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雑感 独り善がり

日々の思いや怒りを自分勝手な考えで綴る

兄と遭遇。2年ぶりのクラス会。プライベートが有難い。

2025-07-01 13:22:08 | 日記

一昨日の日曜日、出掛けて信号待ちしていると、向こうの方から頭真っ白短髪のおじさんが

機嫌良さげな顔して自転車乗ってこっちに来る。若々しいじゃん!と思い、ん?と目を凝らすと

近付いてやっと解った。おにーさんじゃない!(実家は隣町)

手を広げて自転車止めて『どこ行くの?』と聞くと、『そこのラ◯フ(スーパー)まで』と。

ふふーん、多分おねーさん(義姉)に何か買い物頼まれたのね。

次は向こうが私に聞く。『仕事か?』と。いやいやいや・・・日曜だよ。

まあ日曜のうちに移動する時も無くはないが。『クラス会に行くの』

最近、『歳感じるよ』と言うから、当たり前でしょ!と。『オレ、Yが小学校に上がるまで

生きてられるかなぁ?』と。兄は昨年、後期高齢者になってすぐに孫が生まれたのだった。

初めての孫。75歳で。『Yと交代やなぁ』と。

後1週間で一番大きい孫が23歳になる私とは大違いだ。今日はJが19歳だし。

私は言う。『おにーさん、いい顔してるよ。機嫌良さそうに穏やかな顔で若々しくて元気そうよ。

そんなまだまだ死にそうには見えません!』うん、確かに76歳にしては若く見える。小綺麗だし。

いっときは本当に、もうあきません⤵みたいな時があり心配したが、それから考えると今は

大丈夫そう。顔もツヤツヤしてるわよ。ツルッとしたきれいなお顔。色も白いわ。

『みんな元気?よろしく伝えてね~』と言って別れる。姉が亡くなり、もう兄妹2人になった。

元気で居てもらわなくっちゃ困るんですからねっ!

 

そして2年ぶりのクラス会へ。

一昨年はコロナ明けの久しぶりだった。1年半くらいのスパンでやろうと言っていたが、

今回私が1人で幹事することになり、結局丸2年経った。前回は20人以上集まったが今回は13人。

数は少なかったがコンパクトで皆の話が聞けて、それはそれで良かった。

3年前にくも膜下で倒れたNも出席してくれた。今年1月、友のOが急に亡くなって、私たちは

その時の通夜でNには久しぶりに会えてたが、クラス会にまで出て来てくれる位、気持ちも前向きに

なっているみたいで嬉しい。

みんなで聞こうよと、1人1人近況を話してくれて、近況と言わず実は結婚してからの話だったりで

義家族のこと子ども孫のこと自身のこと、ガンをあちこちしているとかのびっくりするような話も

あったりして、みんなそんな歴史を重ねてきたのね・・・と感慨深い。

Nも、大変な思いして来たのは、くも膜下で倒れた自分だけじゃないのね・・・と思ったかも知れない。

あの学校で良かった、こんな友らに巡り会えて良かったと思わせてくれる、懐かしい良い会だった。

みんな好きよっ!

関西以外在住の人らは、同窓会でもないとこっちに来る機会がないのよと。でも東京の彼女、

お母さん97歳で健在よ。

皆が元気なうちに、もう毎年しようよという話になって、何月の第何日曜の昼!と決めた。

次の幹事も決めた。LINEでやり取りするから、皆で一緒に考えたら良いやんて感じ。

 

