通勤電車で「人生晴れたり曇ったり」

“通勤電車”は、人生という線路を迷走中。
自分の選んだ道だから“晴れても曇っても”自分の足跡をブログに残していきたい。

白秋と教科書

2009年06月30日 | 地域情報
こんばんは

だいぶ降りましたが、大雨にまだまだ注意が必要みたいです。

有名人の出身地では、それなりに苦労があるな、と思うような記事が、西日本新聞に掲載されていました・・・・。


詩人北原白秋(1885-1942)のふるさととして知られる福岡県柳川市が、若者を中心に“白秋離れ”が進んでいるのでは、と危機感を募らせている。
教科書が取り上げなくなったせいだとして、市教委は今年に入り、教科書業界と文部科学省に作品の採用を要請したが、反応は無し。
白秋への関心の衰えは市の主要産業である観光の行方に影響を与えかねないが、妙案はまだ見つかりそうにない。

白秋が生後直後から19歳まで過ごした柳川市沖端町の北原白秋生家・記念館。
年間入館者数は1992年の23万人をピークに、昨年は、ほぼ3分の1の7万7千人にまで減少。
柳川市が昨年、福岡市内で通行人約300人を対象に実施したアンケートでも、柳川のイメージは、多くが「川下り」や「うなぎ料理」を挙げ、「白秋」はわずか16%だった。

こうしたデータについて地元関係者は「白秋を知らない人が増えている。原因は、小中学校の国語や音楽の教科書から白秋の作品が消えたためだ」と分析。
これを受け、柳川市教委は3月、東京の教科書会社と社団法人教科書協会に白秋を取り上げるよう求める要請書を送付。6月に入り、文科省にも送った。
しかし、いずれも返事はまだなく、「白秋が生きた時代から離れるほど、柳川から強く発信しなければ」と今後も、何らかの対策を実施する構えだ。

ただ、実際に白秋が教科書から完全に消えてしまったわけではない。
過去の教科書と掲載量を比較することは難しいが、小中学校の国語と音楽の主要な教科書会社によると、現在も白秋の短歌や童謡の掲載はあるという。小学5年の国語の教科書に白秋の詩「海雀」を掲載する光村図書の担当者は「美しい日本語の響きを学ぶ上で白秋は外せない」と語る。


教科書については、展示会等で見ることが出来ます。



カラフルで、まるで絵本のようですが、教科書です。

親に似ない子 弁当失敗編

2009年06月29日 | ただいま通勤中
こんばんは

雨が降り続き、通勤が煩わしくなります。それでもサラリーマンは元気にお仕事へ

月曜日だし、雨が降ってるし、と思ったが、弁当の素材があったので、朝から弁当作りに取り組んだ。

これが今朝の弁当です。

向こう側が、ウインナーソーセージとカボチャコロッケです。残念なことに、2つとも市販のものです。
手前左側に、炒めたカボチャと、ピーマン。旬の野菜です。(カボチャが重複したが、ドンマイ)
右手前が、目玉焼きです。玉子焼きより簡単だろうと挑戦しましたが、見事失敗。黄身がのぞいています。



料理のスキルがないと、つくづく思いました。

父は料理は上手だった。村の青年団の寄り合いでは、料理当番だったそうです。
たしか豆腐料理は村一番だったとか。(ちょっとまゆつば物、それとも記憶が遠のいたのかも)

しかし、料理作りの本当の目的は、作る合間に腹いっぱい米の飯が食えるから、ともらしたことがあった。
農家の生まれだったが、兄弟が多く、白米が”のさらん”だったのだろう。


ともあれ会社に持っていった弁当を、会議室の隅でこっそり食べた、オジサンでした。

ご馳走さまでした!

