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アンダンテのだんだんと日記

ごたごたした生活の中から、ひとつずつ「いいこと」を探して、だんだんと優雅な生活を目指す日記

卓越した観察眼は力である(メシの種育て)

2011年06月03日 | 中学生活
私のいた学科では、三年になるときの春に三宅島実習というのがあった。学科に女子は一人なんで一人部屋になるはずのところ…

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そのときは他学科から参加があり二人部屋に。来たのは、Kさんという、JGの一年先輩。教職に必要な単位数の関係で来ることになったとか。

それまで面識はなかったんだけど、Kさんのことは知っていた。なにしろ卒業生総代だったから成績は学年トップってことで、もともと有名人。それに、大学に入ってから、私は「Kレポート」にお世話になりっぱなしだったのだ。

生物学実習という授業は、要するに細胞とか組織とか観察してスケッチするだけのシンプルなものなんだけど、これが凡人がやると「見れども見えず」。たいへん難儀するのだ。教科書とかの模式図から「こう見えるはず」というのを無理やり描いても嘘っぽくて…ってかバレますねふつう。

というわけで、「Kレポート」が回ってきてたんですよ、うちのクラスには。これがもう、すばらしくて、単に絵や字がとてもきれいということだけではなくて、真実かつ詳細な観察が飛びぬけていたのだ。

実際に間近でお会いしたKさんは、ちょっと控えめなお嬢様という感じで、はんなりした雰囲気の方だった。私の周りにいたのはやたら口から先に生まれたタイプの人ばっかりだったから(例: よしぞう)、なんか新鮮で。

それで、いざ実習に繰り出すと。日中は、地層やら植生やらとにかくフィールドを見てまわり、観察したものはフィールドノートに走り書きしていく。それを夜になって宿で読み合わせするんだけれども。これまた、見るべきものがぜんぜん見えてないことが暴露される恐ろしい瞬間で…

そういう中で、Kさんのフィールドノート、そして発言の、まぁすばらしいこと。私たちはいろいろと生半可な知識などから補って無理やり見たり描いたり、しかもこれがもう、走り書きだから自分でもノートが意味不明だったりしてね。観察ってやっぱり、そうやって姑息にツクルものではなくて、なんていうのか、生の吸収力が必要だよね。

Kさんのものの見方というのは、計算や小技やそういうものとは無縁で、あまりにも素直なそして卓越した観察眼があって、見えるべきものがくまなく見えてしまうような、そんな感じ。美しいフィールドノート、非常に本質的な観察結果、そしてご本人はあくまで自然体。

とにかくいつどこででも、呼吸するようにいろいろな知識を吸収し、自分のものにしていくんだろう。すごい人がいるもんだと思った。「頭のいい人」といってもいろんなタイプがあるけど、まったく見たことないタイプだった。

そもそも、JGの授業は大学受験向きでないので、JGの成績もトップで、かつ現役で東大にも受かるってだけでもすごい話。Kさんはさらに、進振り時の点数が、理ニからの医学部進学に必要な85点くらい??も軽々超え、90点台を余裕で取っていて、それで科学史科学哲学科に進学したというのだから発想も並ではない。というか、別に進振りのために点集めしてたわけではもちろんなくて、ただ「呼吸するように」勉強してたらそうなっちゃったんだろう。

私はKさんにたまたま間近で会って、生物地学観察をいっしょに体験することができて、そりゃもちろん観察眼のすばらしさをまねることはできないけれど(^^;; ただ「見る」という行為が人間のすぐれた知性の発露であること、そしてそれ自体に大きな価値があることを学ぶことができたのだ。

今でもときどき「Kさんだったら??」と立ち止まってみることがある。だからってどうにかなるとは限らないんだけどね…

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