自分史 物怖じしない国際人を育てるヒント集

近現代史に触れつつ自分の生涯を追体験的に語ることによって環境、体験、教育がいかに一個人の自己形成に影響したか跡付ける。

狭山女子高生殺人事件

2016-10-07 | 体験>知識

1963年は、私にとって忘れがたいだけでなく大学を卒業してからもずっと関心をもって追い続けた大事件が三つ発生した。三事件に対して私はほぼ傍観者だったが、いづれの事件についても連日ニュースを報道するTVや新聞を穴が開くほど熟視熟読した。

4回生になって自活の道をどう選ぶか考え始めたとき最初のそれが起こった。

1963・5・1 狭山女子高生殺人事件_第一の事件
高校1年の女子高校生が16歳の誕生日の日に学校から暗くなっても帰宅せず、まもなく自宅に身代金要求の脅迫状と愛用の自転車が届けられた。狭山警察と埼玉県警が犯人指定の場所に張り込んだが犯人を取り逃がしてしまった。三日後女子高校生の遺体が農道に無惨な姿で埋められた状態で発見された。
ここまでは、3月31日に東京で起きた吉展ちゃん誘拐殺人事件に類似している。吉展ちゃん事件は、日本ではじめて報道協定が結ばれ、犯人取り逃がし後は、大々的な公開捜査となり、録音された犯人の声がTV,ラジオで繰り返し放送されて全国的関心事となった異例の事件だった。
2度の大失態で警察の権威は地に墜ち柏村警察庁長官が辞任した。国会においても追及必死となった。後日、池田首相も答弁し、夫人が被害者宅を慰霊訪問することになる。
5.4 善枝さんの農道に埋められた死体が発見された。
5.6 発見現場近くに家を新築したばかりの作業員31歳が挙式前日に農薬を飲んで古井戸に飛び込んで自殺した。
金繰りとアリバイと血液型に容疑があった。
報告を受けて篠田国家公安委員長が緊急記者会見で「こんな悪質な犯人は何としても生きたままフンづかまえてやらねば・・・」と発言した。このとき吉展ちゃん事件もまだ公開捜査継続中だった。
県警はマスコミと政局レベルからのプレッシャーで焦った。篠田委員長は参議院本会議がある8日までに犯人を挙げろと督促した。
県警は近くの被差別通称菅原4丁目(正式名称入間川)世帯数59に見込みをつけて捜査を集中し120人の筆跡を集めたことが狭山裁判で明らかになっている。もっとも疑われた養豚場関係者の筆跡とアリバイ調査も27名にのぼった。
5.11 もう一つ離れた被差別の農業男性31歳が、薬研坂の森で用を足していた時不審者3人を見た、と通報し、逆に2日間絞られて憔悴して帰宅、「警察は怖い所だ」と家族に語り寝込んだ。翌日午後8時ごろ心臓を一突きして自殺。狭山裁判で弁護人が警察を追及したが「記憶にない」とかわされた。
5.23 県警が不良じみた作業員石川一雄青年24歳を別件逮捕した。

それから53年、石川さんは死刑判決、無期懲役を経て、服役後現在仮釈放中である。公民権はない。解放同盟を中心とする再審要求で現在も係争中である。
有名無名の多くのインテリが書籍で無罪論を展開し、いくつかは映画化されTVでも映像化された。今なお書籍、ネットで真犯人追究が絶えない。
わたしも数年後無罪追究にほんの少し関係する中で生涯の伴侶を得たが、そうした体験については時系列に合わせて時期が来たら記事にしたい。
再審請求中の中山主任弁護人は、私の中学時代3年間の級友の弟である。
ここでは書きたい気持ちを抑えて、代わりに、ルポライター伊吹隼人氏が長年取材してまとめた狭山事件についての最新記事を紹介しよう。記事そのものではなく記事掲載雑誌。読後、謎解きにハマっても、恨まないでほしい・・・。
別冊宝島「昭和史開封!」 2016年1月発行 別冊につき現在発売中 436円+
二大記事 20頁 戦後最大の宰相「田中角栄」の肖像 
     12頁 狭山事件:「差別」と昭和最大のミステリー 

 



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