半袖と雷

2009年06月28日 | 脳梗塞 介護日誌
こんばんは

雨の合間に、日が差すこともあった1日でした。


父の入所している施設に、下着等を持っていった。

半袖の服を着ていた。「へー、今年初めてではないか」と思っていると、父が、「寒い」といい始めた。

確かに外から来ると、エアコンが入っているのか、少し寒い。

係りの人に、長袖と着替えさせてくださいと、お話をした。

勿論快く取り替えていただいたが、父がお願いした場合はどうなるだろう。

言葉の不自由な父からの意思が通じるか少し不安。


それでも、家族で面倒を見れない以上、任せるしかない。

分かっているが、申し訳ない気持ちがある。

体の不自由な状態が今夜の雷と同じように一時期騒がして、通り過ぎてくればいいのに。



明日からも、父に会うのは楽しみなのです。

メロン

2009年06月27日 | 地域情報
こんばんは

雨が降ってきました。やっぱり梅雨です。
各地で中体連が始まっていて、屋外競技は苦労されていることでしょう。

メロンをいただきました。マスクメロンみたいな網目がありますが、ちょっと違うみたいな気がする。名前なんていうのだろう。

メロンを切った時に皮が厚いな、と思ったが、それが全部果肉だった。甘くって、水分豊富で、今が旬なのでしょうね。

熊本といえば、”七城のメロン”。ちょっと前に”七城メロンドーム”に行きました。

外観はこのようにメロン型です。


中はこうなっていました。まだメロンが販売されていない時期でした。


ここをクリックしてみてください→七城メロンドーム

あ、あった”肥後グリーン”でした。美味しかったわけだ。ご馳走様でした。

わー地震だ! 6月26日のトラウマ

2009年06月25日 | 気になるニュース
こんばんは

蒸し暑いです。やっぱり梅雨の合間ですね。
あー、揺れている。なんだ、地震ではないか。ニュース速報では、震度2。そのくらいだな。
でも、ちょっと驚いた。

昨日6月26日は、熊本では忘れられない日です。この教訓を、現在に生かすためにRKKでは、明日RKK防災ラジオ1197を放送するそうです。

2007年の6月25日にも書きましたが、こんな状況でした。


50年以上前の昭和28年、記録的な豪雨に襲われました。
降り始めからの雨量は、熊本市620ミリ、一の宮町宮地(現在は阿蘇市)795ミリ、
被害は、死者291名、行方不明272名、負傷者557名。
さらに家屋の被害は、家屋全壊1005戸、家屋半壊6512戸、家屋流出850戸
、床上浸水48987戸、床下浸水39006戸

昼休みの職場では、当時の被害の状況が話題になりました。
白川からの水で、子飼が泥だらけになったこと。鶴屋の地下が水で溢れたこと。国鉄が止まって、歩いて帰ったこと。
ほとんどの社員が生まれていないのに、熊本県人の”DNA”にしみこんでいる出来事なのです。

しかも、昨年(平成18年)の6月26日の早朝に1時間84ミリの雨量を記録し、6、7月の総雨量が約1430ミリと平年の年間降雨量の8割にあたる大雨となり、至るところで道路が冠水し、一時的に市電をはじめとした交通機関が運転を見合わせる事態となりました。
さらに、床上・床下浸水などが各所で発生し市民生活に大きな影響を及ぼしました。