ああ、楽しい会だったわ。元気そうな兄にも遭遇したし、素敵な友らにも会えて、いい日曜だったな。

仕事の社内外のことで煩わしく悩ましいこと山積の身としては、プライベートが幸せって本当有難い。

お客様が来る・テストワークが届くので受け取って確認・会議がある 以外は出社しない。

お客様への訪問と出社とテレワークと丁度3等分くらいでバランスが良い。出張はしんどくはあるが。

でも、家に居てても仕事に追いまくられている。しんどくても、こういう日常のスタンスが崩れるのも

怖いかも。

意欲的で前向きな方が元気で居られると思うよ。今朝は朝蜘蛛を見た。きっと良い1日になるだろうと

嬉しかったし有難い♡


白菜を炊いて姉を偲ぶ。私の食事情・大阪弁(方言)のこと

2025-06-22 11:18:08 | 日記

最近太り気味。私は全く食欲が衰えるということがないので、歳を取って代謝が悪くなっているのに

食べる量は相変わらずだものね。衣食住の優先順位はやはり、衣より住、住より食よ。

この歳だから、いわゆるチェーン店というかリーズナブルな居酒屋さん?的なお店には

出来ればあまり行きたくない。どんな食材使ってるか判らないものねぇ。まあ付き合いもあるが。

少々高くても身体に良いもの食べたい。となるとやはり、食材吟味して家で作るのが一番良いわけで。

 

で、又、白米を食べる量を減らそうと画策。昨日は野菜メインに食材の買い出し。

菜っ葉を炊いていて姉のことを思う。

白菜(しろな)ってご存知?白菜(はくさい)ではないのですよ。もしかしたらルーツ?最終的に?

同じものかも知れないが、しろなは、杓子菜とか高菜とか辛子菜・水菜とも違う。

アクのない、あっさりした菜っ葉。子どもの頃、母が炊いてくれる白菜(しろな)が好きだった。

姉も同じ感覚だったのだろう。昔姉の家を訪ねた時に白菜を炊いていて、結構じゃぶじゃぶなのよ。

味も薄そうだな・・・と見ていると姉が言った。『子どもたちに味の濃いものを食べさせたくない。

煮た汁まで吸っていいように』と。私は煮物かスープか判らん位じゃん!と思ったものだ。

まあ、解るけどね。味の濃いものは嫌だね。薄味がいいよね。

お姉さん、そんなこと言ってたよねぇ・・・と今年1月に亡くなった姉を思う。

11月に倒れて、たった2ヶ月で逝ってしまった。あっけなかった。

皮肉なことにその2ヶ月間で、残された人たちの今後の付き合い方というものを思い直したと言うか、

そういうきっかけになった。

姉は私と違い、夫のため・子どものため・家のためを先ずは考える人だった。

大人しくて静かで楚々として。しかしそんな風には見えないけれど根っこは、ワガママだったはずだ。

私は知っている(^_^;)

幸せな人生だったと思いたい。

私も歳のせいか、何かをやっている時にふっと、父や母、そして姉のことを

”ああ・・こんなだったなぁ”と思い出す。

 

で、白菜(しろな)の話。

何十年も前の昔々私がまだ小学生だった時、商売していた実家。年末暮れも押し迫った超忙しい時。

お手伝いさんたちの手も塞がってます状態で、母は私に買い物を頼んだ。

メモを渡して隣町の市場まで買いに行ってと。ちょっと遠いなぁ・・で気乗りはしなかったが。

書かれていたのは『白菜4束』。お節用?いや違うな。自転車で八百屋さんまで行きメモを見せる。

お店の奥さん『あれ!白菜4束かね。沢山だね。漬物にでもするのかい?持って帰れるかい?』と言って、

自転車の前カゴに白菜を4束ぶっ込む。前が重たいなぁ・・と思いながらフラフラと帰り母に見せると

『あぁっらぁ!”はくさい”ではなくて”しろな”だったのに』と。

いやいや、漢字同じだろ。白菜と書いていたよね。それならそうと言葉で言ってよ。”しろな”だよってね。

その後、誰かが交換しに行ったのか(私は行ってない。不貞腐れて『絶対イヤだ!』とごねてたはず)

そのまま使ったのか覚えてないが。

 

それから、”はくさい”と”しろな”は同じもの?子どもか大人かだけの違い?と気になる様になったことは

言うまでもない。実際は調べてないんだけどね。

☆今調べた!

