通勤電車で「人生晴れたり曇ったり」

“通勤電車”は、人生という線路を迷走中。
自分の選んだ道だから“晴れても曇っても”自分の足跡をブログに残していきたい。

五月尽

2007年05月31日 | 脳梗塞 介護日誌
病院の帰り、朧月が雲間に見えていた。
”朧月”は、春の季語。今日であれば”五月尽”がBESTかな。

父は、”誤嚥”により肺炎を引き起こし、咳が止まらず、熱も高い。
気になるので、夜遅い時間だが、様子を見に行った。

朦朧としているのか”ナースコール”ボタンを、何度も押してしまう。
夜勤の看護師さんは煩わしいのか、ナースコールの線を外してしまった。
父がボタンを押しても、看護師さんは来てくれない。

「看護師さんを呼んで、何を頼みたいの」と聞くと、「咳が出なくなった」と、伝えたいそうだ。
咳は続いているのに、先ほど看護師さんから「咳は出ますか」と聞かれたそうで、それに答えるために、ナースコールを押し続けていた。「看護師さんに”咳が出なくなった”と伝える」と話したら、安心したようだった。

患者にとって、「”看護師”は、絶対だな」と思った。

5月も今日で終わり、父の入院も半年を迎えようとしている。
早く退院出来るよう祈ります。


「病院と会社の行き来で、五月尽」   お粗末!!

追悼 坂井泉水さん

2007年05月30日 | 気になるニュース
病院の帰り、もう少しで満月の待宵月が、空に鎮座している。

そっと背中を押してくれるようなさわやかな歌声とメロディーで幅広い年齢層から愛され、90年代の女性歌手で最も多くのシングル曲を売り上げた坂井泉水さん。
経歴を明かさず、テレビ出演を控えて限られた映像しか公開しないなど、独特の露出手法で話題を集めた。

28日の昼休み、ZARDの坂井泉水さんが亡くなった事が話題になった。
しかし、「ZARDって何」「知らない」との声が上がったので、アンケートをとることになった。
50代男性で、知らない人3名・知ってる人3名、半々だ。女性は、2人中2名とも知っている。

「知らないなんておかしい。」「娘さんは、ZARDを聞いてないの。」「知ってる人と知らない人を線引きしよう。」「俺は演歌しか聞かん。」

農林水産大臣の自殺をしのぐ話題になった。

ファンでした、勿論これからも。冥福をお祈りいたします。

私も「揺れる思い」 妹よ「負けないで」

2007年05月29日 | 日記
5月28日2つの訃報が駆け巡った。

一つは街頭で号外を読み、「そこまで追い込まれていたのか」とびっくりした。

もう一つは、会社の後輩から、”自分の青春の終わり”とまで言わせた”ZARD坂井泉水”さん。40歳での早すぎる死に、より大きな衝撃を受けた。

坂井さんは昨年子宮頸がんの摘出手術を受け、入退院を繰り返していたが、肺への転移が見つかったため4月に再入院。放射線治療と抗がん剤の投与を続け、最近では「早朝に病院の敷地内を散歩するのが日課になるほど、体調が回復していた」という。
事故死と自殺の両面で調べていた警察でも、スロープの高さが3メートルと低く、遺書もなく、衣類をベッドに放ったまま買い物に行くような服装で出掛けているなどの状況から、自殺ではなく、スロープの手すりに腰を乗せているうちにバランスを崩して後方に転落した可能性があるとみている。
 坂井さんは病床で思いついた詞をノートに書き留めるなど、創作意欲は衰えていなかった。昨年デビュー15周年を迎え、今秋には新アルバムの発売を予定。3年ぶりのツアーも準備されていた。