熊本だけでなく、九州に大きな被害をもたらした6月26日。忘れられない日です。

梅雨といえば、6月26日を思い出すオジサンでした。

タイムマシンを下さい・・・

2009年06月24日 | 脳梗塞 介護日誌
こんばんは

ブログにログイン出来なくなった。”セキュリティの警告メッセージが出ている”。しかし、原因が分からない。「今日は更新は出来ないかな」と思った。

ふと思ったのは、先日からパソコンの内臓時計が狂っていること。「バッテリーがへったってきたのかな。バッテリーだけ交換できないかな」と考えたこと。

チェックすると、時計は2004年を示していた。修正するとログインできた。「やったー」



父の見舞いに行った。3日ぶりかな。

父は、広い部屋で皆さんとテレビを見ていた。

「自分の部屋に行こうか」と言うと、言葉にならない声を出す、服を脱ごうと暴れる。
「痒いの?」と聞くと、さらに興奮して、バタつく。

施設の人が服を脱がせようとする。

父は、盛んに体をかきむしろうとする。

「むー、ここが痒いの」とズボンと上着の間を探ると、「ありゃーなんかあるぞ」

何のことはない体温計が出てきた。


係りの人に聞くと、体温を測りっぱなし、体温計を脇に当てた状態で長時間ほって置かれたようだ。
父は一生懸命測定結果を確認してくれるのを待っていたのだ。

息子が来て、いごかそうとしたので、「まだ検温が終わってないよ」と体で訴えたのであった。


悪く言えば飼いならされた、贔屓目に見ても他人に頼らざるをえない父。
自分の意思も伝えられない。自己主張も出来ない。なんて悲しいのだろう。


時間を2004年に戻すと、父も元気な頃に戻り、脳梗塞にならないように対策が打てるかも知れない。

あの頃に戻りたい・・・・



ひだるか

2009年06月23日 | ただいま通勤中
こんばんは

今朝は大変でした。目が覚めたのが、家を出る時間のなんと10分前。1時間以上の寝坊です。

昨晩の怒で寝つきが悪かったのか、怒ったままで目覚まし時計をかけ忘れたのか、そんなことはどうでもいいーーーーー。
とにかく、サラリーマンは遅れることはできません。「何とか間に合いたい・・・・」。

ワイシャツを着て、ズボンをはき、頭をといて顔を洗い、靴を突っかけて、駅へ急いだ。

やったセーフ!


会社では、新型インフルエンザの話で持ちきり、ついに熊本市でも患者が出たそうだ。

「寝坊をしたけんが、新聞も見とらん」「起きて慌ててきたけん、朝飯も食べ取らん」と言ったら、「ひだるかろ」と聞かれた。

「ひだるか??」
「ん、”ひだるか”とはなんね。」

「腹が減って、ひもじいでしょう」と聞いたとよ。

「あー確かにひだるか」・・・


朝礼前に”インフルエンザの危機管理”の話ではなく、”熊本弁講座”でした。

これで我が社は安泰なのだろうか・・・・


ちゃぶ台をひっくり返したい、この怒り

2009年06月22日 | 日記
こんばんは

くそー、自分とgooに腹が立っている。

皆さんも一度は経験していると思うけど、ジャンプにより記事が消えてしまうこと。

またやりました。やっと書き終えて、写真を貼ろうとして、画像フォルダをクリックしたら、パー。

1時間近くの努力が、水の泡。

なにせ遅筆なんです。やっと出来たのに、この時間から、書き直す気力もありません。

今夜は、八つ当たりに”ちゃぶ台返し”をして、憂さを晴らしましょう。


毎日JPより拝借しました「ちゃぶ台返し世界大会:飛距離など競う 全国各地から25人 岩手」

ちゃぶ台をひっくり返し、台上にある玩具の飛距離や飛び方の「芸術点」を競う「ちゃぶ台返し世界大会」が20日、矢巾町のショッピングモールで開かれた。

青森県から兵庫県まで各地から集まった男女25人が参加し、「小遣い上げろ」などと声を上げ、観客の笑いを誘っていた。

優勝は9メートル20センチの大会新記録を出した、さいたま市の23歳の会社員。
金のちゃぶ台を贈られ、「仕事を休み、交通費往復2万6000円を掛けたかいがありました」と喜んだ。

 大会は町内の産直組織「やはば百笑倶楽部」の主催。町おこしのため開催しており、今年で3回目。だそうです。

昨夜のNHKニュースの映像が印象的でした。


ネタではなく本当に怒ってます。自分に・・・・

夏至まで”冬眠?”

2009年06月21日 | 脳梗塞 介護日誌
こんばんは

日の長さを実感するために、8時近くまで雨戸を閉めなかった。
しかし、雨模様で雲が空一面を覆っている。せっかくの夏至なのに・・・

あるブログ経験者から、「家族とか身近な話題がよく読まれるよ」と言われたことがある。
しかし家族の話題を提供することには、ちょっと戸惑いがある。「そこまでしなくても・・・」との思いがある。

