自分史 物怖じしない国際人を育てるヒント集

近現代史に触れつつ自分の生涯を追体験的に語ることによって環境、体験、教育がいかに一個人の自己形成に影響したか跡付ける。

子育て/自己評価67点でからくも合格

2021-01-01 | 生活史

1973年マンションに引っ越して3日後に長男が生まれた。妻は教員、私は自営塾の「先生」・・・こういう家庭環境では公立の保育所、幼稚園に入れてもらえなかった。結局そのご生まれた長女、次男をふくめて3人の子育てを昼間はわたしがやるほかなかった。そのころはまだサッカーの仕事はそれほど詰まっていなかった。
育児と云っても、大変なのは妻であってわたしではなかった。妻は土曜日は午後、日曜日は全日休みになるほか、ウイークデイも育児のない教員より早く定時に引けていた。私は入れ替わりにサッカーの指導に出た。少年サッカーは土、日と休日つまり学校が休みになるときが忙しい。

妻は5時に引けたとしてスーパーに寄って買い物をして帰宅し、家事一切と育児をする。幼子の育児は夜のそれが一番きついことは容易に想像できると思う。夜中に2,3度哺乳しなければならない。わたしはそんな苦労を免れていた。
妻が8時前に家を出たあとが私の育児当番である。哺乳、げっぷ出し、おしめ替えなどふつうに必要なことは何でもやった。離乳食の世話、日光浴と遊びを兼ねた乳母車散策、公園巡り、絵本読み聞かせもした。220戸超のマンションだったので育児中のお母さんたちと砂場で触れ合うこともあったが一度も不快な思いをしたことがない。
一番気を使ったのは子供だけになる4時過ぎから6時前の時間帯である。私はグラウンドに出かける。妻が帰宅するのは早くても5時半であろう。私はその間子供を寝させた。妻に最近育児で一番つらかった思い出を訊いてみた。やはり親が不在になる空白時間帯の子供の安全だった、という。校長も心配して早く帰れと言ってくれたそうだ。
隔年で子どもが殖え1歳、3歳、5歳の3人が枕を並べて寝る年もあった。制度が変わって3人とも5歳から幼稚園に通った。妻が送り私が迎えに行った。こどもが成長するにしたがって私の育児時間は短くなった。指導の現場に連れていくこともあった。
このころになると子供たちは寝たふりをしたあと起きて遊ぶこともあったと振り返っている。それでも無事に過ごせたことに私は満足している。同時に自分に人を支配する悪才があることを反省している。人は服従するものだ。服従させる人の通称は権力者である。わたしは家庭内の小権力者だった。
最近のことだがネットで以下の記事を見た。ソースをメモしなかったのでクレジットがない。筆者のご寛恕を乞う。<全くポリコレでは無いけど、イヤイヤ期の子供を「効率的」に育児するには、放置と強権発動とナマハゲの3つが必須なんですよね。向き合って大人扱いしたら大人が倒れる。>
共働き子育て女性の苦労が煮詰まっている重い言葉である。私は「効率的」に育児をした。上述のとおり放置した。寝ることを押し付けた。脅した自覚はないが長男にはその気おくれにいらいらして暴力をふるった。忘れて思い出せないだけかもしれないが、泣かれたりイヤイヤされたりして困ったことは記憶にない。なぜ子供たちが昼間従順だったのか分からない。多分わたしのコントロールする悪才がそうさせたのであろう。

幼い自分はどうであったか父母からあまり聞いていない。父母は農作業で多忙だった。母は弁当をもって父より遅れて家を出ていた。途中でイヤイヤして泣いて置き去りにされた記憶がある。その記憶だけは鮮明だ。道端に大木フィゲイラの切り株があった。イヤイヤは通じないと思い知らされたと思う。母に連れられて農園に行くのが当たり前だった。
一人っ子だから家でも一人遊びをするほかなかった。今でいう核家族である。両隣の農場に友達がいたが幼児が一人で行ける距離ではなかった。犬が身近な友達だった。
赤ん坊のころは畑で木陰に寝かされていた。近くで蛇がとぐろを巻いていたことがあった、という話を母はよくしていた。
私はたびたび子守をされている。乳児のとき近くに住む母の妹(叔母)が裁縫見習いを兼ねて来ていた。幼児の時は遠くに住む父方の従兄姉が泊りがけで来ていた。何も記憶が無いが写真で分かる。

 コーヒー園にて  1940年頃

親として、育児にイヤイヤ期や小1の壁があることも意識したことはないが、親離れしようと羽ばたきを始める小4の自立期にはしっかり対応できた。小4まで自分のクラブでサッカーをさせていた長男と長女が面白くないからやめたいと意思表示をした。強制された習い事から解放されて二人は自分の道を歩み始めた。次男はサッカーを続けて6年の時全国大会に出場した。
子育てには受験のサポートも入るが、我が家では親の考えで3人とも塾に行っていない。通いたいという声もなかったが、出世街道を好んでない両親の気持ちを忖度していたのかもしれない。孫たちが塾通いをしていることから判断するとそうだと思う。3人とも市内の公立高校に進学した。
結果論だが3人が職住近接で身近に住んでいる幸せを今ほどありがたく思ったことはない。身内共助でコロナ禍をのりきる自信と安心を得ている。

 あまびえ 孫(4歳)の描画

 



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