自殺でなく、不慮の事故との事。「ホッとする気持ち」と、「なんで防げなかったの」と不雑な思い。

妹も同じ”子宮頸がん”。手術が出来ず、放射線治療と抗がん剤での治療はきつかったみたい。弱音を吐かず頑張りました。今経過を観察しているところです。

妹に、ZARDの曲を贈ります。

負けないで
ほらそこに ゴールは近づいてる
どんなに離れてても
こころはそばにいるわ
感じてね見つめる瞳


負けないで
もうすこし 最後まで走りぬけて
どんなに離れてても
こころはそばにいるわ
追いかけてね はるかな夢よ


食わず嫌い 「パイレーツ・オブ・カリビアン」

2007年05月28日 | ただいま通勤中
飲み会を実施することになり、焼肉屋に決まった。

Sさん:「え、Kさんは、肉は食べないよ。焼肉屋でいいの」。それに対し、
Kさん:「会社では食べんかったが、牛肉は食べるよ」
私はそれを聞いて、びっくり、「まさか食わず嫌いだったの」

昨夜テレビで、「パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち」を見ました。

カリブ海の港町──美しい総督の娘は、子供の頃に少年から手に入れた黄金のメダルを大切に身につけていた。
ある日、町は冷酷な海賊たちに襲われる。精悍な若者に成長した少年は、勇敢に敵に立ち向かう。だが、奇怪なことに海賊たちは心臓を剣で貫かれても甦り、決して死ぬことはなかった。
海賊達の目当ては総督の娘の黄金のメダルにあった。海賊たちはメダルごと総督の娘をさらい、逃走する。
精悍な若者に成長した少年は、彼女を救うために一匹狼の海賊と手を組む。

「シリアスな海賊映画」なんて、面白くないだろうと思っていたら、コミカルな面もあり、物語に引き込まれました。
また、チャラチャラしているだけと思っていた、”ジョニー・デップ”が、好きになりました。

こりゃ「パイレーツ・オブ・カリビアンⅡ」も見たいものだ。

トンボの羽化 感動です

2007年05月27日 | 我が家のメダカ君
メダカの水槽から発見し、専用の水槽に移していたヤゴが脱走しました。

先週、水換えしているとメダカの水槽から、ヤゴが、ごそごそと2匹出てきました。羽の形もはっきりとし、早晩トンボになるのではと、専用の水槽に移したあのヤゴです。探せど、姿は見えず。

ただ、トンボの抜け殻を発見しました。小さな小さな抜け殻です。
初めて水槽からトンボが羽化したときを思い出しました。
当時は、水槽の中にヤゴが住んでいるなんて思いも拠らず、ただ羽化したトンボに見とれていました。

あれから数年、久しぶりにトンボの抜け殻を見つけた。探しているヤゴとは別なものです。
かわいいー、でもこの大きさで生きているのです。

自然て偉大だ。

背伸びして視野をひろげているうち、背が伸びてしまうこともありうる。それが人生の面白さである。
by 城山 三郎

物より心 母の日のプレゼント

2007年05月26日 | Weblog
いまさら、母の日の話題でもないと思いましたが、その日は”メダカのお父さん”の事を書きましたので、改めて、”母の日のプレゼント”のことを書きます。

母の日にはオーソドックに、カーネーションと、サボテンを贈りました。

カーネーションは、元気に咲いています。送った人より貰った人が、より手入れをしています。

サボテンは、小さなサボテンと共に、ガラスのイチゴ等のオブジェが飾られています。小さい割には高いものでした。水やりは月に1度で良いそうです。

両方とも、あまり感激されませんでした。
カーネーションより”感謝の言葉”が良かったでは?。でもなかなか言えません。

物より行動で感謝を表すことに、努力します。


悲観的な人は、風向きが変わると、不平を言う。
楽観的な人は、そのうち変わるだろうと、期待をする。
現実的な人は、帆の向きをちゃんと風に合わせる。
 By ウィリアム・アーサー・ワード

”ボケと突っ込み”介護日記 「大助・花子」にあやかりたい

2007年05月25日 | 脳梗塞 介護日誌
”宮川大助さん、花月の舞台に復帰 脳出血乗り越え”