確かに若い人が明るい話題を書いているのは、ほほえましいが、この年代になるとこんな話題になってしまう。


母は、父が施設に入所してしまってから、父の世話をすることも無くなり、昼間は話し相手もいない。
何も役割が無いために、布団でごろごろしている。

昨冬は、桜が咲く頃まで、寝たり起きたりの状態だった。
ところが今年は、なかなか冬眠から覚めない。「キツカー」と言うばかり。

「そんなにキツカなら、病院にそういいなっせ」「うん、ゆうたい」とやり取りするも、病院にいくと猫をかぶっているのか、何にも言わない。
「いわんだったろ」「今度ゆうけんよか。せからしか」で終わり。

「医者は、このぐらいも見破れんのだろうか」と憤りすら覚える。

夏至の今日も”穴ごもり”。ホトホト困っています。

ご同輩、こんなときにはどうすればいいものでしょうか。

どなたか、アドバイスを・・・・

「カラリ青空 波乗り楽し」のニュースを、博多弁で書けば・・・

2009年06月20日 | 気になるニュース
こんばんは

夜7時半を過ぎても明るさが残っていた。
明日は、夏至。あーピークが過ぎる。


「梅雨入り」発表後も晴天の続く福岡地方な、20日も朝がら青空の広のり、県内各地で気温の上昇したばい。

 福岡管区気象台によると午前11時現在、福岡市で29.1度ば記録したばいほか、朝倉市で30.2度、久留米市で30.6度に達し、梅雨とは思えなかカラリとしたばい天候になりよった。

 福岡市東区志賀島ん浜辺でな、強か日差しん下、えらいたくさんん家族連れの水遊びば楽しんでいたとよ。波打ち際では若者たちの、近年人気ば集めとる、サーフィンとスケートボードば組み合わしぇたスポーツ「スキムボード」ば操り、水しぶきば上げなのら波乗りやターンば楽しむ姿も見られたとよ。


西日本新聞の記事を”もんじろう”で変換してみました。

浮川社長がんばれ!!

2009年06月19日 | 気になるニュース
こんばんは

ジャストシステムの社長交代のニュースが新聞で報じられていました。
設立当時は、浮川社長の奥さんの初子さんが、プログラマーだったと記憶している。

BASICを作ったビルゲイツと共に、お二人は、憧れの人だった。

30年ほど前、”Jx-WORD太郎”が出たときの衝撃はすごかった。パソコンでこんなことが出来るのかと思った。
当時は、パソコンは高嶺の花だった。手の出ない”日本語ワードプロセッサ”のパンフレットは、将来買うまでの”宝の地図”だった。

Jx-WORD太郎がバージョンアップするという発表があったとき、きっと名前は、”次郎”だろうと密かに思っていたら、”一太郎”だったので、がっかりした記憶がある。

始めて、自宅で日本語ワードプロセッサを使えたのは、一太郎ver3だったのではないか・・・めちゃうれしかった。

当初”ATOK”は、エートックと読むと思っていた。誰かが、ジャストシステムは、阿波(アワ)徳島(トクシマ)にあるのでアワ+トクシマで、アトックと読むのだと教えられ、なるほどと感心した覚えがある。

”松”が良いなどと言い出す輩もいたが、浮気せず”一太郎”派を続けている。
なにせ”記者が汽車で帰社した”を一括変換できたときは、思わず喝采を贈ったものだ。

外国製の日本語ワープロなんて、くそ食らえ!!(つい興奮して、上品さにかけたかな)でございます。

若い人には理解できないかもしれない、昔々の思い出話でした。

パパの願い

2009年06月18日 | 我が家のメダカ君
こんばんは

暑いです。クチナシの花が咲き終わったみたいです。花びらが枯れてきました。
今年は花つきがよくなかった見たいに思いました。うら年?


すべてのメダカの水槽にあるホテイアオイを、取り去りました。今年最後の卵を集めるためです。
ホテイアオイを取り去った水槽は、底を浚ってゴミを取り、新しいホテイアオイと入れ替えました。

