中学・高校生時代、英語は得意でしたか? 好きでしたか?
←記憶力が弱いので別のもので補う。
なんとなく、英語はやっぱり好きな人が得意になり、得意な人が好きになることが多いと思うんですが…つまり、やらなきゃできないしやればできる、というような。
まぁある程度の線よりはるかにやらない人(例: こじろう)が英語できる人になるわけはないんだけれども。つまり、「やらなきゃできない」のはかなり本当。
でもね、「やればできる」のかっていうと、そりゃもう英語圏に生まれれば英語しゃべれるようになるでしょって意味ではそうなんだけど、中学生くらいの年から、ぼちぼち学校での学習の流れに沿っていく程度では、「やってもできない」ってことはあるのかなぁと思いました。そう思うようになったのは、またろうの高校受験英語の面倒を見たときからです。
それまで、よしぞうがあんまりにも英語できなかったもんだから…そりゃよっぽど英語の勉強を無視してきたんだろうと信じていたんですよ。本人は「ある程度やった」と主張していたんですがね(笑) でも、またろうにしつこくしつこく英語の基礎基礎基礎キソ…どんなに丁寧に重ね塗りしても、スーーーッと抜けていってしまうし、なんとか「盛った」部分も、ちょっと気を抜いただけでがらがらと崩れ去ってしまうorz
これ、自分の中学生時代だったらアリエナイことで、やってもできない子っているんだと思いましたよ。よしぞうもまたろうの親だから似たような感じだったのかもね。疑ってゴメン。
私の場合、典型的な「英語得意」な人とはちょっと違っていて、英語を使って外国人とコミュニケーションしたいわけでもなく、英語力を生かして仕事をしたいのでもなく、外国旅行をしたいのですらなく、とにかく英語はぜんぜん活用したくないんだけど、でもおもしろいの。英語と日本語の違いそのものが、表現のズレが、とにかく興味深いと思う。
けど、だからといって英語をどんどん勉強したいというわけではなくて、英語もおもしろいけど、ほかにもたくさんおもしろいことがあるので、「趣味」としていえば592番目くらい(ちなみに今だったら、ピアノは1番で、絵を描くのは326番くらいで、縫い物は452番くらいかな)だから別にそんなに時間はかけたくない。
だから、大学受験のときとか、英語には極力時間かけないで最大の効果を狙っていました。そのための鍵となるのが「文法」だったと思います。
先日、to不定詞と動名詞の使い分けのことをはなひめに聞かれたのですが、たとえば新中学問題集とかの該当ページを開くと、目的語としてto不定詞をとる動詞、動名詞をとる動詞、両方とる動詞、そして両方とるけど意味が違う動詞が整然とリストされています。
「これって、全部覚えないといけないの??」
…こういうときに、真面目に丸暗記する人、そんなことやってられるかって放棄する人に分かれると思うんだけど、私は丸暗記した覚えはないです。暗記苦手。。
結局のところ、動詞を名詞っぽく変える方法として、toをつけるのとingをつけるのがあって、似た感じのところもあるんだけど、でもニュアンスはやっぱりなんとなく違って、だから使い分けもあるわけでしょう。丸暗記じゃもったいないよね。
手掛かりになるのは、両方つくけど意味が違うタイプの動詞で
Remember to ~ (忘れずに~しなさいよ)
I remember ~ing (私は~したのを忘れない)
とかね。そういうのをいくつか見ると、
「to ~」のほうはこれからするとか、しようとするとか、なんか特に「意思」が感じられるような気がする。だから、「医者になりたい」だったらI want to be a doctor.っていうだろうし、I want being a doctor.はやっぱおかしい。decideとかも同じ。
それに対して、「~ing」のほうは、もうそうなってることとか、純粋客観的にそのコトという動詞が名詞化したもののような気がなんとなくする。
あらかた「癖」をつかんだら、いろんな文に触れて、その「癖」の捉え方を詳細化するなり、うまくハマらなかったら、そんなこともあるんだーと思って逆に印象に残したり。
ざっくり傾向を把握するとか、似ているものをパパッと結びつけるとか、新しい語について判断してもその「ざっくり傾向」からの類推で当てちゃうとか、その傾向に沿わないものが出てきてもめげない(笑)でむしろおもしろがるとか、そのへんで英語学習のうまい下手が出てくる。
暗記に頼りすぎるのもよくない(時間がかかる、つまらない、応用がきかない)、
理屈に頼りすぎるのもよくない(英語は理屈どおりなんかできてないから挫折する)、
いい加減にいーかげん??