 今年2月に脳出血で入院し、休養していた漫才師の宮川大助さんが、24日「宮川大助・花子」として舞台にそろって姿を見せ、舞台復帰を果たした。

「頭が大きいからCTの機械にここまでしか入らへんかった」。花子さんが大助さんの頭をつかむと客席は笑いに包まれた。実は、大助さんの体温や血圧が上がっていないか、確認するためのしぐさだった。

大助さんの入院から108日、“日本一の夫婦漫才師”が帰ってきた。

 大助さんが体の異変に気づいたのは2月5日午後7時半ごろ。「ブチッ」。頭の血管が切れる音が聞こえたという。
 左半身の感覚がなくなり、動かない。大阪市内の病院へ向かう途中、「お父さんは何不自由なく楽しい人生を過ごせた。何の悔いもない。ありがとう」と、花子さんと娘の紗弓さんに「遺言」を残した。

 「あと数時間、到着が遅かったら手遅れでした。いずれにしても今晩がヤマです」。医師からこう宣告された。 翌日、医師から一命を取り留めたと知らされた。しかし、もう漫才は無理だと思った。

 集中治療室でベッドの大助さんに語りかけた。「わかってるやろ。今から会社に伝える。私らの漫才、終わったな。今まで長い間、ありがとう」。すると、意外にはっきりした口調で返事があった。「とりあえず一人で頑張って」

約1カ月で退院できたが、まだ左半身と右の背中の一部に、しびれが残る。
「正直、もう駄目やと思った。復帰できるのは嫁はんや周りの人のおかげ。これからは恩返しの人生です」。
終演後の記者会見で、大助さんは「漫才と女房にほれ直しました」と笑顔を見せ、傍らの花子さんは涙をぬぐった。


1月から脳梗塞で入院中の父は、本格的なリハビリが始まってからまだ1ヶ月足らず、右手は完全に麻痺しているものの、話すことが少しずつ分かる様になってきた。
また、支えてあげれば、何とかベットから車椅子に移れるようになりつつある。でも、1人で立っていることはおろか、歩くために足を運ぶことさえ出来ない。
病院からは、「日常の生活が送れるように手助けをします」と云われているがまだ先の事。
来週当たり何時間かは、自宅に連れて帰ることを夢見ています。

ところで、父と二人の時に、よく頭を小突かれます。なぜか理由は分かりません。
自分が話すことが理解されないためか、体が不自由になった苛立ちをぶっつけているのかも知れません。

「宮川大助・花子」の舞台は続いて欲しいが、何でぶたれているのか分からずボケている私と、父の漫才が早く終わるように祈念しつつ、今日はお休みなさい。


宮川大助さん、花月の舞台に復帰 脳出血乗り越え(朝日新聞) - goo ニュース

川を流れている河童の独り言

2007年05月24日 | 日記
「河童の川流れ」と云うほど達人ではありませんので、ちょっとした失敗をしてしまいました。

久しぶりに、パソコンのハードディスクを整理しようと思い、「プログラムの追加と削除」で、不要なアプリケーションソフトを削除していました。

削除できなかったアプリケーションを手動で消したり、新旧二つのバージョンが在るのを古いほうを消したりしたら、、動かないアプリケーションが出てきました。
CDから再度インストールしたら、CDの一部が読めないエラーが発生し、どうしようもなくそのままにしています。