しろなはシロ菜と書くらしい。白菜の仲間だがハクサイと漬け菜(これも知らんけど)を

品種改良したもの。葉が巻かれない品種だそうだ。

シロ菜はどこにでも売ってるわけではなくて、探すのは結構難儀。

昨日シロ菜が売って無くて、仕方無しにハクサイとお揚げさん(薄揚げのこと)と一緒に山ほど炊いた。

蓮根が売って無くて、ゴボウできんぴらした。お米食べずに菜っ葉でお腹膨らます💧

 

私は(大阪の人は多分ほとんどそうだと思うけど)”煮る”ことを”炊く”と言う。なので、”菜っ葉の煮物”

ではなくて、”菜っ葉炊いたん(炊いたもの)”という。薄揚げも”お揚げさん”だ。

しかし、段々そういう言葉の違いというのもは無くなっていくんだろうなと思う。

過去娘に、孫に”ぎょーさん”(たくさん)や、大根に味が”しゅんだ”(染み込んだ) なんて言葉を

教えんといて と言われたことがある。周りが???状態だったそうで。

もうすぐ23歳になる一番大きい孫が幼稚園の時だ。

いやいや・・教えたんではなくて、私が日常的に使っているのを耳にして覚えたんではない?と

言ったのだが、子どもたち社会(幼稚園児)では通じないよね、そりゃ。

 

私は方言好きだけどなぁ。高知弁もね(^^)。仕事では使い分けしてますよ。

いや、私は最近 お客様にも大阪弁丸出しで喋っているかも。老人の図々しさですかなぁ(^_^;)


74歳になった。次は最初の目標78歳までは生きる!

2025-06-15 13:21:16 | 日記

私は前週誕生日が来て、晴れて74歳になった。

梅雨生まれね。だからかどうかは分からないが雨は嫌いではない。

早く74歳になりたかったよ。私にとっては73歳より74歳の方が格好良いので。

木・金と、東京ビッグサイトでの展示会の商社さんのブースに居た。我が社の機械も数台出展されていて

行くつもりは無かったのだが、引合継続中のその商社さん経由の案件が何件かあって、商社の担当の

方に『そのお客様来られるから来て』と言われ行ったもの。

いまホテル、めっちゃ高いし、なかなか取れない。東京は特に?いや、どこもだね。

急だったもので、やっと取れたのが1泊2万円超え。ビジネスで泊まるのにこれは高いわ。

 

私の悪い癖で、”おとなしくしておこう・目立たないように・静かにひっそりと隠れて・・・”は全くの嘘。

最初の決心だけで、お客様を目の前にすると、そんな嘘くさい決心はどこかに吹っ飛んでいってしまう。

喋る(聞かれたら だが)機械のことを熱く語る。もう止まらないので、お客様は自慢を聞かされた気分に

なるだろう。いいのよ、自慢で。自社製品に惚れてなくて、なんで売れる?と私は思っている。

 

夜、誘われて10人ほどの会食に参加。

その場で初めての方たちに紹介され(他の業者さんも居たので)歳もバラされ(何で言うかなぁ・・・)

知らなかった人たちは『えーーーっ!!?』となる。私にすれば当然のリアクションだ。

『62歳くらいかと思ってた』という方も居るが、まあ半分以上はお世辞だとは思っている。

しかし若くは見えると思う。今は髪の毛、内側ブルーに染めていて、気がつく人は『お洒落~』と

言ってくれた。ふふん!

ほとんどの人が私のことを『若い』『元気』という。

確かに、会場でアテンドしている人の中には、アキレス腱が痛くて痛み止め打って対応している人、

脚?椎間板ヘルニアで手術して、痛みは無くなったけど痺れていて感覚が無いという人と、結構

身体大変な人も居て、ツラそうだ。彼らはどちらも50台。そう思うと、74歳でどこも痛くない私は

元気な方だし、元気な体を貰ったことは感謝しないとね。金曜日も夜遅く家に帰り着いた時は

”しんどい・・・”で速攻寝てしまったけれど、一晩寝て元気になり、昨日土曜日は朝から仕事してたわ。

 

以前ブログに書いたかも知れないが、11年前の63歳の時、孫に『あと15年、78歳位までは最低でも

生きてたいかな・・・まあ80歳とか生きられればいいね』と言った。

その2年後くらいに『あと15年・・』と言うとJが『おばあ、あと13年やで』と言いまして・・・。

ええ~ぇっっっ・・・!!覚えてましたんかい!勘定してましたんかい!と、びっくり。

確かにJの言う通りだわねぇ。確実に減って来ている訳で💧

父は70歳・母は80歳で亡くなった。短命ではないけれど、長生きでもない。平均寿命には達していない。

姉が今年の1月に77歳で亡くなった。おねーさん、お母さんの歳まで生きられなかったねぇ・・と思った。

超えると思っていたのに。兄は兄で、『順番から言えば次はオレの番か・・親父の歳は超えられたけどね』と。

友や友のご主人が亡くなったりで、周りの近しい人・同じジェネレーションの人たちが居なくなるのは

本当にツラい。悲しい。寂しい。そして、いつ我が身に降り掛かってもおかしくない歳なんだと実感する。

 