ホテイアオイが茂り過ぎて、メダカの泳ぐ場所が狭くなりすぎたためもあります。
少し出来たスペースで、親メダカ君は元気に泳ぎ出しました。

一方今年生まれたメダカ君は、100円ショップの洗い桶で、チョコチョコしてます。でも闘争心は強く、けんかするやつも必ずいます。

水槽は水の深さを浅くしているので、スイスイと泳ぎ回ることは出来ません。
もう少し大きくなったときには、水深を深く(あ、これは表現がおかしいのでしょうか)します。

本には、半日陰で育てると書いてありますが、ガンガン直射日光が当たってます。

ともあれ、今回集めたホテイアオイからメダカの赤ちゃんが多く生まれ、元気に育つことを祈っている、”メダカのパパ”でした。

弁当作りに40分 弁当男子の悪戦苦闘

2009年06月17日 | 旅 グルメ
こんばんは

梅雨とは思えない暑い1日でした。

昨日は仕事で遅くなり、ブログ更新もせず、バタン・キュー
しかしそこはブローガー。早起きをして、弁当男子になりました。



今日の弁当のポイントは、トマトですね。(調理もせず、並べただけ わっはっは)

トマトの両脇は、玉子焼き。だしと砂糖、そして牛乳も加えてある、自信作

ハンバーグは、冷凍品です。自然解凍でもOKのキャッチコピーにつられて購入したもの。
2個入っている肉団子は、レトルト食品。

後は、ひき肉とミックスベジタブルを炒めて、醤油で味付けたもの。これも自信作です。

これらのものを、弁当箱に詰め、ご飯に海苔を載せて完成。

たったこれだけの弁当作りですが、なんとかかった時間が40分。
おいおいそんなにかかったら、会社に遅刻する・・・・・

やっと間に合った今朝でした。こりや、今後の弁当作りは・・・・

足湯 日奈久・雲仙・島原

2009年06月15日 | 気になるニュース
こんばんは

コメントをいただきましたので、お礼を兼ねて、八代の話題を・・・


「日奈久温泉に本格足湯 開湯600年 記念祭に合わせ 7月上旬完成へ」

八代市の日奈久温泉街の国道3号に面した「憩いの広場」に、本格足湯がお目見えすることになった。

地元の温泉旅館を中心に、八代経済開発同友会のメンバーなどが施設整備の寄付金を募り、約140万円を集めた。
7月18・19両日に開かれる日奈久温泉開湯600年記念祭に間に合うよう7月上旬の完成を目指し、今月下旬の着工を予定している。

足湯は直径約2メートル、水深約20センチの円形施設で、地下に埋設された温泉配管から湯を引き込む。
施設をL字形の壁で囲み、「メモリアルウオール」と名付けて、個人・団体名や写真などの図柄を刻んだタイルを埋め込む。
タイルは開湯600年にちなんで600枚を予定。
15センチ四方(文字だけ3000円、図柄入り5000円)、30センチ四方(文字だけ1万円、図柄入り1万5000円)で申し込みを受け付け、収益は施設の維持管理費に充てるという。

西日本新聞から転載させていただきました。

日奈久温泉には本格的な足湯が無かったそうです。でも、足湯っていいですね。

雲仙温泉や島原温泉の足湯はちょっと入れて重宝しています。地元の方や観光客の方と話も出来て、楽しいし。

雲仙温泉の足湯はここです。

島原温泉の足湯はここです。

なぜ弁当男子に・・・

2009年06月14日 | 脳梗塞 介護日誌
こんばんは

ひょんな事から、20年ぶりぐらいに弁当を持っていくことになりました。

節約のためもありますが、給料は下がっているけど、今に始まったことではないので、きっかけとしては弱いです。
健康診断でコレステロール値が高いと言われたから。それも一つの理由です。
流行に乗りたい、そして退職後に料理を作れるように経験を積みたい。たしかに一理ある。


でも直接のきっかけとしては、残飯整理でしょう。
まだ食べられるものを、「賞味期限が過ぎた」といって捨ててしまう。

子供時代は、やっと食べ物にありついていた。父も懸命に働いていたのに、周囲の家より貧しかった。
勿論冷蔵庫も無かったので、何度も火を通して日延べさせていたと、母が話してくれたことがある。

ところが今は、「日にちが過ぎている」タダそれだけでゴミ箱にいってしまう。

何とか再利用をしたい。捨てられる前に、弁当のおかずにすればいい。

そんな単純な訳で、始めたのです。


続きますか、お楽しみに・・・