そういう人は英語得意になると思うんだ。
私は暗記が極端に下手で、何か覚えようとしてもそのままじゃ記憶に残らない。速やかに忘却の彼方にいってしまうんだけど、でもそれは、知らなかった昔に完全に戻るのではなくて、エッセンスのような、漠然とした感覚が残っていて、それが境界の曖昧な英語の「癖」みたいな塊になっていきます。それで、英語に触れるたびにその塊は成長していくし、新しいことの類推に効くんですよね。
今回、どっかきれいに説明してあるのはないかと思って手持ちの本をあちこち漁ると、
「つながる英文法」
には、だいたい私の理解と同じものが載っていました。この人の文法のつかまえかたは私の感覚からいってとてもしっくりくることが多いです。
「この区別だけで(1)~(3)(*)の違いをすべて説明するのは大変難しい。理由はよくわからんけどなぜか(1)、なぜか(2)という動詞もあります。ここは、to V原とVingの意味の違いを押さえつつ、覚えてしまったほうが楽なポイントです。」そう、押さえるところ、覚えるところの線引きがうまくできる人が英語得意になる人。もっといえば、もやもやっとしたところを辞さずできるだけ広く「押さえればすむところ」をとるのが時短のコツ。
(*) …to ~のみをとる動詞、~ingのみをとる動詞、どちらもとる動詞の分類を指している
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「発達障害グレーゾーン まったり息子の成長日記」ダイヤモンド社
(今回もイラストはまたろう)
←記憶力が弱いので別のもので補う。
なんとなく、英語はやっぱり好きな人が得意になり、得意な人が好きになることが多いと思うんですが…つまり、やらなきゃできないしやればできる、というような。
まぁある程度の線よりはるかにやらない人(例: こじろう)が英語できる人になるわけはないんだけれども。つまり、「やらなきゃできない」のはかなり本当。
でもね、「やればできる」のかっていうと、そりゃもう英語圏に生まれれば英語しゃべれるようになるでしょって意味ではそうなんだけど、中学生くらいの年から、ぼちぼち学校での学習の流れに沿っていく程度では、「やってもできない」ってことはあるのかなぁと思いました。そう思うようになったのは、またろうの高校受験英語の面倒を見たときからです。
それまで、よしぞうがあんまりにも英語できなかったもんだから…そりゃよっぽど英語の勉強を無視してきたんだろうと信じていたんですよ。本人は「ある程度やった」と主張していたんですがね(笑) でも、またろうにしつこくしつこく英語の基礎基礎基礎キソ…どんなに丁寧に重ね塗りしても、スーーーッと抜けていってしまうし、なんとか「盛った」部分も、ちょっと気を抜いただけでがらがらと崩れ去ってしまうorz
これ、自分の中学生時代だったらアリエナイことで、やってもできない子っているんだと思いましたよ。よしぞうもまたろうの親だから似たような感じだったのかもね。疑ってゴメン。
私の場合、典型的な「英語得意」な人とはちょっと違っていて、英語を使って外国人とコミュニケーションしたいわけでもなく、英語力を生かして仕事をしたいのでもなく、外国旅行をしたいのですらなく、とにかく英語はぜんぜん活用したくないんだけど、でもおもしろいの。英語と日本語の違いそのものが、表現のズレが、とにかく興味深いと思う。
けど、だからといって英語をどんどん勉強したいというわけではなくて、英語もおもしろいけど、ほかにもたくさんおもしろいことがあるので、「趣味」としていえば592番目くらい(ちなみに今だったら、ピアノは1番で、絵を描くのは326番くらいで、縫い物は452番くらいかな)だから別にそんなに時間はかけたくない。
だから、大学受験のときとか、英語には極力時間かけないで最大の効果を狙っていました。そのための鍵となるのが「文法」だったと思います。
先日、to不定詞と動名詞の使い分けのことをはなひめに聞かれたのですが、たとえば新中学問題集とかの該当ページを開くと、目的語としてto不定詞をとる動詞、動名詞をとる動詞、両方とる動詞、そして両方とるけど意味が違う動詞が整然とリストされています。
「これって、全部覚えないといけないの??」
…こういうときに、真面目に丸暗記する人、そんなことやってられるかって放棄する人に分かれると思うんだけど、私は丸暗記した覚えはないです。暗記苦手。。
