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メンタルケアと人の繋がり、個人メディア、マスメディアの役割

2011-03-16 10:43:56 | コミュニケーション-メディア
原発のトラブルは、東日本だけでなく、日本社会活動全般に関わることだけに、他人事でいられる人はいなくなった。しかし、リスクとして客観視しなで直感的に対応すると、日常の生活・活動・仕事への集中力が続かず、日本社会への更に深刻な障害になるだろう。

自身のブログを読み返すだけでも、精神的な振幅と、費やしている時間の増加が分かる。これを、さらに「メンタルケア」として、機能的に対処するのか、人と人との繋がりの根を拡げて、多様な人との関わりの中で安定させるのか?個人的には、ネットで限られていても、複数の人繋がり続けていることで、安心と励ましをもらえます。

なぜ、マス・メディアが、批判的な報道を続け、合理的に分担して現地取材・連絡の仲介をしないのか、不思議です。
結局、いまだに、特ダネ・スキャンダルをねらって、視聴率を稼ごうと、資源と人材を無駄にしているのでは?
同じような番組を垂れ流し、不安を煽り、視聴者の生活や仕事や、支援自体への活動を阻害しているという側面もないのでしょうか?
不安をぬぐうというなら、繋がり続けているという安心感を、学生や医師たちの声として届け続けた、あのパキスタン自身でのラジオ放送のように、なれないのか。大規模・広範囲だからこそ、マスメディアのネットワーク力が、放送から相互連絡のパイプとなるのでは。放送の取材が唯一の現地情報・報告・現地からの依頼として、見えてしまう場面を多々みていると、マス・メディア相互の連携は、できないのかと考えてしまうのです。

海外からみる日本人の冷静さこの極東・太平洋の縁の、細長く狭く険しい、災害列島で、培われた精神文化でしょう。
これが、厭世観へとつながるのか、無常心として、さらなる変化に立ち向かおうとするのか、丁度分かれ目だと想えます。

国レベルのメンタルケアにおいて、マスメディアの役割は大きいでしょう。
NHK教育TVは、戦後ラジオの「尋ね人の時間」を想い出してしまうのです。

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