モノと心の独り言

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カメラを高性能化しても、現実のリアルコピーが手にいるわけではない

2010-12-25 09:32:55 | コミュニケーション-メディア
カメラを高性能化したいと想うのは、よりリアルに対象を撮りたい、所有したいという気持ちがあるのだろうか?

一時・一時が、かけがえのない刻として過ぎ去ってゆくことこそ、’もののあわれ、アッパレ’だというのに、カメラを構えてしまう。それが、写真から映像になると、一連の連続した時間に整理して納めるのは難しい。その一瞬の再現は演出となり、演出は’新たなリアル’をつくりつづける。

そもそも、フレーミングしてフォーカスを合わせること自体が、意図であり、
見るということ自体が、意思を反映した行為でもある。感覚が捉えたモノを意識化する、内的なコトバにすることじたいが、身体の写真撮り・身体のビデオ撮影でもあるのだろう。

高画質・彩度になるほどに、現実よりも鮮やかに観てしまうのは、増感され、差異を大きくされているからで、本能として異変に対して優先する生命の性なのでしょう。

高性能化を、より演出を高める側でなく、より現実を密接に楽しむものに使ってみたい。

昨年11月に使い始めたAVCHDビデオカメラを、バージョンアップしたいと思い始めている。

カメラを高性能化して、自身のセンサーを高性能化して、現実のリアルにより分け入りたいのだ。作品をつくるためではない。

*写真や映像では、こんなことをやってきた。
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