河童が川を流されても、助けてくれる人が在るわけも無く、今から何とかします。

ブログを書いている時間がなくなりました。

お休みなさいでなく、今から頑張ります・・・・・。


夏はきぬ

2007年05月23日 | 脳梗塞 介護日誌
最高気温が29度と、今日も25度を超える夏日となっている。
夏か春か微妙な季節です。

『卯の花の におうかきねに 時鳥早もき鳴きて しのび音もらす 夏はきぬ』

父の下着は、長袖のシャツ。ちょっと暑そう。
半そでシャツに替えなければ。


ちなみに、大学生は、"夏はきぬ"は、”夏は来ない”と思っているのが52%だそうです。国語力の低下してます、現代文は高校生以下だそうです。



青草の朝まだきなる日向かな

2007年05月22日 | 日記
まだすっかり夜の明けきらぬころ、窓を開けると、今日もいい天気だ。勢いよく生茂る夏草の上には、早くも朝日が日向をつくっている。

今年作った”家庭菜園”に水遣りをするために早起きするようになりました。小満も過ぎ、初夏から仲夏に移るこの時期は、水遣りを怠ると畑がカラカラになってしまうからです。
愛情を込めると野菜たちは、答えてくれます。”猫の額”に、2・3本しかない、苦瓜、南瓜、胡椒、糸瓜、ですが、それぞれに少しずつ元気が出てきました。
まだ手探りですが、何とか育てていきます。

今日の一句 『青草の朝まだきなる日向かな』 作 中村草田男

ヒーローも、リハビリ患者も、弱いんです。

2007年05月21日 | 脳梗塞 介護日誌
テレビ番組のヒーローが、弱さや短所を見せるキャラクターになってきた。

この記事が、”Sankei WEB”に掲載されていた。
 
『仮面ライダー電王』の主人公は「シリーズ史上最弱」のヒーローで、女性に助けてもらったり、気絶したりと、弱々しい。
ただ、他人の不幸に敏感に反応する優しさを持っている。

NHK教育テレビで放送しているアニメ番組『ぜんまいざむらい』の主人公も弱い部分を持っている。
「好きなお団子を食べ過ぎて太ってしまったときにダイエットに挑戦するなど現代にも通じる日常の身近な話題も盛り込んでいる。
親しみが持てるヒーロー像が今の時代にはマッチしているようだ。

子供向け番組のヒーローは、常に、世相と密接な関係がある。

昭和33年に始まったテレビ番組『月光仮面』は、「憎むな、殺すな、許しましょう」の博愛主義の精神を持っていた。

高度経済成長期は、“スポ根”漫画『巨人の星』の星飛雄馬のように真面目に努力する姿に、多くの視聴者が共感した。

現代は、「助け合いの精神が薄れてきてしまった時代だから、自分の弱さを見せ、他者の弱さに共感できるようなヒーローが人気を集めるのだろう」



父も、リハビリが辛いのか、ちょと弱音が出てきて、「自宅へ帰りたい」と言う様になった。

父親は、『永遠のヒーロー』であって欲しい。
弱さを見せず、『巨人の星』のように、リハビリを「真面目に努力して欲しい」ものだ。
父の活躍を祈念しつつ、お休みなさい。 

メダカ君の育ての親は、一所懸命です

2007年05月20日 | 我が家のメダカ君
夕日が鮮やかな朱色で地平線に隠れようするころ病院に行き、夕月と星が西の空に輝くころ、病院から帰りました。(昨日の表現と同じ?)

週末も結構忙しかったのです。

何とかしなければと思いつつも、そのままにいていた”メダカのお手入れ”もやっと出来ました。

◆気になっていた事
・屋外の発泡スチロールの水槽の1つの水が、ものすごく濁っている。
・先々週に、卵を着けたホテイアオイを入れた水槽に子供が生まれている。
・親水槽のホテイアオイに、卵が着いているのではないか

◆出来たこと
・濁っていた水槽の水替えが出来ました。
水槽から、メダカの敵ヤゴが、ごそごそと2匹出てきました。羽の形もはっきりとし、早晩トンボになるのではと、専用の水槽に移しました。生餌しか食べないヤゴは飼育が難しいので、小さいときに発見すれば近くの川に返しています。
・卵を着けたホテイアオイからは、子供メダカが30から40匹生まれている模様です。ホテイアオイを減らし”メダカの運動場”を作りました。喧嘩をせず、すくすくと育って欲しいと願っている”育ての親”です。
・親水槽のホテイアオイは、”孵卵器”用水槽に移し、1週間から2週間見守ります。


