自分史 物怖じしない国際人を育てるヒント集

近現代史に触れつつ自分の生涯を追体験的に語ることによって環境、体験、教育がいかに一個人の自己形成に影響したか跡付ける。

趣味/渓流魚追っかけ

2021-02-01 | 生活史

1970年頃いくつか趣味をもった。みな山歩きを発端とする。
八幡平トレッキングで川に入り水中で岩陰の大イワナと一瞬目を合わせて以来渓流魚に魅了されてしばらく渓流の天然アマゴを追っかけた。

    出典   WEB図鑑 投稿  hitomi
アマゴは西日本の太平洋側に棲息する美しい渓流魚である。日本海側と東日本に棲息するヤマメは同じサケ科であるが朱点がない。新婚旅行で訪れた北海道の民宿先に改めてヤマメ釣りに行ったが数尾しか釣れなかった。
盆休みにしか釣行の時間がないので、水温が上がる夏は北海道と云えども、渓流魚はほとんど食いが無い。筑後川上流の小国川(大分県)でも四万十川支流でも同様だった。
釣れないのに行く。それは渓流釣りの魅力もさることながら、渓谷の清々しさ、澄み切った清流の水面に映える木々の緑、耳朶にやさしいせせらぎと風の音のハーモニーが人の、少なくともわたしの、生理に合っているからだと思う。
釣り下手なのに行く。単独、日帰りで行った奥吉野は2度とも空振りだった。大浜、溝尾と行った天川村・神童子谷はエメラルドグリーンの美しい淵「釜滝」が有名で沢登りの名所であるが、大浜は大峰山登頂が目的で、私はアマゴが狙いで、いっしょに渓流を遡行した。5月の連休だったので釣れるかと思ったがさっぱりで上流の細い流れでようやく一尾釣り上げた。はじめての30センチ弱の大物だった。自慢できる尺越えに5ミリ足らなかったのが今もって残念でならない。その後は多忙で釣りに行く時間がなくなった。

   神童子谷  アマゴ
その晩深夜になっても大浜が戻って来なかった。軽装で懐中電灯なしでは遭難するかもと心配して、夜が明けたら救助の手配をどうするか、あれこれ溝尾と二人で思案した。日付が変わった頃彼はいつものようにニコニコ顔で還って来た。大浜を回想するときそれ以外の表情が思い浮かばないのだ。下山中に日が暮れて手と足で足下を探りながら谷を下って来たそうだ。

サッカー指導の話をからませるとつぎのようになる・・・。
わたしは部員の身体をできるだけ大きくするのも監督の務めだと考えていた。食べ物によって体が大きくなる例としてヤマメとアマゴを引き合いに出した。
孵化後渓流から海に下ったヤマメ、アマゴはそれぞれ最大70cmのサクラマス、50cmのサツキマスとなる。海の方が餌が豊富なだけ巨大化する。
人に敷衍して言えば、体の大小を決めるのは遺伝ではない。食事の質と量である。もっと突っ込んで言えば、国民の食習慣あるいは家庭の食習慣で決まる。近頃の若者の長身を見れば納得できるのではなかろうか。
これは自説にすぎないが海に下るのは餌取りに後れをとった「負け組」である。生物棲み分け理論[私流にいえばニッチ理論]を唱道した今西錦司博士、大浜が尊敬してやまなかった登山=探検家の今西先生なら、なんと言われたか興味が尽きない。
部員にこの話をして、だから毎日牛乳をたくさん飲め、としばしば勧めた。またこうも言った。牛乳はそれだけで仔牛が育つ完全食である。玄米はビタミン、ミネラルに富む完全食品であるが白米は米を白くした粕である。食材は消化できるなら丸々食べよ、丈夫な体を作るには骨皮筋衛門(ほねかわすじえもん)が良い。



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