格好良い74歳になれた。今は先ずは目先の目標78歳までは生きたい。その後は母の年齢を超えて

もう少し元気で生きられればいいなと思う。

私の周りの大事な人たちも皆、同じように元気で長生きして欲しい。みんな、楽しく頑張ろうぜっ!!


私の御堂筋

2025-06-01 11:46:38 | 日記

この2週間ほどは出張・来客・テスト等々、毎日何らかの用事があって、ほとんど毎日の様に

出掛けていた。なので、もうこれははっきりと歳のせいなのだろうが、凄くしんどい。

帰宅するやいなやバタン!となってしまう。食事は流石に抜かないが。いや、抜けないが。

でも食べるとすぐに寝てしまい、夜の10時頃から記憶が無くなることが毎日のように続く。

その代わり朝は3時4時には目が覚めて、即仕事を始めるという具合。朝が早いから夜、余計

眼が持たないのかも。悪循環?無理が利かない身体になってしまってるわ。

会社で頭に血ぃがのぼるくらい嫌なことがあり、それもストレスになっている。

悶々ではなくムカムカだ。

 

そんな中、昨日は友との食事会。今回は4人だった。珍しく少ない。

淀屋橋に在る、1927年に当時の豪商(と言えると思う)が建てたという鉄筋コンクリートのビルの

地下のベトナム料理レストラン。

ビル自体はとても趣のある、大事に残して欲しい様な建物だった。

もう100年近く経っているんだものね。段々昔の重厚なビルが無くなってきて寂しい思い。

人数少ないけれど、友らの昔話に加え、政治・政治家・インバウンド・万博・中国等々

結構盛り上がって、時間の経つのも忘れたわよ。

来月はクラス会があるので、いつもの食事会はお休み。

 

帰り、皆同じ淀屋橋から電車に乗るのだけれど、地下に潜るという3人に『私は上を歩くわ』と

別れて1人御堂筋を少しだけ歩く。

年から年中イルミネーションしているの?と思うのだけれど、御堂筋の銀杏の木が光ってた。

御堂筋に関しては、私は思うところがある。

元々はメイン4車線+側道各2車線の計8車線だったはずだ。それも南行き一方通行の。

御堂筋建設当時、『市長は大阪のど真ん中に飛行機の滑走路でも作る気か!』と散々言われたらしいが

時の関市長は『将来を見据え、これからの大阪の発展には、きっとこの位の道路が必要になる』と

言って聞かなかったそうだ。この話は父から何度か聞かされた。

私はこの、日本全国でも類を見ないほどの御堂筋の広さと、イチョウ並木の景観がとても好きだ。

なのに今は、側道が両側各1車線減らされ、幅が狭くなっている。それもこれもインバウンド対策だと

言われるが、そこに関しては維新のやり方は気に入らない。歩道を広くする必要ある?

もうこれ以上、狭くしてもらいたくない。御堂筋は大阪のシンボルなんだから。

 

淀屋橋まで行ってついでに中之島と市役所を見る。

市役所には正面によく解らないイルミネーション。そして中之島も木々が光ってる。

そんなん要らんねん!と私は思う。クリスマスでもあるまいに。

静かで落ち着いた佇まいの方が好感が持てるのに。ゴテゴテは趣味が悪い。木も可哀想。

 

昔々、淀屋橋は待ち合わせした場所。携帯電話も無い時代に、突発の用事で連絡も出来ずに

遅れて来る人を、橋の上で何時間も待った。どんなに時間がかかっても遅くなっても必ず来ると

信じていた。

やっと会えて、食事をして、別れ難くて何度も何度も淀屋橋~心斎橋~淀屋橋と御堂筋を往復した。

言葉少なに歩いた。

そんなこともあったわねと懐かしく思い出す。私にも乙女の時代があったことを。

もうすぐ74歳になるおばあさんが、何言ってんだか・・・とちょっと恥ずいけど。


子孝行・孫孝行の2日間(^^)

