国レベルの被災後のメンタルケアは、マスメディアと個人メディアの相互効果を期待するのだが・・・・海外からの賞賛を報道する日本のマスメディアは、この危機に対応できるのか? . . . 本文を読む
ICカード、JapanShopの帰りにライティング・フェアによったら、LEDの壁映像のインスタレーションに、感嘆!繰り返し確かめられるモノがもう一度見えてきた一方で、変化を楽しみきる光の像が、印象的な展示だった。 . . . 本文を読む
政治から文学へ、人格もイデオロギーも、人やコトバが分裂・流動化してきた時代には頼れない。身近な手がかりを集め、イメージから、コトバを紡ぎ出したように窺える、芥川賞受賞作朝吹真理子さんの「こときわ」を、読みたくなった。 . . . 本文を読む
カメラを高性能化しても、現実のリアルコピーが手にいるわけではない。
撮って貯めても、過去を観る時間は、今の時間からつくるしかない。
高性能化したいのは、リアルに分け入るためなのだ。 . . . 本文を読む
twitterは、ネットワーク時代の交話。意識以前の手がかりは、写像で流通。
Facebookは、近代自我の影。
意思をとらえきれない私たちを表現できるのはもう、
ソーシャルセンサーなのかもしれない。 . . . 本文を読む
言葉が解けだし、写真や映像が、モノの写しでなく、情感により扁形した音声のようになってきた。
パーソナル・コンピューターの写真・映像・イラスト・音声を編集・合成するソフトウェア、PC・PDAからケータイ・ソフトフォンと小さく・身にから話さなく・ネットワークに繫ぎっぱなしにするほどに、刺激は言葉へと変換されない。
そして、大画面の液晶TVが、ネットに繋がり、スマートTVとなって、さらにその視野を被い、変形された刺激の総量をふやす。
書籍電子化、デジタルサイネージ、言葉もモノから電子へと居場所を拡げてしまったとき、名前も登録名とパスワードの組み合わせ。
相変わらずは、墓石の戒名か? . . . 本文を読む
著作の出口から語れば、近代では、大衆から公衆への意識が、資源や市場を求める欲動のなかで、自己都合で他者の否定から環境の破壊まで進めてきた。
では、マスメディアとネットワークメディアの二重のメディアの中にいて、孤立した群衆は、一瞬一瞬の意識を、どう繋げてゆけばいいのか?
ネットワークに載る刺激は、もうバラバラな言語や音声ではなく、写像・映像・音像のりミックス。
メタ刺激を再入力し続けることで、群衆 . . . 本文を読む
「消費することが生活」のような言われ方をして久しい。
しかし、「生活が消費で、仕事が収入」だと「がむしゃら」だった時は、一段落したのでは?
嬉しいことは、費用を消す消費ではなく、労働力を再生産するリ・クリエーション(re-creation:再生)でもない。
自分・自分・自分
自分を喜ばすということから始めると、
面白がったり、ハマったり、オタクぶったり、フェチなポーズをしてみたり。
それは、すべて語り・伝える他の人を意識したこどば。
受けたり・滑ったり
それは、相手を中心にした言葉なんだと、気づいてしまう。
結局、身近な相手が喜んでくれること、返事してくれることが大切だと
やっぱり、身の届く相手、身の置ける地域が一番じゃない?
ローカル・ポイントってどうだろう?
人と処を手がかりに、
多様な人、多層なことを重ね合っている現代なのだから。 . . . 本文を読む
言葉でつぶやいたり、文字を書いたりするのは、結局自身のコトバを手がかりに反応している状態。
カメラを操作して、写し込もうと歩き・撮影し・編集しているときは、写像・映像を手がかりに反応している。手書きメモは、コトバと図の境界があいまいで、崩れながらも、勢いやためらいまで痕跡に残る。
朝目が覚めて、寝ている間に昨日の一次記憶が一掃され、一部は長期記憶へ、他は忘却へと清められた刻。
そんなとき、「そう . . . 本文を読む
5月10日、XSHIBUYAのMLに誘われて、
ジパングアーティスト協会の初回イベント
「・・・ソーシャル /スマートフォンアプリセミナー」で、Live2D を知った。
世の中3Dを、大騒ぎしているのだけど、
あの「実物に近ければリアル→立体に近ければリアル→高精細ならリアル→→・・・」というリアルになじめなかった。
写真の画像処理からの描画や、ポリゴンなどの立体モデルからの3Dは、精細にはなって . . . 本文を読む
5月6日19時半からのNHK総合TVで、「日本のこれから草食系で何が悪い・・・草食系つぶやきで参入の始まりを観た。」
’草食系’というテーマについて、司会の進行による発話意見とケータイからのテキストを画面にながすTV番組だった。
面白かったのは、発話による主張は場を仕切りたがり、つぶやきは水を差したがること。
ちょうど山本七平の「空気」と「水」の有り様のようだった。
しかし、司会が'肉食系’のコ . . . 本文を読む
『マスメディアの「構造」と「空気」-問いかけと問い直しのメディア論』柴山佐利 著 宣伝会議 出版 を読んだ。
筆者は、
社会はコミュニケーションにより成り立っているとするニコラス・ルーマンの社会システム論に立ち、’情報社会’にはびこる’インフォメーションモデル’の機能的視点を脇きに置き、メディアをかたる。
そして、近代的自我を、ラカンに沿って'根源的欠如’、’幻想と忘却’に解体し、高密度空 . . . 本文を読む