き摺っていくのだろう。一生開放されることはない

のだろう。それもこれも自分で選んできたのだから仕方ない。

仕事では負ける気がしない強気の私も、こと個人的事情になるとからっきしダメだ。

仕事仲間からしたらびっくりだろうな、こんな私。

仕事の悩みは辞めれば終わる。しかしプライベートの問題は一生だ。何かコトあるたびに落ち込む。

懺悔したい気持ち。私の黒歴史。闇。

大体、考えが浅いのがいけない。いくら言われても治らない。ノーテンキが仇になる。

取り返しのつかない歴史を引き摺り、諦めにも似た気持ちで普通の顔して生きている。

いつも悩んでいる訳ではないけれど。

 

私に結婚だの親だのは向いてなかったのではないかと考える。大体、覚悟は有ったのか?という話だ。

仕事だけの人生だったら良かったのかも知れない。そしたら誰をも巻き込まず苦しめず

1人悩んで済むことだったかも。

こんな親に生まれて子どもたちにはホント迷惑だったろうな。

謝って済む話ではないけれど、許してもらおうとも思ってないけれど、それでもごめんねと言いたい。