結局のところ、動詞を名詞っぽく変える方法として、toをつけるのとingをつけるのがあって、似た感じのところもあるんだけど、でもニュアンスはやっぱりなんとなく違って、だから使い分けもあるわけでしょう。丸暗記じゃもったいないよね。
手掛かりになるのは、両方つくけど意味が違うタイプの動詞で
Remember to ~ (忘れずに~しなさいよ)
I remember ~ing (私は~したのを忘れない)
とかね。そういうのをいくつか見ると、
「to ~」のほうはこれからするとか、しようとするとか、なんか特に「意思」が感じられるような気がする。だから、「医者になりたい」だったらI want to be a doctor.っていうだろうし、I want being a doctor.はやっぱおかしい。decideとかも同じ。
それに対して、「~ing」のほうは、もうそうなってることとか、純粋客観的にそのコトという動詞が名詞化したもののような気がなんとなくする。
あらかた「癖」をつかんだら、いろんな文に触れて、その「癖」の捉え方を詳細化するなり、うまくハマらなかったら、そんなこともあるんだーと思って逆に印象に残したり。
ざっくり傾向を把握するとか、似ているものをパパッと結びつけるとか、新しい語について判断してもその「ざっくり傾向」からの類推で当てちゃうとか、その傾向に沿わないものが出てきてもめげない(笑)でむしろおもしろがるとか、そのへんで英語学習のうまい下手が出てくる。
暗記に頼りすぎるのもよくない(時間がかかる、つまらない、応用がきかない)、
理屈に頼りすぎるのもよくない(英語は理屈どおりなんかできてないから挫折する)、
いい加減にいーかげん??
そういう人は英語得意になると思うんだ。
私は暗記が極端に下手で、何か覚えようとしてもそのままじゃ記憶に残らない。速やかに忘却の彼方にいってしまうんだけど、でもそれは、知らなかった昔に完全に戻るのではなくて、エッセンスのような、漠然とした感覚が残っていて、それが境界の曖昧な英語の「癖」みたいな塊になっていきます。それで、英語に触れるたびにその塊は成長していくし、新しいことの類推に効くんですよね。
今回、どっかきれいに説明してあるのはないかと思って手持ちの本をあちこち漁ると、
「つながる英文法」
には、だいたい私の理解と同じものが載っていました。この人の文法のつかまえかたは私の感覚からいってとてもしっくりくることが多いです。
「この区別だけで(1)~(3)(*)の違いをすべて説明するのは大変難しい。理由はよくわからんけどなぜか(1)、なぜか(2)という動詞もあります。ここは、to V原とVingの意味の違いを押さえつつ、覚えてしまったほうが楽なポイントです。」そう、押さえるところ、覚えるところの線引きがうまくできる人が英語得意になる人。もっといえば、もやもやっとしたところを辞さずできるだけ広く「押さえればすむところ」をとるのが時短のコツ。
(*) …to ~のみをとる動詞、~ingのみをとる動詞、どちらもとる動詞の分類を指している
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「はじめての中学受験 第一志望合格のためにやってよかった5つのこと~アンダンテのだんだんと中受日記完結編」ダイヤモンド社 ←またろうがイラストを描いた本(^^)
「発達障害グレーゾーン まったり息子の成長日記」ダイヤモンド社
(今回もイラストはまたろう)
勉強とか効率とか考えればね。
バランスが必要です。
コウ太くんはまぁ不向きなんでしょうね(^^;;
またろうほどではないかもだけど。
そして興味関心もないのよね。
> 英語はできなくてもいいと言う考えをどうにかしないと、先に進まないです。
ほんとに…
理屈に頼りすぎるのもよくない(英語は理屈どおりなんかできてないから挫折する)、
いい加減にいーかげん??
そういう人は英語得意になると思うんだ。
アンダンテさん、すごいです。その通りです。
もちろん明確な目標がある人は、好き嫌いがどうであれやるでしょうけど。
コウ太は難しいですね。
英語のそのものに興味がないのです。文法も何もかも。おもしろがれる部分が全くないと言うか。
勉強の仕方も暗記に頼りすぎてますしね。(一夜漬けでどうにかしようって・・><)
リスニングは、続けるとすぐ効果がでるんですが、まあやりませんね。
英語はできなくてもいいと言う考えをどうにかしないと、先に進まないです。
どこにも就職できない、食べていけない、となったら、死ぬ気でやるとは思いますが。
でもやってできるようになるのかは、ちょっとわからないです。