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ANANDA BHAVAN 人生の芯

ヨガを通じた哲学日記

命とは何か

2025年07月05日 | 日記
命とは何か

 NHKテレビの不定期番組「人体」がこの間終了しましたね。IPS細胞の山中教授とタモリが進行する番組でしたが最後は「命とは何か」でした。山中教授の説明では命とは原初の単一の細胞だったのだそうですが、その単一の細胞の中には(生物では無い)無数の物質が有ってそれらが相互に作用しあい、そして細胞の働きを助けているそうで、それらの無数の物質の働き無しでは細胞は命として存続出来ないとの事でした。そして命とは何かを追及していると、分かれば分かる程分からない事がどんどん増えていくのだそうです。しかしこの単細胞の中の微細を追及するやり方は細胞(命)の究極の姿を探求する科学者達が神の領域を探しているかのようで、このアプローチでは結論に到らないように思いました。

 私達は日頃、大宇宙と小宇宙と言う考えをしますね。宇宙全体の摂理を大宇宙(マクロコスモス)とし、一方で私達の体(人体)を小宇宙(ミクロコスモス)として人体の中には宇宙の摂理が全て入っていると言う考えです。ここに山中教授の微細な単一細胞の世界を持ち込みますと、宇宙全体の摂理(大宇宙、マクロコスモス)の下に人体(小宇宙、ミクロコスモス)が有り、そして人体(小宇宙、ミクロコスモス)の下に単一細胞(極小宇宙)が有る、つまり大宇宙→小宇宙→極小宇宙と進む、まるでマトリョーシカのような世界が展開します。すると極小宇宙の次には何が有るのだろうか。

 物理学では世界を構成する極小の物質を追及した結果、それは物質では無く「振動」だったそうですね。

 そうすると、さて、物質とは何か?命とは何か?

 昔、仏教教典を数多く翻訳した中村元さんが「自己の探求」と言う本を出していたので読んでみました。中村元さんの事ですから宗教哲学的なアプローチをするのだろうと思って読みましたらなんと「生命の起源」へとお話が進んでしまい、がっかりしたものです。お話は自我→自己→息→生気論→機械論、そして生命の起源へと続いていました。中村元さんにして、なかなか難しい問題だったようです。

 「命とは何か?(自己の探求)」には生物学的探求、物理学的探求、そして宗教哲学的探求が有りますね。そして私は宗教哲学的探求です。

 「命とは何か?」、私が思いますのに、それは「経験」と「記憶」です。道端の石ころに命は有りませんが、経験はします。陽に当たったり雨に当たったり、しかしそれを記憶しません。一方で命は経験を記憶します。アメーバも植物も人間も経験を記憶し、その記憶によって良い道(方法?)を探し、そしてより快適な存続へと向かいます。

 ヨガでは経験はカルマ、記憶はサムスカーラ、そして自我意識のアハンカーラが揃えばそこはヨガの世界ですね。

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引っ越し先のブログ

2025年06月28日 | 日記
引っ越し先のブログ

 先日、このブログのAmebaブログへの引っ越しのお知らせをしましたが、ご案内しました引っ越し先Amebaブログの表示画面が間違っていたようです。正しくは下記URLのようです。
https://ameblo.jp/anandabhavan/
絵面が悪いようですが写真を使わないのでご容赦下さい。

 なお、この画面では貼り付けたURLがアクティブにならないのでコメント欄に貼り付けておきます。

 これからもよろしくお願いします。
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図説 ハタ・ヨーガ・プラディーピカー

2025年06月21日 | 日記
図説 ハタ・ヨーガ・プラディーピカー

 アマゾンで予約しておいた新刊書が届きました。株式会社めるくまーる発売、伊藤武著の「図説 ハタ・ヨーガ・プラディーピカー」です。556ページもある煉瓦のような厚さの本で、値段は何と8800円。