2025-05-06 14:58:46 | 日記

昨日一昨日の2日間は、子孝行孫孝行をして来た。

一昨日は、兵庫県の2時間位掛かるところに住んでいる上の娘が、孫と一緒に

梅芸で宝塚OGの舞台を観に行き、その帰りに食事をとの要請。

最近上の娘とはそういう状況で、数ヶ月に一度梅田辺りで待ち合わせして食事して別れる 位の

付き合いである。前回は泊まったけれど。

『何が食べたい?』と聞くと『串カツ』との返事。『馬鹿の一つ覚えみたいに思ってるでしょうね』と

本人自覚して言うくらい、串カツが食べたいらしい。

私も串カツ好きでは有るのだが、毎度毎度串カツでは芸が無い。

で、1週間経ってないが、先日友らと行った法善寺の創作料理屋さんへ。

同じ料理かと思っていたが、月が替わったので若干メニューに変化が。

これ、”肉じゃが”と称するもの。↓

周りの白いのはじゃがいものすりおろしたもので、真ん中に豚の角煮。

八寸の左下にあるのは”卵かけご飯”。↓

ご飯の上に、いくらととびこ?とキャビアが載っている。

最後のご飯は前回は”桜えび”だったが、月が替わったので今回は”たけのこご飯”だった。

お値段の割にはお得感満載ですわ。

その後お茶して、娘に『家に着くのが遅くなるので泊まれば?』と言ったが(孫は大阪市内在住)

『家で寝る方が良い。明日休みだし』とのこと。実家より自分ちの方が良いと思うのは結構なことだ。

 

そして翌日の昨日は、下の娘んちへ。高1の孫が図書カードが欲しいと言っていると言うので、

浪人生のと2人分持参し、しめしめと訪問。いつものことながら『食材・食料品要るもの無い?』

鰻とお寿司と柏餅だそうで、肉も高いが鰻も高い。なんせ食べる量が半端ないので。

柏餅は雰囲気に流されて、”たねや”の列に並んでしまった。やっぱ一番人気だね。

着くと、娘が かがった高1の孫のズボンの丈直しを見てと。 ”ああ、これはあきませんわ”

で、全部解いてイチからお直し。

私は洋裁和裁編み物刺繍アップリケ、何でも一応得意(だった)と言うか好きと言うか。

しかし、今は仕事ばっかりしているもので、およそ女らしいことは何も出来ないと、

今の私しか知らない人は思っているらしい。

社長なんか『ご飯自分で作るの!?』と言う。失礼なっ!あのねぇ・・・一応昔は主婦もしてましたし、

私結構器用なんだよ!?お料理くらい出来るわいっ!パパッと速いのウリだし。

まあ、小鉢をいくつも みたいなお食事は、1人だし、もう無理だし、しない けれど、それなりに

作ってるって。

帰りに予約していた美容寄って帰宅。

 

電話をしょっちゅうする訳でもなし、何泊も泊まりに来る訳でもなし、サバサバした付き合い。

私は子どもに老後の面倒みてもらおうなんて夢にも思わないし、当然同居なんて有り得ない。

向こうも面倒みません宣言している。冷たい親子関係?割り切った考え?というのかどうか

分からないし、いくらエラソーに言っていても、実際はどうなるかは分からないのだが、

出来れば死ぬまで1人がいい。まあ、買い物くらいは行ってもらうかもだが。

高1の孫は、最近私が出張がしんどい・・・と言っているのを娘から聞いて、凄く心配して

くれているらしい。長生きして長生きしてと言ってくれる。

それだけでも有り難いよ。もう大きくなって、おばあちゃんのことなんか気にもしない年頃だろうに。

まだまだ元気で働いて稼いで、皆に貢献しよう!それしか私、やること無いのよ💧

GW中も毎日少しずつは仕事していた。溜まっているのを片付けたいがために。

もう、一気に仕事モードに集中よ!