少しメダカ君のお世話が出来たので、うれしい”お父さん”でした。

お休みなさい。 

「博士の愛した公式」 ノーマークでしたが、感動しました

2007年05月19日 | 日記
西の空に、三日月と星がランデブー(表現が古い!)しているころ、病院へ行った。

その後テレビで「博士の愛した公式」を見た。

感動!!ちょっとだけ見てみようと、軽い気持ち見始めたが、ついつい引き込まれてしまった。数学もちょっぴり好きになりました。

交通事故による脳の損傷で記憶が80分しか持続しなくなってしまった元数学者の博士と、博士の家政婦と、その息子の心のふれあいを、美しい数式と共に描いた作品です。

時は流れないんですね。

一粒の砂に 一粒の世界を見
一輪の野の花に 一つの世界を見
手のひらに無限を乗せ
一時(ひととき)のうちに 永遠を感じる

By ウィリアム・ブレイク

歴史から紐解く ”高校野球の特待生”がなぜ禁止されているのか

2007年05月18日 | 野球
”YOMIURI ONLINE”と”産経新聞のiza”に高校野球の特待生の問題が掲載されていたので紹介します。こんな歴史的背景があったとは、知らなかった。

高校野球の特待生問題で、全国約1400の私立高校が加盟する日本私立中学高等学校連合会の全国理事会・評議員会が15日、都内で開かれ、「野球部員を対象とした特待生制度を認めるべき」との意見が大勢を占めた。

日本学生野球憲章13条が野球部員であることを理由に学費、生活費などを受け取ってはならないとしていることについて、「他のスポーツや学業優秀な生徒を対象とした特待生制度は社会で認められているもの。野球だけが認められないというのは時代に合わない」と話した。

野球のみ特待生が認めなれないのには歴史的背景があった。

チームの遠征は必ず1等車利用。宿泊は超高級旅館。ファンは人気選手を接待づけ。人気選手なら、親の生活費までチームの予算で賄われる。
これが、大正から昭和初期のアマチュア野球、特に大学野球だ。試合の入場料収入が膨大で、学校や関係者が潤う。利権が増殖した。
今日の感覚では想像を絶する、サッカーとプロ野球と格闘技を合わせた以上の人気を、アマ野球が誇っていたのである。事件や醜聞が多発し、由々しき社会問題となった。

この過熱状態を冷まさなくてはいけない。文部省は1932年に野球統制令を出した。アマ野球から、ダーティーと思われかねない部分を、徹底的に排除する通達である。学校が野球選手の学費や生活費の面倒を見ることも禁止された。とにかくそれは、非常時に対する時限立法的性格を持つものであった。

ところが、野球統制令の特待生禁止条項は、戦後の日本学生野球憲章に受け継がれ、固定化してしまった。
日本高等学校野球連盟は、この憲章をにわかに厳格に運用しようとし、波紋を広げている。
今、アマ野球の人気は昭和初年の何十分の一程度という事実から発想しなおすべきだ。野球界のために高野連がなすべきなのは、憲章の改正と特待生制度の充実化ではないのか。

人生の転機  無念!!

2007年05月17日 | 脳梗塞 介護日誌
突然人生の転機を迎えてしまいました。


上司から、あるプロジェクトに参加しないかと、打診がありました。
仕事の内容は、自分の経験が生かされる上に、今までの仕事の集大成といえるものです。
期間は2・3年で、宿舎も完備されていて至れり尽くせり、おまけに、月に2度は帰省出来るみたいです。

「これは美味しい。ぜひ参加したい」と思い、「明日までには返事します」と答えました。
    ・
    ・
    ・

冷静に考えると、脳梗塞でリハビリ中の父を抱え、退院後は自宅で介護しなければなりません。
不在の間家族だけに負担を掛ける事は出来ません。

良い話でしたが、断ります。

家族に相談していません。自分自身の結論です。
    ・
    ・

ブログに書けて良かった。踏ん切りがつきました。

明日から、頑張ろう・・・・・