 ハタ・ヨーガ・プラディーピカーは佐保田鶴治さんの「ヨーガ根本教典」にヨーガ・スートラと共に掲載解説してありましたが、ヨーガ・スートラには大変に感銘し大きな影響を受けましたものの、ハタ・ヨーガ・プラディピカーには思想的な記述も無く、ただただハタ・ヨーガの技法の展覧会のような内容で、しかも1つひとつのハタ・ヨーガの技法は簡潔に表現してあるので理解が難しく、これを読んでヨガの練習をするのは危険、やはりグル(先生)の直接の指導を受けるに越した事は無いと、1度読んだだけで放置していたものです。

 伊藤武さんはこの経典をどのように解説するのだろうかとの興味で読んでみました。先ずは本編に入る前のハタ・ヨーガの成り立ちについての1.ハタ・ヨーガの始まりと2.ハタ・ヨーガの広まりが面白い。マッツェンドラがシヴァ神から学び、それを受け継いだゴーラクシャがハタ・ヨーガとして完成させ、その技法を後(のち)にスワートマーラーマが編集して書き上げたのがハタ・ヨーガ・プラディーピカー、これが定説のようですが、実はこれよりも前にハタ・ヨーガという記述が有ったと言うのです。

 2015~2020年にかけて英国の東洋アフリカ研究学院がインド・欧米のインド学者を結集して実施したハタ・ヨーガ・プロジェクトによる綿蜜な研究の結果、「ハタ・ヨーガ」という表現はタントラ仏教に始まっていたのだそうです。「ハタ・ヨーガ」はタントラ仏教によって始まったのだが、インドへのイスラムの侵入によって(思想としてで無く、社会的組織としての)仏教が崩壊したあとにナータ派のヨガ行者達がこれを受け継いでハタ・ヨーガを完成させたと言う事でした。ヨーガ・スートラの古典ヨガが西暦5世紀、日本では古墳、飛鳥時代。そしてハタ・ヨーガの成立が12~16世紀、日本では鎌倉~室町、戦国時代と言う事になりますね。

 ここでひとつ押さえておく必要が有ります。それはハタ・ヨーガには2つの側面が有ると言う事、ひとつはヨーガ・スートラ(古典ヨガ)のヨガの8段階を行うハタ・ヨーガ、そしてもう1つはタントラとしてのハタ・ヨーガ、この、全く異なる2つのアプローチがハタ・ヨーガには有る事です。心の働きの支滅を追及する古典ヨガとイマジネーションの羽の働きを生かすタントラ・ヨガ、この2つのアプローチがそれぞれにサマーディ(解脱)を目指します。それを踏まえたうえで。

 「図説 ハタ・ヨーガ・プラディーピカー」はハタ・ヨーガの成り立ちの記述に続いて本編の解説に入ります。佐保田鶴治さんの解説では2、3行で書かれていた1つひとつの誦(じゅ)、これを伊藤武さんは数ページを掛けて説明しています。第一章アーサナの規則、第二章プラーナーヤーマ(クンバカ)の規則、第三章ムドラーの規則。これはひと通り読んでおけば良いと思います。解説は大変に詳しいのですが、これを元にヨガの練習をするのはお勧め出来ない。と言うより大変に危険です。まあ、知識として知っておけば良いでしょう。

 次に第四章三昧の特徴、ここは丁寧に読み返すのが良いです。ヨーガ・スートラとは異なるタントラのアプローチ、ここで書かれているラージャ・ヨーガとはヨーガ・スートラ(古典ヨガ)のヨガの8段階の事では無く、8段階の最後に当たるサマーディ(解脱)の事だそうです。

 以上、「図説 ハタ・ヨーガ・プラディーピカー」大変な力作でした。この本にはヨガの専門用語がどんどん出て来ますので、ある程度の予習は必要なようです。そして私は本編前の1.ハタ・ヨーガの始まりと2.ハタ・ヨーガの広まり、そして第四章三昧の特徴を面白いと思いました。

