goo blog サービス終了のお知らせ 

通勤電車で「人生晴れたり曇ったり」

“通勤電車”は、人生という線路を迷走中。
自分の選んだ道だから“晴れても曇っても”自分の足跡をブログに残していきたい。

説諭 裁判官も人間Ⅱ 「償い」

2007年05月02日 | 日記
東の空に、十六夜の月が浮かんでいる。
今日は、先日の”説諭 裁判官も人間”の続編です。 

現実にあった裁判で裁判官が発した、ときに厳しく、またしみじみと考えさせる言葉。裁判の厳粛判決にも、裁判官の人間味が見えてくる。
裁判での裁判官の発言としては、02年東京地裁判事がさだまさしさんの歌「償い」の歌詞を引き合いに、被告の反省が十分でないと諭したエピソードが有名です。

事件は、2001年4月、東京の東急田園都市線において、2人の少年が銀行員の男性に対し車内で足が当ったと口論の末、ホームで2人がかりで殴り、後にくも膜下出血で死亡させるという事件が起きた。
傷害致死罪に問われた少年の判決公判が2002年2月、東京地裁で行われた際、2人は言葉では謝罪し、「自分という人間を根本から変えてゆきたい」などと述べたものの、事件自体は酔った被害者がからんできたことによる過剰防衛であると主張していた。

判決公判の閉廷直前、裁判長が被告人2人に対し、「さだまさしの『償い』という歌を聴いたことはありますか」と切り出し、「この歌のせめて歌詞だけでも読めば、なぜ君らの反省の弁が人の心を打たないか分かるでしょう」と異例の説諭を行い、反響を呼んだ。

さだまさしさんの「償い」の要旨は、
知人が交通事故でご主人を亡くした。加害者の男性は真面目な人らしく、毎月わずかずつではあるが賠償金を郵送してきていた。
彼女はその手書きの文字を見るたび亡きご主人を思い出しては辛い思いをしており、ある日、「もうお金は送ってくれなくて結構です」と加害者に手紙を書いた。だが、翌月以降も相手は送金を欠かさなかった。

それでは、作詩・作曲:さだまさしさんの「償い」です。   

 月末になると ゆうちゃんは薄い給料袋の封も切らずに
 必ず横町の角にある郵便局へ飛び込んで行くのだった
 仲間はそんな彼をみてみんな貯金が趣味のしみったれた奴だと
 飲んだ勢いで嘲笑っても ゆうちゃんはニコニコ笑うばかり

 僕だけが知っているのだ 彼はここへ来る前にたった一度だけ
 たった一度だけ哀しい誤ちを犯してしまったのだ
 配達帰りの雨の夜 横断歩道の人影に
 ブレーキが間にあわなかった 彼はその日とても疲れてた

 人殺し あんたを許さないと 彼をののしった
 被害者の奥さんの涙の足元で
 彼はひたすら大声で泣き乍ら
 ただ頭を床にこすりつけるだけだった
 
 それから彼は人が変わった 何もかも 忘れて
 働いて 働いて
 償いきれるはずもないが せめてもと
 毎月あの人に仕送りをしている

 今日ゆうちゃんが僕の部屋へ 泣き乍ら走り込んで来た
 しゃくりあげ乍ら 彼は一通の手紙を抱きしめていた
 それは事件から数えてようやく七年目に初めて
 あの奥さんから初めて彼宛に届いた便り

 「ありがとう あなたの優しい気持ちは とてもよくわかりました
 だから どうぞ送金はやめて下さい あなたの文字を見る度に
 主人を思い出して辛いのです あなたの気持ちはわかるけど
 それよりどうかもう あなたご自身の人生をもとに戻してあげて欲しい」
 
 手紙の中身はどうでもよかった それよりも
 償いきれるはずもない あの人から
 返事が来たのが ありがたくて ありがたくて
 ありがたくて ありがたくて ありがたくて
 
 神様って 思わず僕は叫んでいた
 彼は許されたと思っていいのですか
 来月も郵便局へ通うはずの
 やさしい人を許してくれて ありがとう
 
 人間って哀しいね だってみんな優しい
 それが傷つけあって かばいあって
 何だかもらい泣きの涙が とまらなくて
 とまらなくて とまらなくて とまらなくて

この詩を読むと、加害者も被害者もつらいものですね。

とても重みがある”裁判官のお言葉”です・・・・。