 私の経験

 私は30才から42才まではヨーガ・スートラのヨガの8段階を旨にハタ・ヨーガの練習をしました。そして68才から75才まではタントラとしてのハタ・ヨーガの練習をしました。タントラはイマジネーションの羽を羽ばたかせますので大変に面白く、また練習が終わったあとには脳内に快楽物質が分泌されたかのような多幸感が数時間続きましたが、この練習ではサマーディ(解脱)には至りませんでした。私にはタントラとしてのハタ・ヨーガよりもヨーガ・スートラ(古典ヨガ)のヨガの8段階としてのハタ・ヨーガが向いていたようです。そしてアーサナにしてもプラーナーヤーマ(クンバカ)にしてもムドラーにしてもグル(先生)の直接の指導による初歩的なもので充分です。


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このブログ、引っ越しました

2025年06月14日 | 日記
このブログ、引っ越しました

 goo ブログのサービスが今年の11月で終了すると言うのでAmeba ブログへ引っ越しました。
https://ameblo.jp/anandabhavan/entry-12909581213.html
 goo ブログのサービスが終了するまでしばらくの間はこのブログとAmeba ブログの両方に同じ記事を掲載するつもりです。

 これからもよろしくお願いします。

 この画面ではURLがアクティブにならないので、コメント欄に貼り付けておきます。
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言語化

2025年05月31日 | 日記
言語化

 床屋さんへ行きますと何でも無い会話をします。「新しく出来たあそこの歯医者さん」「齊藤さんですね、お母さんと息子さんでやっている」「そうそう、でもお母さんは今は古い患者さんだけ診ているのよ」「そんな感じですね」「お母さんはね、近所の陽だまりカフェでお手伝いしてるのよ。お店の前のテーブルに子供達が集まって来てハンコを。ハンコを集めるとコーヒーが1杯無料に。あれ、なんて言ったっけ・・・」「スタンプラリーですかね」「そうそう」。   

 こんな会話を続けるのですが、床屋のおばさんはなかなか言葉が出て来ません。リタイアしている私と違って散髪しながらお客さんと私よりずっとおしゃべりしている筈なのに、またおばさんは私と同い歳なのにどうした事でしょうか。

 確かに年を取りますと言葉が出にくくはなりますね。私など言葉が出るのに1秒くらい掛かります。しかしおばさんは言葉が出て来ないのです。ちょっと怖いですね。

 Facebook を見ていますと、お友達の投稿だけだとすぐに終わってしまうからでしょうか、Facebook は色々な写真や絵を次々と出してくれて私を飽きさせません。色々な国内外の観光地の写真は興味をそそりますね。

 Facebook はクイズも出してくれます。左と右に同じような絵が有って、左と右で3つの間違いを探せと言うものですが、これがなかなか難しい。私は3つのうち2つ分かれば自分にOKを出すのですが、たまには3つ共分かりまして、この時には達成感が有りますね。

 私がこのクイズをやっていますと妻がPC画面を覗き込みます。「分かる?」と聞きますと妻はしばらく画面を見て「あ、これ」そして「それとここ」。2人で同じ画面を見ていますから「これ」や「ここ」でも分かるのですが、私は出来るだけそれを言葉にするようにしています。例えば男の子と女の子がお絵かきをしている画面では、「右上の猫のしっぽ、左は上を向いているけど右は下を向いている」「画面左下のブルーのクレヨンが右は短い」と、こんな具合です。言語化の訓練ですかね。また名前がはっきりと分からない時にはBing やGoogle に聞いてみます。「茶道でお茶を混ぜる道具を何と言う?」「茶筅」、「茶道でお茶をすくうスプーンを何と言う?「茶匙」と、こんな具合で忘れていた語彙を戻します。

 自分が書いた文を自分が読んだ時に気持ちよく意味が分かるか?これにいつも気を付けていますが、目で見たものを言語化する、言語化には日頃の訓練が必要ですね。

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